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マフラー・死神・傘の中

死神は雨の日に街に現れる。
「所謂都市伝説ってヤツだろう?」神馬が言う。
「そう言うなよ。身も蓋もない」
「小説、あったじゃん。そこから来てるんじゃない?」
「でもさ、三合さんごう坂で見かけるって話だぜ?」
「死神をか?」
舞台装置を組み立てながらも口が止まらないのは既に徹夜2日目だから、ということにしておく。
「おあつらえじゃん」古島が言う。
電動ドライバーで次々と螺子を埋め込みながら古島の言葉に頷く。三合坂の下には昔の刑場がある。古い時代劇で聞く「磔獄門」がなされた場所と聞く。
「あれ?俺が訊いたのは津平つひら坂」
「あそこは黄泉比良坂が名前の由来っていうじゃん」
「そうなの?この辺収めてた津平田の殿様からじゃないの?」
「でもどの道、坂なんだなぁ」

その死神は雨の日に現れる。
黒い深張りの傘に上半身をすっぽりと隠している。
黒いスーツに黒い靴。傘を持つ手には白い手袋。
死神は坂をゆっくりと登ってくる。
その死神をうっかり追い越してはいけない。
追い越した瞬間、その魂の半分を死神に取られてしまう。

「なぜ半分?」
「半分は比喩らしい。死神を追い抜いた後、最初に願った望みが叶った瞬間、命を落とすらしい」
「なんだ?それ」
「死神の優しさじゃね?」

ひょっとしてあれが噂の死神だろうか?
3徹を免れ家路についた降戸が、終電を降りて家の前に通じる坂を歩いている坂を登ってくる黒傘の人物がいた。
冬の初めの雨が降っている。
湿った霧雨で、普段だったら濡れても構わないが、冷える夜、疲労困憊の体を冷やすのはあまりよくないだろうと、降戸は置き傘にしていた透明ビニルの傘をさしている。そのビニル傘越しに見る相手は神馬たちの話していたそれにとてもよく似ていた。
降戸は昼間の話を反芻する。
死神を追い越してはいけないと言っていたが、すれ違うのはどうだろう?
坂は一本道。脇道に避けることもできない。
「オマエ、噂ヲ信ジテルノカ?」
そんなことを考えている自分が少し情けなく思える。
少しずつ相手との距離が縮まる。
傘を持つ手に力が入る。もう片方の手で斜め掛けの鞄を体に寄せるようにした。
ふと、もうひとつ足音が聞こえた。
坂の下から駆け足で近づいてくる姿がぼんやり見えた。
それは若い男のようだった。
自分と同じくらいだろうか?その彼が死神を追い越してしまったら…と降戸は思った。
駆け上って来る男は傘の代わりというべきか、マフラーをすっぽりと頭から被っている。
白と緑のマフラーなのがわかる。そのマフラーに見覚えのあるような気がした。
黒傘の人物が少し速度を落としたような気がする。
自分を追い越そうとしている相手の存在に気がついたのかもしれない。
降戸と黒い傘の男がすれ違おうとした瞬間だった。
マフラーの男は黒い傘の男のすぐ後ろ、今にも追い越さんとした時だった。
「生方」
あぁ、やっぱりと思いながら、降戸はマフラーの男の前に立った。
「降戸ぉ、久しぶり」
降戸はサッと傘を差し出し生方を入れた。生方は大学時代の友人で、今は家業を継いでいると聞いた。
生方のしているマフラーはそこそこ年季の入った代物で、生方のお気に入りだった。高校受験も大学受験もそのマフラーをつけて行って合格したという。彼女への告白の時もこのマフラーをしていた。
「俺のラッキーアイテム」と生方は言っていた。
終電に間に合うよう急いでいたのだろうか?と降戸は思った。
「終電終わってるぞ」
「マジかよ」
マフラーの先を手でつまんで生方は言う。今回はラッキーアイテム不発というような顔をしている。
黒傘の男は降戸の後ろにいる。
「坂、降りてすぐに家があるんだ。よかったら泊まって行けよ」
「え?」
生方は驚いた顔で降戸を見た。
大学時代はよくつるんでいたし、その後もSNSや電話でやり取りはしていたが、こうして顔を見て話すのは2年ぶりだった。
「俺は明日休みだから遠慮は要らないさ。こんな夜に濡れたまま歩いていると風邪ひくぜ」
生方は逡巡したが「じゃあ、甘えさせてもらおうかな」と言って、隣に並ぶように立った。
降戸はホッと息を吐いた。
後ろの男が黒い傘の中でかすかに笑ったような気がした。

降戸は休み明けの職場で、神馬、古島に坂であった話をした。
「雨の日の死神?」
神馬が資料から顔を上げて降戸を見た。
「降戸ンちの家の前の坂で?」
「名もない坂だよね?」
古島が言う。
「名前がなくちゃダメ?」
「そういうわけじゃないけど」と古島。
「でさ。そのオトモダチは無事に家に帰ったのか?」
「そうだね。昨日、送っていったよ。昼に食べたいと言っていたラーメン屋に連れて行ってそのまま送った」
神馬も古島も「ふうん」と言った。
「追い越さなくて何よりだけど、そのオトモダチは緑色のマフラーしてたんだよね」
「あぁ」
古島に降戸が頷いた。
「噂話には続きがあるんだ」
古島が言う。
「死神に勝つ方法がある。追い越しても魂を取らないようにするためには緑色のものを身につけるといい」
「どうして緑?」
都市伝説と笑っていた神馬が古島に訊ねる。
「緑色は命を象徴する色なんだって。その緑に宿る命を死神が間違って持っていくとか」
「あ、そいつ、緑のマフラーしてた。白とツートンの」
「完璧じゃん」神馬が笑う。
「降戸、気をつけろよ」古島が言う。
「何を?」
「死神が狩りを邪魔したヤツって覚えたんじゃないの?」
「マジかよ」神馬が目を丸くする。
「雨の日は、緑色身につけておいた方がいいよ」と古島。
「いっそ傘を緑にするべきじゃね?」と神馬がそう言ってニヤリと笑う。
「うん。そうする」降戸が頷いた。
「マジかよ」神馬が目を丸くする。
「僕も買おうかな?緑の傘」と古島が言うと「ハイ、ハイ、俺も!」と神馬が手を挙げた。

少しみぞれ混じりの冬の雨降る坂道に黒い傘は見当たらない。
そして、緑色の傘を深く被った降戸はそっと安堵の息を吐いた。

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のお題から。