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雨の宮

「ザーザーと音を立てて雨が降るのならいいが、音も立てず、体がびっしょりと濡れてしまう霧雨の日は外に出てはいけないよ。出掛けてしまったら最後。アメノミヤサマの食われてしまうからね」
昔、ばあさまがよく言った。
となえも気をつけるんだ」
ばあさまは私から見れば曽祖母に当たる。
当時90を過ぎていた。
アメノミヤサマの話は、冗談でも何でもなく、町は霧の出る日は小中学校が休みになったし、学校に行ってから霧の出た日は親が迎えに行かなくてはならなかった。
「大人は霧の日でも大丈夫なの?」
「そうだなぁ、背丈が5尺を超えたら、歳も高校を終わる頃にはもうアメノミヤサマも食う気にはなれないようだ」
私には5歳上の兄がいた。
この町には高校はないので隣町やもっと遠くの高校に行く。
隣町の高校には車で30分。各家で送り迎えをしていた。遠くの高校から休みで帰省する時も、どこの家も必ず迎えに行き送っていく。背丈がいくら大きくても、油断をしてひとりで帰ってきた兄の先輩がひとり、バスを降りたが家に帰ることはなかった。
バスの運転手はひとりで降りるのを止めたという。
「大丈夫。俺はもう大人です」
そう言ってバスを降りたのは先輩の17歳の誕生日の2日前だったという。
兄は少し遠くの高校に通っていた。父の従兄の家に身を寄せていた。
帰ってくる際は、その従兄が送ってきてくれた。
家の前に車を停め、もしも少しでも霧が出てたら、兄と手を繋いで家に入る。
それを私に見られると兄が恥ずかしそうにしていたのを今でも覚えている。
私も兄と同じ高校に入った。
当時はもう家を出ていた兄と一緒に住み、兄が私を連れて家に帰る。違うのは、兄が再び学校のある町に行くときは、父か母が送って行ったが、来た時と同様に兄と一緒に家を出る。
家を出るときは霧のないのを確かめて家を出る。
私のふたつ上の先輩も小学生の頃、アメノミヤサマに連れていかれそうになったことがあった。
本人はよく覚えていないが、たまたま通りかかった駐在所のお巡りさんと、寺の住職さんとで、その先輩を助け出した。
最初に先輩を見かけたのは住職さんだった。子どもが霧雨の中にいるなんて、と慌てて作務衣姿で飛び出した。作務衣はみるみる濡れていった。見ると先輩の周りだけ急に霧が濃くなったのだという。慌てた住職は「誰か、誰かぁ」と叫んだ。すると、霧の中パトロールしていたお巡りさんが「何か?」と声を掛けた。住職からはお巡りさんの姿は見えなかったが声の聞こえる方向で「そっちに子どもがいるはず」と答えた。お巡りさんは先輩の姿をとらえたようで、自転車を置いて先輩の腕を掴んだという。住職も走って先輩の肩を掴んだ。ほとんど子どもの姿は見えない。文字通り手探りでそれは行われたという。
まるで水の中にいる魚を掴むようだったという。
霧などではない。水。盥か何かにためられた水の中に手を突っ込んだような感じだったという。
その水が子どもにまとわりつき、本来なら簡単に掴むことのできる子どもの体を別のものにしていたとふたりは口を揃えて話していた。
とにかく懸命に握った子どもの体を離さないようにした。
するとある瞬間、自分たちが掴んでいる子どもの輪郭がはっきり見えた。
そう思うと次の瞬間には自分たちを取り巻いていた霧が嘘のように晴れた。
子どもはその後3日ほど熱を出し、眠り続けた。
お巡りさんさんも住職もしばらくの間は体の芯が冷えているような感じだったという。
「皆、無事で何より」ばあさまは言った。
「いつもより早いけれども、モチヅキに…祭祀に来てもらった方がいいだろう」
年に一度。町に祭祀が来る。ひとりの時もあれば2、3人の時もある。
祭祀は「雨の宮」の結界の補強をするために来るのだという。
「相手は神だし、何と言ってもあの姿だ。結界の中に閉じ込めるのは不可能だ」とばあさまが言う。
それでも祭祀に結界を強くしてもらうのは、そこを通過することで、アメノミヤサマがお出でになったことを感知しやすくするため・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なのだという。
そしてそれを感知できるのはほんの少しの人間。我が家ではばあさまがそれを感知できる。
「退治はしないの?」
「神様だからねぇ」ばあさまは言った。
「大昔の約束を人が守っているかどうか?霧の日はアメノミヤサマ里の、町の悪しきものを食いにくる。つまり、悪いことがこの町で起きているということだ」
「どんな?」
「さぁ」ばあさまは微かに首を傾げた。
後から思えば、子どもの私に聞かせることではなかったのだろう。
「そんな日に、子どもを出歩かせたらいけない。子どもが悪きモノに染まってしまう。もしも、霧の中で子どもを見かけたら、悪きものになる前に自分が喰らう。アメノミヤサマはそれを実行されているだけだ」
ばあさまは108歳で死んだ。
そんな大年寄りには見えない、最後までしゃんとしたばあさまだった。
「若い頃は雨野宮神社の巫女さんだったからねぇ」
そう言ったのはばあさまの葬式に来た祭祀だった。
雨野宮神社はもう70年近く町役場が管理している無人の社だった。
そしてアメノミヤサマの住処でもある。
「お曽祖母ばあ様が女の子を産まなかったからね。巫女を継ぐ人ができなかったんだ。ひょっとして、それはお曽祖母様が望んだことかもしれないけどね」
祭祀は訳知り顔で言った。
「それでも、お曽祖母様の力は孫であるあなたのお母様の中に残っているようで安心しました」
大学を卒業した私は、町役場に勤めた。
「お世話になっております。環境管理課の大鳥です。今年も夏至のあたりでお願いしたいのですが。えぇ。アメノミヤサマは相変わらずお元気でいらっしゃいます」
不思議とこの町の人口は一定数で保たれている。
近隣の市町村は人口減少が見られるというのに…である。
治安がよく、少しだけ降水量が他の地方に比べて多いけれど、住みやすいといわれている。
「すべてはアメノミヤサマのおかげ」
祖父母をはじめとする町の年寄りたちは口を揃えて言う。
そうかもしれない。
町の住人は誰も霧の日に、子どもを出歩かせることはしない。