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かみさま

小学4年の秋だった。
私は父方の親戚の住む町に、父と一緒に泊まりがけで遊びに行った。
おそらく遊びに行ったつもりでいたのは私だけで、父は何かしらの用があって出掛けたのだと思う。
親戚の家には私と同い年のミチルちゃんという女の子がいた。
私たちはすぐに仲良くなった。
町はあまり大きくなかった記憶がある。
電車を乗り継いでついた駅には、ミチルちゃんの叔父さんという人が車で迎えに来てくれた。
父は助手席に乗り、私は後部座席に乗った。
そこにミチルちゃんがいた。
ミクちゃんは日に焼けていて、細くて、キレイな子だった。少し長めの白いシャツとデニムパンツ。私より少し背が低い。
ミクちゃんの家に着くと、父は「遊んでいなさい」と言って、ミチルちゃんの叔父さんと一緒に家の奥の部屋に入っていった。
ミチルちゃんの家はとても大きくて、旅館のようだと思った。
ミチルちゃんはひとりっ子だった。たくさんの親戚が集まる中、子どもは私とミチルちゃんだけだった。
でも、従兄のお兄さんの影響とかで、洋楽を聞いていた。
カッコいいと思った。
ミチルちゃんが「ヒナちゃんに見せたいのがある」と言った。
それは外にあるものだと言って、私の手を引いた。
ミチルちゃんの家を出ると数件の家とその先に小さな店があった。
「ここのアイスが美味しいんだよ。帰りに買ってこ」
ミチルちゃんはそう言って、私の手を引いて走る。
その店を過ぎると少しだけ周りの空気が変わったような気がした。
少しだけ気温が下がったような、湿度を増したような、何かが濃密になり、何かが抜けてしまったような、不思議な感じだった。
「ミチルちゃん…」
私の手を繋いでいるのは本当にミチルちゃんなのだろうか?
少し不安になった。
道の両脇に鳥居が見えた。
赤い鳥居がいくつもある。
鳥居は新しいものも古いものもある。
「ヒナちゃん」
ミチルちゃんはようやく立ち止まった。
右手に比較的新しい鳥居がある。
「鳥居の向こうを覗いてみて?」
こちらを向いたミチルちゃんは声をひそめた。
私は少し怖かったが、鳥居の方に歩こうとした。
「ダメダメ。ここから覗くんだよ」
「ここから?」
「うん」とミチルちゃんは頷いて「見える?」と訊ねた。
何が見えるというのだろう?
鳥居の向こうは霧が出ているのか白っぽくモヤモヤしているだけだ。
それをミチルちゃんに言うと「そっかぁ」と少し残念そうに眉を下げた。
何が見えるというのだろう?本当はあそこに何があるのだろう?
ミチルちゃんが私に見せたかったものがそこにあると思うと悔しくなって、少し鳥居に近付こうとした。
「ダメダメ」
ミチルちゃんは慌てて私の手を握った。
「そうだ!」
ミチルちゃんは私の背中にぴったりとくっついた。そして私のお腹に手を回して、後ろから抱きついた。
「ねぇ。見える?」
そう言われて、私はまた鳥居の向こうを見た。
「え?」
鳥居の向こうに人がいた。
だけど少しだけ、私たちと違うような気がした。
着物を着たふたりの女性のようだった。ぴったりと隣同士に並んだふたりはこちらに気がついたのか、ニッと笑った。
その笑顔が、なんだか見慣れた笑顔と違うものに見えた。
何が違うのかわからない。
「見えた?」
「う…うん」
ミチルちゃんは「じゃあこっち」と私を抱きしめたまま反対を向いた。
そこには少し色のはげた鳥居があった。
「見える?」
私は鳥居の向こうを覗き見た。
仮面をつけた、おそらく男の人なのだろう。さっきのふたりより背が高いような気がした。その人は両手を上げて上を見ている。
「こっちは?」
ミチルちゃんは横に移動する。
鳥居の向こうに長い杖を持ったおじいさんがいた。
顔が奇妙に赤いおじいさんは私たちに気づいたのか杖を振った。
「ミチルちゃん。あの人たちは何?」
「神様」
ミチルちゃんが答えた。
「何の神様?」
「知らない」
「え?」
「お父さんたち…里の祭祀の人たちは神様って呼んでいる」
「さいし?」
「うん」
「さいしって何?」
「祭祀は祭祀だよ」
ミチルちゃんは私を抱きしめたまま少しずつ移動する。
そして鳥居の前に立って、その神様を私に見せる。
神様は鳥居の向こうから私たちに気がつくと、笑ったり、手を振ったりするけれど決してこっちへ来ようとはしない。私たちに気が付かない神様もいる。
人の形に似ているけれど、みんな少しずつ人とは違うような気がした。
怖くはないけれど、何だか落ち着かない気持ちになった。
「帰ろっか」
ミチルちゃんはそう言うと、手を解いて背中から離れた。
私は急に心細くなった。
ミチルちゃんは来た時と同じように私と手を繋ぐと、少しだけ早足で歩き始めた。
私は鳥居の前を通るたびに、その向こうを覗いたけれど、白いモヤモヤしたものが見えるだけだった。
「アイス買おう」
ミチルちゃんの声がした。
いつの間にか店の前に来ていた。
ミチルちゃんが私を見ている。
「神様って何?」
「神様は神様だよ」
ミチルちゃんはそう言って、店の引き戸を開けた。
「おばちゃん。アイス頂戴」
ミチルちゃんが店の奥に向かって声をかけた。
店の中は少し暗いけど様々なものが並んでいた。
コンビニに似ているけど少し違う。
店の奥から着物を着たおばあさんが現れた。
「おばちゃん。アイスふたつ頂戴」
ミチルちゃんはそのおばあさんを「おばちゃん」と呼ぶ。
「お友だちかい?」
おばあさんはコーンを出すと、ケースを開けてコーンにアイスを盛り始めた。
「親戚のヒナちゃんだよ」
おばあさんは少しだけ驚いたようだったが「そうかい。ヒナちゃんかい」と言った。
白いアイスだった。
ミチルちゃんが代金を渡していたがいくらなのかわからない。
「座って食べよ」
ミチルちゃんは壁際の薄い座布団の乗った椅子を指差す。
私とミチルちゃんは並んで座ってアイスを食べた。
ミチルちゃんお言うとおり美味しいアイスだった。
ふと、店の外に誰かが来たような気がした。
私が降り向こうとしたら、おばあさんが「しっ」と人差し指を口の前に立てた。
「そのままで」
おばあさんはじっと店の外を見ている。
店の外に神様がいる。そう思った。
ミチルちゃんはアイスを食べ続ける。
私もミチルちゃんを真似た。
しばらくして、おばあさんがこっちを向いて「向こうに行ってきたのかい?」と訊ねた。
「うん。ヒナちゃんに神様見せてあげたの」
ミチルちゃんが答えると、おばあさんはやれやれと言うように肩をすくめた。
「ヒナちゃんには神様は見えたのかい?」
「うん。私と一緒なら見えたよ」
「そうかい」
ミチルちゃんはコーンを齧った。
「神様って何なんですか?」
私はおばあさんに訊ねた。
「神様は神様だよ」
おばあさんはミチルちゃんと同じことを言った。
「ただね。神様を見ることができる人とできない人がいる。見えない人が多いから、外ではあんまり神様の話はしない方がいい」
おばあさんは言った。
「外?」
「この里以外では」おばあさんは言う。
どういうことだろう?と思った。
「ヒナちゃんの町には神様がいないということだよ」
コーンを食べ終えたミチルちゃんが言った。
「そうなの?」
「ミチルちゃんのお父さんに訊いてみるといいよ」
ミチルちゃんの言葉におばあさんが頷いたような気がした。
でも結局、私は父に何も訊けずに今に至っている。
おそらく父はミチルちゃんから神様を見に行った話を聞いただろう。
だけど、父も私に何も訊いてはこなかった。
私の住む町にも神社が会って鳥居がある。
だけど鳥居を覗いてもくぐっても、あの時見た神様を見ることはない。
ミチルちゃんにはそれっきり会っていないし、あの町にも行くことはない。
ただ父は何年かに一度、あの町に行っているのではないか?と思うことがある。
あの神様は、本当に何だったのだろう。
鳥居越しに見た姿よりも、店の外に立っていた気配の禍々しさを思い出すことがあった。
神様のいるあの場所に、いつかまた行ってみたい。いや、行かなくてはならない。そう思っている。


Xで見たこちらの作品のイメージで。


こちらの話にもつながる世界線。