見出し画像

ツインルーム

「眠い」
「寝れば?」
「今寝ても、11時頃に目が覚めて、そのまんままた眠れなくなる」
「ふーん」
「ふーんっておまえ。こっちは深刻な問題だよ」

一日の中で午前10時と、午後2時と、午後10時、それぞれ妙に眠くなる。
一番たちが悪いのは午後10時。布団に入っても30分〜60分眠ると目が覚める。そこで目を覚ますと今度は明け方まで全く眠れない。
明け方になってうとうとしたところですぐに起床時刻の午前6時がやってくる。
午前10時と午後2時だって同じようなことかもしれない。でも、ほんの5分ほど目を閉じると眠気を解消することができるし、むしろその後眠くならない方が助かる。
休みの日だったら明け方寝ついて午前10時過ぎまで眠るということもできる。
しかし、惰眠を貪る性分ではない。

「今寝なくてもどのみち眠れなくなるんだろう?だったら眠いと思ったら寝ちまえよ」

折角の旅行。年単位で先延ばしになっていた。ようやく来れたと思ってもこの様だ。現に午後2時の眠気には負けてしまった。「もうすぐ着くぞ」と言って起こされるまで、何も会話らしいこともなく寝て過ごしてしまった。
「わりぃ。すっかり寝ちまった」
「いや、俺も寝てた」
本当だろうか?

「11時には目が覚めるんだろう?俺それまでちょっと原稿書いてるわ」
「え?」
「締切間に合わないかもなぁ…って思ったもんだから、機械持参で来たんだ」
「そっか…」
「気にすんな。明日からきちんと遊ぶためだ。お互い、今できることをして明日に備えよう」

ツインルームの奥の方にベッドはふたつ並んでいる。
備え付けのデスクに座ってさっさと原稿を打ち始めた相手を尻目に「じゃあ少し寝る」と言ってベッドに入る。
「そのまま朝まで眠れたら寝ちまえよ」
「うん」
そうは言ったもののつまらない。
この旅行はただの旅行じゃない。相手の全快祝いも兼ねたものだったのに。これでは普段家にいるのと何ら変わらない。
売れない作家だった頃に、一緒に住むのを提案して、そのままずっと一緒に暮らしている。3年前にメジャーな文学賞を取ってからというものの、相手は売れっ子作家になった。
自分はシステムエンジニアとして会社勤めをしていたが、昨今の事情で去年から在宅勤務となったが、それぞれの生活のリズムが出来上がっていて、一緒に暮らしながらも、夕飯前後しか顔を合わせることはなかった。
締切が重なると食事以外は相手は自室に籠る。
そんな相手が3ヶ月ほど前に体調を崩して入院した。
2ヶ月弱の入院生活。
その間に自分には奇妙な眠りのサイクルができてしまった。
相手が退院してもその眠りのサイクルはなかなか元には戻らなかった。
「今度はオレが入院かもなぁ」
そう言いながらも、眠りに落ちた。

目が覚めたのは午後11時ちょうど。
「おや?起きたのか」
「うん」
「一緒に飲もうか?飲むと眠れるかもよ」
「おまえ飲まないだろう?」
「普段は飲まないけど、飲めないのと違うから」
「いや、いいよ。飲まない。そのかわりあったかいのがほしいな」
部屋にはこコーヒー、紅茶、ほうじ茶、煎茶、そしてココアがあった。
「男ふたりでココアを飲むというのもな」
「でも、好きだろう?俺も好き」
インスタントだけど甘すぎず美味しいココアだった。
「飲んだら歯を磨いてベッドに入ろう。ベッドで話しているうちに眠くなるかもしれない」
という相手の言葉に黙って頷いた。

ベッドでくだらない話をしているうちに、寝息が聞こえてきた。
今夜も眠れないのか…そう思って時刻を確認する。
23:58
まだそんな時刻だったのか。
誰かと同じ部屋に寝るというのは随分と久しくないことだった。
規則正しく気持ちよさそうな寝息に耳を澄ます。
こいつはいつもこんな感じに眠るのだろうか?
それとも、この心地良いベッドのおかげなのだろうか?
先程眠った時もとても気持ちがよかった。
スー、スー、と子どもが眠っているかのようだった。
自分もその寝息に合わせて息をしてみる。
ゆっくり、深く、息をしてみる。

「おはよう」
相手の声で目が覚めた。
「よく眠れた?もうすぐ朝食が来るよ」
機嫌の良さそうな声だった。
「おはよう」
そう言って背伸びをした。
「お陰様でよく眠れたよ」
「それはよかった」
「おまえの寝息に合わせて息をしていたら眠れたんだ」
相手はキョトンとした表情でこちらを見た。
そして子どものような表情で笑うと「それは何より」と言った。

久しぶりにすっきりとした朝だった。