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下りの高速道路

荒野を下って何処か遠くに旅に出よう…そんなことを考える時があるけども、まずは荒野が見当たらない。
「残念な話だな」
N先輩はスコッチのロックを飲んでいる。
僕はその隣で同じ銘柄のハイボールを飲んでいた。
「昔のクリント・イーストウッドの映画で見た荒野に憧れるんです」
「許されざる者だっけ?」
「荒野の用心棒?」
「これまた古いね」
「祖父が好きだったんです」
「俺はダーティー・ハリーが好きだね」
「あ、それも好きでした。VHSっていうんですか?ビデオテープを祖父は持っていました」
「へぇ」
N先輩は全然イーストウッドに似ていない。
小柄だし、後輩の僕が言うのもなんだけど、普段の仕草とか顔立ちもだけど可愛らしいという形容がとても合う。でも、漢気あってカッコいいのは似ているのかもしれない。少なくとも映画の中のイーストウッドには。
「北海道とか九州に行くと荒野はあるのかな?」
「失礼なこと言うね。おまえ。きちんと整備されているから。原野はあるかもしれないけれども荒野はないよ」
先輩は横目で僕を見る。
「断言しましたね」
僕の方が上背がある。
小柄な上に先輩は背中を丸めるようにしてカウンターに向かっている。
「荒野を下るって馬かなんかで?」
「あぁ…車でいいです」
ふん、と先輩は笑った。
「今日は無理だけど、今度夜に車を走らせようか?行き先を決めずに」
「え?」
先輩は両肘をカウンターにつき、両手でグラスを持って、僕を上目遣いで見ている。目が大きくて綺麗な二重で睫毛も長い。男の人だとわかっていても、そんな目で見られるドキリとする。
「俺らが若い頃ってフラリと車走らせることあったんだけど、今の子はそういうのあんまりしないよね」
「ガソリンも高いですし」
「そうだよなぁ。昔は100円切ってたこともあったもん」
カウンターの中でマスターも頷いている。
「ガソリン代だけ見たらガソリン代の価格と給料の上昇率はまったくもってそぐわない」
N先輩は会社での会議の時のような言い方をした。

翌週末、僕は先輩の運転する車の助手席に座っていた。
コイントスをして高速道路の上りに乗るか下りに乗るかを決めた。
「荒野を下りたいんだったら黙って下りに乗れよ、ってことだよな」
コインは裏、下りに乗った。
出張も鉄道を使うことが多い。以前、会社の出張中にトンネル事故に巻き込まれて大事になって以来、会社は公共交通機関の利用を推奨している。会社の通勤も自分は電車だった。だから運転免許は持っていても自家用車は持っていない。
N先輩は時折遠くに見えるランドマークを指差して、あれは何処どこのタワーだ。今はこの辺を走っていると口にした。
先輩の車にはナビシステムはついていたが、今は画面がエコライザー状態だった。
「見ず知らずの場所に行くわけではないから」
先輩は笑った。
先輩が優しいのには理由があった。
僕の所属していたシステム開発チームが解散になったのだ。
会社の偉い人がしでかした背任事件の煽りをくらった形になる。
折角ゴールが見えていたものを、今更キャンセルされたのだ。
「荒野を下って行きたくもなるよ」
あの日カウンターでも話してた。
僕はまた古巣に戻る。先輩がチームリーダーを務めている部署に戻れることになっている。でも同じチーム内には遠くに行く者もいるし、外部スタッフとはこれっきりになるかもしれない。1年以上同じチームで頑張ってきたのに、こんな終わり方はあるのだろうか?
僕らが住む街を抜けたら、窓の外にはほとんど灯りが見えなくなった。
夜の高速道路など滅多に通ることはない。
少なくともこの一年は大きな仕事を任されたことで自分の中では常に充実していた。
それが呆気なく終わってしまった。
窓ガラスには少し泣きそうな自分の顔が映っていた。
その向こうでハンドルを握っている先輩の横顔はただただ前を向いている。
「そういえば、先輩眼鏡かけるんですね」
少し声が掠れながらも先輩に声を掛けた。
「これは夜運転する時用」
前を向いたまま素っ気なく答えた。
「ほかにも眼鏡あるんですか?」
「コンタクト出来ない時用のがある」
「普段コンタクトなんですか?」
「いや、裸眼」
「え?」
「遠くを見なくちゃいけない時だけだね」
「それはどんな時?」
先輩は少しだけ首を右に傾げた。
「プレゼン?」
「あぁ」
「誰が挙手しているか見えないんだ」
質疑応答の時のことを言っている。
「もう今は滅多にすることはないけど」
再び街の灯りが見えてきた。
「N市だ」
先輩が言う。
先輩はインターチェンジで高速道路を降りた。
「声を掛けられているんだ。新しい組織を作らないか?と」
「え?」
先輩は前を向いたままだった。
「事件が発覚する前からなんだけど、ずっと悩んでいて…。今回の件もあって、おまえにも声掛けられると思ったんだけど、どうかな?」
先輩は淡々と話を続けた。バックボーンはかなり大きな企業だった。
「それでも、一からになるのには違いないけどな」
街の灯りがグッと近くなった。
高速道路から見下ろしていた時と全然違う灯りに思えた。
「そっちのチームからどうやっておまえを引き抜こうか考えていたんだ」
本当だろうか?先輩は僕を信頼してくれているとそう思っていいのだろうか?
「今のプロジェクト終了後、少なくとも俺は抜ける。何人が一緒に抜けるかはわからない」
知らずに唾をゴクリと飲み込んだ。
隣接している町とはいえ、頻繁に訪れることはない。
「実は高速に乗るまでずっと悩んでいた」
先輩はこのタイミングで僕に声を掛けるのを躊躇っていたという。先週末ふたりで飲んだ時もずっと考えていたらしい。
「なんか如何にも…って感じだろう?」
ルームミラーの中の先輩は左側だけ口角を上げた。
「こっちに向かって走り出したら今日誘おうと思ったんだ」
「え?じゃあ、上りに乗ってたら?」
「そうだな…」
ようやく車は赤信号で止まった。
「来週にでもまた誘ったかもしれない」
N先輩が白い歯を見せた。
「えっと。一緒に行くの一択でいいですか?」
「後悔はさせない…なんて決して言わないけど、いいか?」
先輩が真顔で言う。
「なんかプロポーズみたいですよ」
「そっか?言ったことないからな。おまえ相手にプロポーズはなぁ。ないわ」
「僕はありです」
「うわぁ」
先輩は嫌そうな顔をした。
「ま、うまいラーメン屋があるんだ。それ食べて帰ろう」
高速道路上から見えていた灯りは、今、僕らの上に見えた。