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Stand by me

蒼月がこの町に12年ぶりに帰ってきたというのに、子どもの頃の仲間はみんな昨日も会ったかのようだった。
町の外れにある「デイジー」という店は昔からあったが、昔は夜にだけ開くダイニングバーだった。
「今は昼もやっているらしい。リーズナブルでボリュームもある料理でさ。シェアして食べても何も言われないから、俺らみたいなビンボー人にはちょうどいいんじゃない?」
情報通の夕輝の情報は確かで、あっという間に彼らの溜まり場になっていた。
溜まり場にと言っても仲間の星嗣は他県のそれも遠方の大学に行っているし、行介も連休には戻って来れるが他県の大学に通っている。
「タイミング悪いよな、地元に来年でかい大学できるってさ。今年からだったら絶対地元のに入ったよ」
行介のブーイングに星嗣も頷いていたのは5月のゴールデンウィークのことだった。
夕輝は高校卒業後は父親の仕事を手伝っているし、地元に12年ぶりに帰ってきた蒼月は、海外ですでに大学を卒業してきたので、今は来年の大学開校へ向けての準備の最中だった。
「編入可能だから受けてみるといいよ。一期目だから案外編入しやすいかもよ」
「そうしようかな?マジで」行介が言う。
「蒼月のじいさんってさ、すげぇ人だと知ってたけど、町ごと買っての再開発なんてすげぇよな」
「それは自分も思う」
「何年か前からなんかあちこちで工事してると思ってたら大学作っているっていうじゃん。もっとも早くしてくれって、なぁ星嗣」
「うん。あ、僕は編入受けるよ。薬学部あるみたいだから」
「マジ?どうしようかな?法学部もあるの?」
「あるよ」蒼月が言う。
「親父に相談してみるわ」
末孫のための学園都市作りだなんて、とてもじゃないけど他人には言えない話。そして、自分をグループの事業に携わらせるためのものだともやはり他人には言えない蒼月だった。

「おまえらどうでもいいけど、その狭いところにいつも4人並んで窮屈じゃねえの?」
マスターがカルボナーラを置きながら言う。でも今はまだ3人だけだった。
マスターの置いた皿はどう見ても一人前ではないが、これが普通の量とされていた。もっとも彼らは他のメニューも頼んでいる。
「シェアして食べるから狭い方がいいんだよ」夕輝が言う。
「あっちのテーブル席のがいいだろう?」
「やだよ。マスターとも話したいし」
「俺は忙しいの」
デイジーのマスターは三代目だという。初代は祖父二代目は父親。現在は初代は引退しての隠居状態。二代目は夜を切り盛りし、三代目は昼をメインで夜も手伝っているのだという。
「試しに開けてみたら、結構お客さん来てくれるからさ。申し訳ないけど俺の料理の練習というか研究というか」
「マスターは研究熱心なんですね」
初めて来た時、星嗣が感心していた。
その星嗣が遅れてやってきた。大学の長い休みの時でないと星嗣は帰ってこない。
「ごめん。待たせたね」
星嗣はカウンター席の端に座りながら言う。4人の中で一番背は高いが細っそりとしている。
隣で後ろ向きに座っていた行介が「走って来るの見えてた」と言って星嗣を見上げた。
「お疲れ。駅からまっすぐ来た?」と夕輝が笑顔を向ける。
「うん。荷物は別便で家に送っておいてたから」
「バイクで帰って来なかったんだ」
「うん。ちょうどね、修理に出してて。部品待ち?古いからね。部品がなかなかないって。ひょっとしたら、新しいのに変わるかもしれない」
「いいよな。身内にバイク屋いるのって」
「まあね」
星嗣と夕輝のやり取りの間も一番隅に座っている蒼月は、ずっと柱と棚の間の細いガラス窓からずっと外を見ていた。
「おい、セイちゃん来たよ」夕輝が蒼月の肩を叩く。
「あ、うん」
「なんだよ、ノリ悪いぜ」
「いや。ほら、あの人」
蒼月が窓の外を指差す。
窓からは川に架かる鉄橋が見える。その鉄橋のそばに女の人が立っている。長い髪をひとつに結い、水色のワンピースに白っぽいカーディガンを羽織っている。
「この暑いのにずっといるんだよね」
行介も今来たばかりの星嗣もその細い窓に寄って外を見た。
女は川の方を見て立っていたが、鉄橋の方に向かって歩き出した。
少し歩くと立ち止まる。
「ずっとあんな感じ」と蒼月は言う。
「妙な感じだな」と夕輝。
「行ってみた方がいいんじゃない?」と行介。
「俺、行こうか?」と星嗣が言った途端「ヤバそう」と蒼月が言い立ち上がった。
つられて3人も立ち、一斉にドアに向かって走り出した。
「マスター、カルボナーラは冷めてもうまいから、帰ってきたらきちんと食べるから」夕輝が言う。
幸い、ランチタイムと少しずれていたので、客は彼らの他に一組しかいなかったが、マスターも一緒に呆然と見送った。
女性は鉄橋に向かって走っていた。
4人の若い男がいくら追っても距離がある。
女性が鉄橋の橋桁にある細い階段を登って行く。
「鉄ちゃんには見えねぇな」走りながら夕輝が言う。
「カメラ持ってなさそうだし」行介が言う。
4人ともかなり足には自信があった。鉄橋に着いた時にはまだ女性は階段を登っていた。
「ちょっと、連絡入れとく」
そう言って蒼月がどこかに電話をした。
3人も階段を登り始めた。
女性は後から来た若い男たちにぎょっとしたようだったが、鉄橋を渡り終えると通路を速足で歩き始めた。
「こんなところあるんだ」
最初に登った行介が言った。
線路の脇に人がひとり歩けそうな幅の通路があった。線路とは鉄の柵で仕切られている。外側にも同じく鉄製の柵があるがどちらも大人だったら乗り越えられる。足元も鉄だが、格子状になっていて下を覗くことができる。そして、地上では感じなかった風を感じる。
前を行く女性のワンピースも風に膨らむ。
「うわっ、すげぇ」
続けて登った夕輝が声を上げる。
「あれ?高いとこ苦手?」
背後から星嗣が訊ねる。
「いや。むしろ好き」
「だと思った」
ふたりはお互いの顔を見てニヤリと笑った。
夕輝は行介の後を追って通路を走る。
カンカンという新たな音がして女性が振り向くのが見えた。
星嗣は最後に来る蒼月を待った。
最後、登り切る時に星嗣が手を貸すと「おかえり」と蒼月は言った。
「今、言う?」
「いいじゃん」
呆れ顔の星嗣に蒼月は笑顔で言った。
「どこに連絡してたの?」
「デイジーのマスター」
蒼月は、女性が飛び降りる可能性があるから、こっちを見ていてくれとマスターに頼んだ。女性が柵を乗り越えようとしたら警察に連絡してほしいと。絶対に4人がかりで女性を助ける、ともマスターに言っていた。
足音も増え、もうすぐ男に追い付かれると思ったのか女性は外側の手すりに手をかけた。
「待った待った」
行介と夕輝が女性に縋る。
「ん?」
最初に女性を後ろから抱いた行介が一瞬力を緩めた。でもそれは一瞬で、最初よりも強い力で抱きしめた。
夕輝は柵を掴んでいる女性の指をはがしながら、腕を掴む。
「ダメだよ。下はまだ河原だよ」
と夕輝はよくわからないことを言っている。
あとから来たふたりを見て女性は観念したのか、その場に崩れるように座り込んだ。そして声を上げて泣き出した。
女性を抱いたままの行介は女性と一緒にしゃがみ込んでいる。決して力を緩めようとはしない。
夕輝も女性の手を握ったままだった。そして片方の手で女性の背中をさすっている。
星嗣と蒼月はその様子をじっと見ていた。
「ここは暑いし、風も強い。お腹の赤ちゃんに良くないから、さっさと下に降りましょう」
蒼月が言う。女性を含めた4人が一斉に蒼月の顔を見た。

登るときは感じなかったが、鉄橋の階段はとても急だった。
「足元に気をつけて」と若い男たちが口々に言うのがおかしかったのか、女性はフッと笑った後「あっ」と小さく声を出した。
鉄橋の上から蒼月がマスターに電話を入れた。
警察にはまだ電話をしていないとマスターは言う。
蒼月が女性を連れて店に戻ると言うと、マスターは「冷たいもの用意しておくよ」と言った。
4人は女性を囲むようにして歩いた。
女性の左に立つ夕輝がそっと女性の背中に手を回している。
右側に立っている行介はじっと女性のお腹のあたりを見ていた。
デイジーに戻るとマスターが大きな丸テーブル席に案内した。室温が心地よい。5人が座ると、女性にはレモネードを、4人にはレモンスカッシュを出した。
「まずはすっきりして」マスターは女性のグラスにストローを挿して言った。そしてさっさとカウンターの中に戻っていった。さっきまでいたひと組の客は帰ったようだった。
行介がレモンスカッシュをひと口飲んで「しみるぅ」と声を上げた。3人もひと口飲むとそれぞれに「ふぅ」と息を吐いた。
「俺、レモンスカッシュはじめて飲んだ。結構美味いのな?」夕輝が言う。
「僕らも頼んでいない。マスターの奢りだから遠慮なく飲んで」
と星嗣が言うと、女性は遠慮がちにグラスに手を伸ばした。
「美味しい」
と女性は言った。
女性は西山香里と名乗った。
駆け落ちのように結婚した相手が先月に事故で亡くなったのだと言う。
「だからって香里さんまで死ぬことないじゃない」行介が言う。
葬儀の際にあった夫の母に、息子が死んだのは息子を連れ出した香里のせいだと言われたという。遺骨も位牌も夫の両親が持ち帰り、香里の手元には何も残らなかった。
「まぁ、あるよね。そういうこと」夕輝が言った。
「香里さんのせいにでもしないと収まらない気持ちってあるのはわかるけど、そういうことを言っていいはずはないんだけどね」とも言った。
「香里さんのご実家は?」星嗣が訊く。
連絡を入れていないと香里は言う。
「どうして?」行介が身を乗り出す。行介は丁度香里の前に座っていた。
「子どもができたときに連絡したんです。その時母が、自分たちには関係ないって言って電話を切ったんです」
「どうしてそんな?」行介が怒ったような顔で言う。
両親が進めていた縁談を破棄させるかのような、ふたりの駆け落ちだったのだという。
「うわあ、政略結婚?時代錯誤もいいとこじゃん」と夕輝が言う。
「政略じゃねぇよバカ」隣の蒼月が短く罵る。
「でもまぁ、親の都合の縁談だったわけですよね?」星嗣が言う。
香里は頷く。
「やっぱり時代錯誤じゃん」夕輝が言う。
香里は頷いたまま俯いてしまった。香里はこういう話を、自分よりも年下であろう男性たちにするのがなんだか恥ずかしなった。
「旦那さんという支えを失っての不安感から、あんなことをした。でいいのかな?」
星嗣が言うのに、俯いていた香里の肩が、キュッと窄んだ。
「辛いのわかるけどさ。赤ちゃん、いるんだよね?お腹に」行介が言う。
「俺、びっくりしちゃったもん。あんまり大きくないからわからなかったけど、鉄橋の上で押さえた時、お腹が硬くて、あ、ここに赤ちゃん居るんだ、と思ったら思わず力を抜いちゃったもん」
香里は現在妊娠6ヶ月。もうすぐ7ヶ月なのだという。
「その子は香里さんにとって要らない子なの?」
蒼月が言った。
次の瞬間、香里は泣き崩れてしまった。
蒼月以外の3人は泣き崩れる香里を前に狼狽えた。
背中をさすったり、自分のハンカチを差し出したり、蒼月に「なんとかしろよ」と言ったり、女性がこんなふうに泣くところを3人は、いや4人ははじめて見た。
3人が狼狽えている間に、蒼月は先に座っていたカウンター席に戻り、カウンターの上に置きっぱなしになっていた財布を持って戻ってきた。
落ち着いてきた香里に、蒼月は財布から取り出した名刺を渡した。
「ご主人のような支えにはなれないけど、何かあったらここに連絡して。力になれると思う」
「え?」
香里は蒼月を見上げる。
「そうそう。こいつはともかく、こいつのじいちゃんが凄いから」背中をさすっていた行介が言う。
香里はそっと名刺を手にすると、名刺の社名と肩書を見て驚いた。
「遠慮しないでね。こっちも名前聞いたから、いつでも香里さんには連絡できるんだから」蒼月はにっこり笑った。
「赤ちゃんを大事に。大切な子なんでしょ?」
蒼月の言葉に香里は何度も頷いた。

香里は夕輝と行介に送られて帰った。
帰る際にマスターが香里にサンドイッチを持たせた。
「時々お見えになってましたよね。ご主人と。泣かせるつもりはないんですが、いつもふたりで食べていたサンドイッチです。また来てください。待ってます」
とマスターが言った。

蒼月と星嗣はカウンター席に戻った。
また蒼月は一番端に座る。その隣に星嗣が座る。
「マスター、さっきのカルボナーラある?」蒼月が訊ねる。
「あるけど、美味しくなくなっているよ、もう。作り直すよ」
「勿体ないよ。レンチンして出してよ」
「カルボナーラをレンチンとは暴挙だな」
マスターが呆れたように言う。
「新しい味が出来るかも」星嗣が笑う。
「マスター、悪いけどさっきの頼んだ分に加えてサンドイッチもいい?」と蒼月が言うと「いいよ。サービスしてあげるよ。人助けの褒美だ」とマスターが言った。
マスターが店の窓にかかるロールスクリーンを下ろす。
「悪いけど、座っているところの、下ろしてくれる?日が入って暑くなるから」
蒼月が覗いていた細い窓にもきちんとロールスクリーンは付いている。
そうしているうちにふたりが戻って来た。
香里はデイジーからそう離れていないメゾネットタイプのアパートに住んでいるのだという。
星嗣の隣に行介が、その隣に夕輝が座った。密かに夕輝が星嗣を睨む。星嗣がふふんと笑う。
マスターが蒼月に言われたまま「不本意ながら」とレンジで温めなおしたカルボナーラを出す。続けてトマトソースとミートボールのパスタも登場した。
「炭水化物を思いっきり食べられるのも若いうちだけだからな」
4人分の取り皿と飲み物。蒼月と星嗣はアイスティー、夕輝はアイスコーヒー、行介はメロンソーダでカウンターテーブルはいっぱいだった。
「せめぇよ」
端にいる夕輝がぼやく。
「だからテーブルか、せめてこっちの方に座れよ」
マスターがカウンターの正面側を指して言う。
「あ、マスター、プレート準備中になってたよ」
行介が思い出したように言う。
「そういう時間だ」
壁の時計は3時を過ぎていた。
「悪いね、マスター」
蒼月は慌ててマスターに謝った。時間をちっとも気にしていなかった。そもそもランチ時間の後半に自分たちがやって来たのを思い出した。
「気にしなくていいよ。人命救助した良い子たちにサービスだよ」
「良い子って」夕輝が照れたように言った。
4人とマスターは「レンチンカルボナーラも悪くない」などくだらない話をしながら一緒に遅い昼食を食べた。
「ところでさ」
行介が蒼月の方を見て言った。
「何で香里さんが妊婦さんだってわかったの?」
蒼月は香里さんに触れていない。
「俺さ、妊娠している女性のお腹はじめて触った」
「俺も」
「夕輝ってお腹に触った?」
星嗣が言う。背中はさすっていたがお腹に触れていないはず。
聞くとふたりで香里を家まで送って行った帰り際にお腹を撫でてきたのだという。
「元気な子の生まれるおまじない」
「案外とかわいいことするんだな」とマスターが笑った。
「でさ。蒼月。おまえなんでわかった?」再び行介が訊く。
「ここから見てた時、ワンピースが風に揺れる時に香里さん一見細身だけどなんか不自然にお腹のところが膨らんでいたんだよね。だから、あぁ妊婦さんかって思ったんだ」
「うわぁ、いやらしいな。女の身体、知り尽くしてるん?」行介がひやかす。
「何言ってんだよ。観察眼と言ってほしいね」
蒼月は涼しい顔で、グラスの底のアイスティーを啜った。
「でもさ、俺たちのスタンドバイミーはあっという間に終わっちゃったな」行介が言う。
「死体発見なんていう形で終わらなくてよかったよ」と星嗣が言う。
「いやいや、こんなのまだまだ序章だよ。俺たちののスタンドバイミーはこれからだよ」と端っこの夕輝が3人を見て言った。
「その端で涼しい顔しているヤツと一緒ならば、俺たち人生退屈なんてしないよ」と夕輝が言った。
「かもな」と行介。
「そうかもね」と星嗣。
「いい加減な」と蒼月が言った。
そんな4人を見てマスターが笑う。
夏は始まったばかりだった。

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