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父の卵焼き

料理上手だった父が作らないものに「厚焼き卵」があった。
味は美味しかった。
ただその形は、スクランブルエッグというべきか?崩れたオムレツというべきか?というシロモノだった。
だし醤油と砂糖と刻んだ葱の入る卵焼き。味は濃く、ご飯のおかずに十二分になる卵焼きだった。
高校を卒業して家を出る際、父からいくつかの料理を教わった。ドライカレー、野菜炒め、麻婆豆腐etc. いずれも父オリジナルのレシピで生姜や大蒜をたっぷり使ったレシピだった。
その中に濃い味の卵焼きはなかった。
自分が24歳の時に父が死んだ。
「驚くなよ」
兄からの電話だった。
「父さんが死んだ」
「え?」
それきり声が出なかった。
「ホントに驚かないな」
人は本当に驚くと声が出ないというのは本当だと思った。
電話の向こうから雨の音がした。

こちらは暑いくらいだというのに。

父が生きている時でもほとんど実家に帰ることはなかった。
代わりにというように父がふらりと訪ねてくることはあった。
日帰りだったり、一泊泊まったり。
高速道路を2時間走ると着く距離だった。
父の葬式が終わり、部屋に戻って来た時、もう実家に帰ることはないだろうと思った。
母も兄も悲しいのだろう。私が居ようが居まいがおそらく何も関係なく悲しんで、親戚や近所の人に慰めてもらっていただろう。私とはほとんど口も聞くことなく4日を過ごした。

火葬場で、父の骨をひとつハンカチに包んで持ち帰った。

父の死因は正直よくわからない。
私に話しかけてくる人によって病名が違っていた。
心臓だったり、脳だったり、様々だった。
その中で、母も兄も自分の悲しみでいっぱいいっぱいで私には何も話しかけない。私だけではない。誰かに声を掛けてもらわなければ、自分たちからは何も話さないでいた。
葬式の段取りは父の兄である伯父さんと私とで葬儀屋さんから聞いていた。
自分の部屋に帰って来て、父の骨を白い小さな陶器に入れた。骨壷に似た形をしているそれはもともとなんだったのか覚えていない。
翌日から仕事に出た。
高校を卒業して勤めた会社を5年で辞めて、その間に取った資格もあって、今は司法書士事務所に勤めていた。
それを知っているのも父だけだった。
「会社、辞めたのだったら戻って来ればよかったのに」
父はドライカレーを作りながら言っていた。
「でもさ、仕事辞めたとか言ったら母さんとか面倒くさそうだもん」
「まぁ、そうだがな」
その日は父の作ったカレーはいつもより生姜が効いていた。それでも、ひさしぶりに食べる父のカレーは美味しかった。
その父の骨が入った白い器の隣に香炉を置いて、毎朝香を焚く。
香を焚くといっても簡易的なものだし、手を合わせるわけでもない。
それから少しして保険会社から連絡があった。自分が受取人になっている生命保険があるという。受取のための書類を送るという。
何故、母や兄からの連絡ではなかったのか?と少しだけ疑問に思ったが、保険会社から連絡があるのが正しいのだと思ったら、疑問は跡形もなくなった。
仕事柄相続の諸々の手続きは知っている。
母からも兄からも何も連絡はない。
どうせ手続きが必要なのは住んでいる家土地程度だ。
自分からは連絡はしなかった。

保険金振込の通知が届いた日は朝から雨も降る日だった。

その日は朝から調子が悪かった。
生理前だしなぁ…などと思いながら仕事に行ったが結局お昼を食べずに帰ってきた。
食欲もなかったので、おにぎりをひとつ握って持っていっただけだった。
部屋に帰ってきて、郵便受けを確認する。保険会社からと定期購読している雑誌が届いていた。
部屋着に着替えて、小さな音で音楽を掛けた。
無音だと耳鳴りが聞こえるくらい頭が痛かった。
雨は霧雨で、傘もあまり意味がなかった。
外套をサニタリールームに持っていって掛ける。乾燥のスイッチを押して、リビングに戻った。
電気ポットでお湯を沸かし、お茶でも飲みながら、おにぎりを食べようか?
その前に保険会社の通知を確認する。
先の保険会社との電話でのやり取りで保険金額は聞いていたけど、3000万の金額のインパクトは大きい。

老後の生活はこれでよし。お父さん、ありがとう。

自分は結婚する気はなかった。
しっかりとした資格を取って、ひとりでも生活できるようにするのが今の目標だった。
お湯が沸いて、ポットが「カチリ」と音を立てる。
そろそろと立ち上がり、キッチンにマグと粉末のお茶を取りに行く。
ふと、父の卵焼きを思い出す。
あの味の濃い卵焼きは、冷たいおにぎりにもよく合う。
小学生の頃、土曜日のお昼は朝に母の握ったおにぎりだった時があった。ほとんど専業主婦だった母が一時、友人の経営する塾の手伝いに行っていた。教えるのではなく、採点したり、プリントを作ったりしているのだと言っていた。どこの塾なのか、自分は興味もなかった。
何故その日父が昼に家にいたのかわからない。父の休みは日曜祝日。労働基準法が厳しくなるまで、週休二日制は取られていなかった。
おにぎりを食べようとする自分たちに味噌汁と卵焼きを作ってくれた。
冷たいおにぎりとあったかい卵焼きという組み合わせは新鮮だった。
「遠足のお弁当に父さんの卵焼きが入っていてもいいなぁ」
ひとつ年上の兄の言葉に自分も頷いた。

卵焼きを作ろう。

折角家にいるのだから、あったかいものを食べようと思った。
卵をふたつ割って、刻んで冷凍している葱を少し多めに入れた。
あの頃、家にあった調味料、醤油や味醂、砂糖を入れた。そして、子どもの頃はわからないでいた父の隠し味を入れた。
胡麻油をほんの少しだけ垂らして、混ぜて焼く。
胡麻油で焼くのではなく、卵液の中に入れるのだと、最後に父に会った時に父がようやく教えてくれた。
「父さんの卵焼きを作りたくても何か味が違うんだよね」
「あぁ…多分、胡麻油を入れてないだろう?」
「胡麻油を入れるの?胡麻油で焼くんじゃなくて?」
「焼くのは普通の油でいいよ。最近流行ってるなんちゃら油じゃない方がいい」
自分は厚焼き卵も焼けるようになっていたけれど、今日は父さんと同じような、失敗したオムレツみたいな感じに焼こうと思った。その状態は結構難しい。ほどよく崩す加減が重要だった。
独特の香りがした。
器に入れて、リビングのテーブルの上のランチョンマットにぽつんと乗っているおにぎりの隣に並べる。
古い映画の主題曲を奏でるギターの音が小さく聞こえる。
雨は霧雨から音のする雨に変わっていた。
おにぎりをひと口食べて卵焼きをすかさず口に運ぶ。
子どもの頃を思い出したような気持ちになったが、どちらも少しずつ味が違う。

父の焼いた卵焼きがどうしようもなく食べたくなった。
私は泣きながら昼ごはんを食べた。
ようやく、父の死を悲しいと思った。

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