見出し画像

風の強い夜には 3

八坂と同じ職場に八巻馨というちょっと風変わりな男がいる。
大学新卒の八坂よりも2歳年上だが、大学院を終わっての採用で、この春から一緒に勤め始めた。
八巻は自然研究所所属。県庁職員である八坂とは同じ場所にいながらいろいろと違う点もある。
住む場所も、八坂のように県営住宅ではない。
自然研究所の敷地内の居住用の低層マンションに住んでいる。
ある程度の日常生活は全て敷地内で賄われるようにできている。
自然研究所のあるあたりは25年前の大災害でも被害がほとんどなく、大きなドームに覆われた敷地は災害時の避難場所にも指定されている。
自然研究所に所属しているのは地元の人間とそうじゃないものとでは、圧倒的に地元の人間が少なかった。関連施設であるが県庁管轄の自然公園の管理事務所が100%地元出身者であるので、なんとなく雰囲気が違った。男女比は転勤があるせいか、八坂ら県庁所属の人間は圧倒的に男性が多く、反対に研究所が女性が多かった。長く勤めている人が多く、新卒での採用は久しぶりだという。
八巻は東京出身である。
大学の卒論は、ここの自然公園にしか生息していない変形菌だった。
八坂も大学は東京だったこともあり、年の近いふたりは、所内の食堂で会うと、一緒に食事をするくらいの仲になっていた。周囲も「名前も似ているし」なんていうが八坂智則と八巻馨、「八」の字しか共通点はなかった。
「昨夜の風、そこそこ強かったね」
八坂は初お目見えのサーモンクリームパスタを食べていた。
八坂は「初めて」に弱い。果敢に挑戦しては敗北することも多いが、ここの社食に限ってはハズレはない。
「らしいな。ここにいるとちっともわからない」
八巻はハンバーグランチプレートを食べていた。
八巻は少し日本人離れした顔立ちで背も高い。高校の頃まではバスケットをしていたとのことで、骨格がしっかりしているのが白衣の上からでもわかる。
「風向きもあれだったし、変なものは飛んでこなかったから、あんまり話題になってないけど」
「あぁ、例のサイコロ?」と八巻。
「そう。あれはびっくりした」
「サイコロ、3つ拾ってとっておいてる」
「俺も2つ」
「みんなそんなに驚かないのがすごいよね」
「これ片付けるのかぁ…なやれやれ感はあったけど」
ふたりはランチメニューのおまけのコーヒーを飲んでいた。
「実は自分、雨風の音がすると眠れないんだ」
八巻が言った。
「子どもの頃から団地暮らしで、6階建の4階に随分と長く住んでいて、そのあともマンション暮らしになったんだ。だから、雨音とか風の音とか聞きながら寝るというシチュエーションがなくてさ。親戚の家に泊まりに行って、初めて雨の中で寝たんだ。2階にある従兄の部屋で。もう雨音が気になって眠れない。雨の音だとわかっていても眠れない」
深刻そうな表情をする。
大学時代の研究のフィールドワークで、テントで夜を過ごす時など一睡もできなかったと言う。
「風の音も?」
「風は音もだけど、やっぱり振動?古い団地でも鉄筋コンクリートってびくともしないけど、木造の建物はそれなりに揺れる」
「確かに」
「崩れるというよりもまさに飛ばされそうって思っちゃうんだよね」
「まぁね」
この町の25年前の厄難はまさにそれだった。巨大な地震と竜巻とも言われる突風に町のの全てが壊された。八巻はそれを知っているだろうか?と八坂は思った。
「慣れない環境ってさ、布団とか枕の問題じゃないよね」
と八坂が言う。八巻が「うんうん」と頷いた。
「そっちはどんな感じ?」
「アーケード街?」
「うん」
「便利だよ。大きな災害を経験しているだけあって、封鎖されてもあまり心配にならない。ここほど屋根が高くないから音はするけど、その中に屋根もあるし、音に関してはね、あんまり気にならないけど、やっぱり風はね。この間のサイコロ風経験しちゃうと、慣れるまで何か起こるんじゃないか?って思うの続くんじゃないかな?」
八巻はまた「うんうん」と頷くと「期待しちゃうよな」と言ってニヤリと笑った。
「あんなにたくさんのサイコロ、たとえサイコロ工場でもあんなにないと思うよ」八巻は言う。
「もしも、異次元とか別の世界に繋がっていたとしても、あの量のサイコロは信じがたい量だよ」
今度は八坂が「うんうん」と頷く番だった。
「僕がいた大学に、物理学のすごい教授がいるんだけど、ここの話をしたら興味持つだろうなぁ。フィールドワークはあんまりしない教授だけど、来ちゃうと思うよ」
八巻は自分で言って「うんうん」頷く。
「ところで、ここでの風の観測は気象庁の測候所とはまた別にしているって聞いたけど」
「あぁ、それは、この町独自で、県としても観測データの提出はしてもらっているけれども、どうしてあの風が吹くと解るのか?データからだけだと難しいみたいなんだよね」
同期だけど年上。八巻に対する言葉は中途半端な敬語になってしまう。
「そうなんだ。僕は単細胞生物が専門だけど、あの風の現象は気になる」
「それもあってここに赴任した人は長くいる人が多いのかなぁ?」
八坂が言うと、八巻は身を乗り出した。
「キミも?」
「いやいやいや」
八坂は顔の前で手を振った。
「今はまだ」
「今は?」
八巻が笑う。
「そう言う八巻さんはどうなんです?」
「僕はもともと長くいるつもりでここに来たからね」
「そのうち、あの風が吹く中でもガンガン眠れちゃうようになったりして」
八坂が言うと「ここでならね」と外国人のように両腕を広げて見せる。腕が長いのでそれが様になる。
「ここでなら、またあのサイコロの風が吹いても平気だよ。次は何が飛んでくるのか、むしろ楽しみだ」
後半は小声で言う。
「そこは同意します」
と八坂も小声でで答えた。
この町の人にも環境にも興味がある。決して悪いことじゃないと八坂は思った。

風の強い夜には

風の強い夜には2