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戦車・神社・番傘


現代において神社というものはとても重要なものだ。
神社の神主はこの国を守る要である。
神主は国の安寧をその言霊の力で守る。
祝詞はただひとつ。
「あなたとあなたの愛するすべての人に平穏な日々を」
神社を訪れた人は神に向かってそう祈る。
神が愛するすべての者に自分も含まれていますようにと願いながら。
「他所の国はどうかわからないけれども、この国はこの120年、戦争はもちろん大きな災害被害はない。それもすべて神と神の御使、神社の神主のおかげです」
「果たしてそうでしょうかねぇ」
大獄神社の神主は静かに笑う。
かつて、幸せは勝ち取るものだと思われていた時代があった。
「勝ち取る。奪ったものは奪われる。幸せは与えるものです」
この国を守る神社の神主は皆同じことを言う。

「ちょっと待って」
「何ですか?プロデューサー」
「台詞回しが何だか新興宗教的で今の状況を考えるとまずいんじゃない?」
「そうですかね?じゃあ、少し台詞の変更を相談しておきます」
「頼むよ」

雨が降っている。音もなく。そこにあるはずの赤い鳥居は烟る雨に包まれている。
黒い大きな番傘をさした神主が向こうから姿を現した。
「ご無事だったんですね」
「彼らは?」
駆け寄った役人の問いに、神主は今自分が来た方を振り向いた。
「行ってしまいました」
「え?」
「彼らの望んだ争う世界に」
役人たち誰もが「どうして」「またか」と、悔しそうに呟く。
「なぜ、この平穏な世界から逃れようとするんだ」
自分の愛するものとの安寧を望むならこの時代にいるべきだ、と役人たちは今までも幾人もの離脱者たちに言ってきた。
「この祈りの世界こそが人のためにあるものだというのに」
役人は汚れるのも構わず雨の中地面に膝をつき、握り拳を叩きつけた。

「どうだろう?アクションとかあると変わる?」
シナリオを読んでいた演出は無表情で顔を上げた。
「難しいです」
そっけない言葉にプロデューサーは苦笑するしかない。
「そこを何とか政府の肝煎だから」
演出家は、無言のまま再びシナリオに目を落とす。

今日も雨が降っている。
そこにかつてあった戦車は、鉄の塊ですらなかった。
神聖な森の中、散らばる破片からは血の匂いがする。
誰ひとり戻ってくることはなかった。
神主はふーっと深く息を吐いた。
「イコンと贄と血と。これでこの地も結界の要となった。この地から争いの世界を望む者は二度と現れることはない」
神主はそう言うともう一度深く静かに息を吐き出した。
それは己の内にあった炎熱を吐き出しているかのようだった。
「またひとつ、この世界ば安寧に近付きました」
それを語る神主はちっとも幸せそうには見えない。
「あなたとあなたの愛するすべての人に平穏な日々を」
神主の声は音もなく降る雨に吸い取られて消えていった。