見出し画像

portrait

写真を撮るのが好きだ。
撮った写真はアルバム代わりにSNSに上げる。かなりの加工を施して。
それが何処かわからないように。写り込んでいる文字は全て消す。白塗りでも黒塗りでもなく自然に消すのは、アプリの性能様様だ。
だから人は写さない。遠くにいる顔もわからないような人であっても、絶対に写さない。あとからいろいろ面倒になるの嫌だった。
それなのに。
「これ、ここにいるのオレ」
L判でプリントしたら5mmにもならない人の影を指差して篠原が言う。篠原のスマホの画面越しに自分のSNSを見るのはなんだか妙な気分だった。そもそも篠原が自分のSNSを知っていることに驚いた。
「マジ?」
スマホの中のその写真の人は2mm程度の黒い線だ。
「これさ。おまえんちの裏の方の河原の土手から撮ったろう?」
その通りだ。でも、それは地元というより、この近辺に住んでいる人ならわかるかもしれない。
坂道のカーブミラーに写り込んでいるのが篠原だという。
「一昨日の夕方4時頃の写真だろう?」
その通りだった。
「オレ、通ったんだよね。坂下んち行くのに」
坂下の家は自分の家の2軒隣だった。
自分と坂下と篠原は小学校に入る前からの友だちだった。篠原も最初は近くに住んでいたが、区画整理で1ブロック向こうに越して行ったのは小学6年の夏だった。それでも学区は同じなのでそのまま中学になっても3人で連んでいた。高校は坂下が別の学校に進んだが、それでも休みの日は誰からともなく3人で集まっていたような気がする。大学はみんな違った。自分と篠原は同じ医者という職業につきこの町に戻ってきた。自分はインターンを終えた2年後に町の総合病院に外科医として勤務し始めて、篠原はその10年後、心療内科を開院した。そして坂下は今年の春、地元に帰ってきた。
「坂下、今度はP大の研究室に行くらしい。おまえの母校だろ」
「どこの研究室だろう?森川ラボか、杉下ラボあたりかな?」
篠原は確か機械開発の会社に勤めている。大学の研究室に出向し技術協力をしている話を聞いた。
P大は隣町。車で30分程度だが、自分は大学に行っていた頃は大学の寮に入っていた。
友人の口から聞く久しぶりの母校の名前は少しくすぐった気がした。
土曜日の午後、篠原に呼ばれて家を訪ねた。篠原と坂下は実家暮らしをしている。もっとも坂下は最近戻ってきたばかりだ。自分は総合病院に隣接している職員住宅に住んでいる。
「この写真のデータ、もらえない?」
篠原が言った。
「これ?」
「もう何年も自分の写真なんて撮ってないからさ。自分ってこんなヤツなんだ、ってこれ見て思ったんだよね」
この写真はそれこそ土手を散歩している時にスマホで写したものだった。確か加工前の写真も残っているはず。スマホ中を確認する。
「この中に入っていたらLINEで送れる」
そう言いながらデータを探す。
あった。
カーブミラーの中の篠原は、濃紺のデニムと黒いシャツを着ている。この日は確か少し暑かった。
「こっちはどう?」
篠原にスマホの画面を見せる。
「あぁ、これは確実にオレだわ」
篠原が笑う。
「両方とも送ってもらえる?」
「いいよ」
テーブルの上で充電されている篠原のスマホが着信を告げる。
篠原はスマホを取って写真を確認する。
「こういうのはホント便利になったよな。昔だったらプリントしてもらわなくちゃならない」
写真を保存しているのか、しばらく画面をいじっている。
「坂下の母さんがオレんとこ通って来ててさ。それが急に来なくなって気になって行ったら坂下がいてさ。なんかお母さんもオレ行ったら昔遊びに行ってた頃のようにお菓子とか出して、一緒に話して、あぁ、やっぱり寂しかったんだ、ってなったんだ」
篠原が写真の日のことを話した。
坂下の父親は一昨年亡くなった。くも膜下出血だった。病院に運ばれた時にはすでに意識がなかった。庭先で倒れていたのを坂下の母親が見つけた。
夜勤当番で出勤した際、偶然、坂下に会った。そして、一緒に彼の父親に会いに行った。坂下もショックを隠せないでいたし、母親はずっと泣いていた。
その後、葬式でふたりに会ったのが最後だった。
「坂下さ、P大に家から通うんだって」
「まぁ、今だったらバイパス通ったし、車で30分かからないで行けるからね」
「今度3人で飲もうって話したから、飲めそうな日教えてくれよ。おまえのシフト次第だからさ」篠原が言う。
「そうだな。確認しとくよ」
3人で飲むという機会は今までも滅多になかった。でも坂下が帰って来たことで3人で飲むのも増えるかもしれない。
それからしばらく医者らしい話をした。時折、篠原とは専門は違うがいろいろ仕事に関係する話をすることがあった。
「あのさ、話変わるけど」
電子カルテの良し悪しを話して篠原が言った。
「オレの写真、撮ってくれないか?」
「へ?今?」
いきなりの話に驚いた。
「今っちゃ今だけど。今じゃなくても。オレを見かけたら、さっきの写真みたいに撮って送ってくれよ」
「なんで?」
「さっきも言ったけど、『自分ってこんなヤツなんだ』って自分のことたまに確認した方がいいかな?なんて思ってさ」篠原は言う。
「他人に聞いてもいいけど、言葉は相手のフィルター越しだからね。相手にとっては自分はそういう人間かもしれないけど、やっぱりそれは相手から見たオレであってオレってわけでないじゃない?」
「そうかもな」
「写真もさ。撮られると思って意識すると顔作るじゃん」
「まぁね。笑ってって言われても作った笑いで本当に笑っているわけじゃない」
「だろう?だから、たまたま偶然写った自分っていうのが本当の自分に思えてね」
篠原の言うことはわからなくはない。
「でもさ、おまえを偶然見かけるなんてなかなかないぜ?」
「うん。だからこそ見かけた時に撮ってほしい」
「盗み撮り?」
「あんまり変なところに行けないか?」
「そういうところで撮られるということは、俺もそこにいるってことで…」
「じゃあ、いいか」
ふたりで笑った。
篠原の家を出てすぐ、篠原に一枚の写真を送った。
すぐさま篠原からメッセージが届いた。
「オレ、こんな顔してたのかよ。っていうか、おまえいつの間に撮ってたんだ?」
篠原の家の玄関で、スニーカー紐を結び直している時にこっそり撮った一枚。撮った自分も写真を見るまで撮れているかどうかわからない写真。
篠原の玄関の扉が閉まり、スマホを取り出す。
写真は、だいぶ斜めだが篠原が自分を見送る顔が写っていた。
穏やかな、だけど少し寂しげな。
そんな顔で見送られていたのかと、思わず照れてしまうような顔だった。
「おまえも俺を見かけたら撮ってくれよ」
メッセージを返した。
少しして「おまえほどうまく撮れないと思うけどな」というメッセージと共に、おそらく2階から撮ったであろう自分の後姿が小さく写った写真が送られてきた。
その背中は自分が思っていたよりも小さく頼りなげで、少し寂しそうに歩いていた。