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interval - 打ち合わせ -

先日、武器工場の爆発で大破した工業ロボットは、P社から輸出されたものだった。しかし、それは3年前に移送する船ごと何者かに強奪されたという。
僕が読んでいたのは、その時の事件の調査結果だ。工業ロボットを奪われた国=X国が国連に対して提出した調書。
P社からあの国が購入した産業ロボットが海賊に奪われた。奪われた後どうなったのか不明。海賊たちはそれを使ってどうこうできないだろう。第三者に売ったが大方の予想。だから、あそこに化学兵器工場を作ったのはそれを購入した第三者。おそらく反政府組織である。
それがあの国の政府の主張だった。
僕はNさんが持ってきた書類を手に取って読んだ。
驚いた。
なぜ、見逃していたのか?
「見逃すというよりは泳がしていた、が正しい」
「泳がすにしては、魚は大き過ぎませんか?」
「そうだね」
Nさんの声は少しハスキーな声だった。
Nさんとこうして話をするのは初めてだった。
以前、一度だけ作戦で一緒になったことがあったが、諜報部のNさんと現場作業員の僕らとは一緒に行動することはなかった。
何よりもNさんは清掃局の最古参で、僕ら清掃人スイーパーの中では生ける伝説的存在である。
「海賊騒ぎがテレビで報じられていた頃だよ」
海賊の仕業にして、工業ロボットを別の工場に設置したのは反政府組織でも何でもない、国そのものだった。
砂漠の中に作られた兵器工場。化学兵器の製造が周辺諸国にバレることもだが、何かしらの事故などで、工場で精製されている様々な薬品=殺生能力の高い化学兵器が流れ出ても被害が最小になるように考慮した結果だった。
「本部はすべて知っていたのですか?」
僕は読んでいた資料を置いた。
Nさんは僅かに首を傾げる。
僕よりひと回り以上年上であろうNさんだが、見た目が異様に若い。特別背が低いわけではないが、顔が小さく脚が長い。僕は制服を着用していたが、Nさんはスーツだった。スーツのラインのせいか華奢に見える。
ビジネスマンとして企業に潜り込むには自然な雰囲気。
が、きちんと鍛えられた肉体は清掃局のエースに相応しい。
小さな顔がすっぽり隠れてしまう手は、手のひらが大きいというより指が長いのだ…と僕は思った。ただ、その綺麗な長い指の、左手の人差し指の先に絆創膏が貼られているのが気になった。
「そうだね。P社は正しく製品をあの国に売ったということ。海賊に襲われたことで、積荷・船に関しては保険で補償されたこと。そして、奪われたはずの積荷が、別の港におろされたこと。そして、あの工場ができたこと。そこまではわかっていた」
Nさんは僕が読み終えた資料を回収した。
清掃局では、アナログ形式で開示される資料ほど機密性が高い。
この資料はこの話が終わるとテーブル脇のシュレッダーにかけられる。
シュレッダーは裁断するだけでなく、ボックスの下に溶解剤が入っていて、細かく切られた紙はそのまま溶かされる。
「あの国は、あくまでもあの工場を建てたのは反政府組織だと言っているのはわかっているよね?」
「はい」
「でも、その組織がどこにも見当たらないことも?」
「やはり、ないんですね?」
Nさんは頷いた。
「しかし」
Nさんは背もたれに寄りかかる。
打ち合わせ用の椅子だというのに、すっぽりと埋もれてしまいそうに見える。
「ないものの証明は難しい」
確かにそうだ。
「向こうは機械を失ったことでまたP社にロボットの購入に関して話をしてくる…と予想されている。向こうには機械を動かすためのプログラムは残っているからね」
僕らが解析したプログラムだ。
通常のバックアップだけでなく、奇妙に手間のかかるカード形式でのシステム保存。
デジタルに関して懐疑的なのはこちらも一緒だ。
「あれは受注生産だからね。これから注文を受けても納品まで半年近くかかる」
P社に潜入していたNさんは言う。
「向こうが動いても半年はこちらにも猶予はあるということだ」
Nさんは再びP社に潜入する。
「うちは日本人が少ないのがネックだよな」
ほぼ単一民族国家の日本では企業に潜入する際、やはり日本人の方がいい。
そして、その周りにいるのも日本人である方が目立たない。
僕は今回、Nさんのサポートとしてしばらくここにいることになった。
「日本は久しぶり?」
「任務ではほぼ初めてです」
日本には休暇のたびに帰っていた。誰に会うでもなく、清掃局が用意してくれたセーフハウスで数日ぼんやり過ごすだけだったが、それでも日本に帰っていた。
「優秀なキミをボディガード代わりに使うのは気が引けるけどね」Nさんは言う。
「銃が使えないから面倒かもしれないけどよろしく」
僕はといえば怪我の回復と、日頃携わることのあまりない諜報活動とで、どれだけNさんの役に立てるのかわからない。
「事情を知っているのがひとりじゃないというだけでだいぶ助かるよ」
とNさんは言った。
「そういうものなのですか?」
「そういうものなのです」
Nさんが僕の口調を真似て頷く。
「じゃあ、次に会うときは日本になるね」
Nさんは立ち上がり、書類をシュレッダーにかけた。
最後の一枚をかけ終わった後、Nさんはふと絆創膏をしている指先を見た。
「それ。どうしたんですか?」
「あぁ」
Nさんは少し恥ずかしそうに笑った。
「紙でね。よく切るんだ」
ひょっとして今シュレッダーにかけた書類で切ったのだろうか?
「そう。さっきね」
「すみません」
「君が謝ることないだろう?乾燥肌っていうのかなぁ」
とNさんは指を広げた両手を見る。
「だから絆創膏は必須なんだ」
上着のポケットから一枚絆創膏を取り出した。
「あげる。少しの傷ならすぐ治る魔法の絆創膏だよ」
僕は「ありがとうございます」と絆創膏を受け取った。
それは日本のメーカーの絆創膏だった。