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【小説】ペデストリアンデッキの舞姫と焼けた靴 11

第五章 (1)


 里奈は上司に「看病の必要が無くなったので、明日から出社したい」と申し出た。
 正直働く気持ちにはなれないが、働かなければ生きていけない。ましてや夫の裕貴はあんな状況でしばらくは入院することとなるだろう。
 自宅は連帯債務でローンを組んでいたし、自分が働かなければ……という義務感だけで、里奈は無理やり重い腰を上げた。

 翌朝、里奈は朝のミーティングの前に部長のもとへ行くと、部長は首でくいっとミーティングルームを示し、場所を移すことを促した。

 ミーティングルームに入るなり、部長は腰掛けもせずこう言った。

「どういうつもり?」

 部長は里奈が想定していたより温度感が高く、その表情からは怒りが見て取れた。里奈は少々困惑した。迷惑をかけたことは事実だが、数日の休暇は病気などの理由でも起こりうることで、豊富な経験をもつ部長が部下の数日の休みでここまで怒りを露わにすることは違和感があった。

「この度はご迷惑をおかけしまして申し訳ありません」

 謝ることしか里奈には出来ないのでひとまずこう詫びると、部長はその言葉にさらに腹が立ったと言わんばかりに次にはデスクを乱暴に叩いた。

「貴女、この前私が話した異動の話が気に食わないなら、その場で言えばいいじゃないの」

 休みに入る前に異動の話が出ていたことを、もちろん里奈は忘れてはいなかった。だが、唐突にこの話が始まり、何と返答して良いか分からない。

「真山さん、貴女ご主人と関係が悪いんですってね。単に仕事上のことで単身こちらに来ているだけじゃないって聞いたけど、これは本当?
 今回の辞令、貴女なら理解していると思ってわざわざつけ加えなかったけど、まだ内示段階のものよ。それを『承知しました』なんて返事をしておいて、裏では『別れようとしている夫との自宅の近くに飛ばされていい迷惑だ』なんて言ってまわるなんて。
 部下の管理が出来ていないとされて私はとんだ恥をかいたわ」
「ちょ……ちょっとまってください。部長、いったいどこからそんな話を……」
「しらばっくれるつもり? だいたい、今回の休みはなに? 家族の看病なんて体のいい理由を良くも言えたものね。二日くらい都内のホテルに居たこと、こちらは分かっているのよ」

 里奈は返答に窮した。何故、部長はごくごく家庭内の事情や里奈の所在地まで把握しているのだろう。誰かがリークしたとして、その人物は何者だろうか。里奈は異動の話をまだ誰にもしていない。夫にでさえだ。
 またぞわぞわとした恐怖を感じた。〝誰かに仕組まれている〟それは、職場の中にまで入り込んできている。

「おっしゃる通り夫との関係はあまり良いものではありません。看病と言いましたが、実際には夫が精神的にかなり追い詰められた状況になっているため、遠隔地ではありますがそのフォローにあたっていました。実際出社できる状況になかったことは事実です。
 また、誓って言いますが、私は異動の話を誰にもしていません」

 かなり切実に訴えかけるように里奈は部長に話をした。しかし部長は聞く耳をもたなかった。

「貴女、もう少し頭がいいと思っていたわ。失望したわ。……分かっていると思うけど、異動の話は無かったことに。話は以上よ」


 部長退室後、里奈はしばらく呆然としたまま会議室の椅子に腰かけていた。部長に進言が出来る距離にいる人物で、里奈を良く思わない者は何人かはいるだろう。異動の話もどこかから入手した可能性はある。
 だが、里奈と里奈の夫のことは極めてプライベートなことで、神田で単身で暮らしていることを知る者はいても、その関係が悪いことは会社の誰にも話をしたことがなかった。
 ごくごく身近なところに、現在里奈が置かれているすべての状況を把握する者がいる。そう考えるのが自然なことだった。

 里奈はその日、数日連絡が取れなくなったことに対し客先や社内などお詫び行脚となった。
 夕方頃あらかた挨拶が終わり、事務的な処理はまだまだ残していたが里奈はいち早く退勤した。渋谷へ向かうためだ。
 〝おじいさん〟に手土産を購入するとさっそく公園へ向かった。

「ああ……あなたはこの前の。まだ凍死した女性のこと調べてるんですか。これ以上、私からは何もお伝えすることはありませんよ……」
「いえ、あのつまらないものですが、こちらを差し上げたくて」

 里奈は日本酒を見せた。話題になった銘酒だ。おじいさんが何を喜ぶのか何一つわからなかったので、とりあえず酒好きな自分が確かと思うものを選んだ。おじいさんには一瞬の間があったが、すぐに破顔した。

 同一人物と言われている踊っていた女性について尋ねたが、あまり詳しくは知らないようだった。だが、次におじいさんの口からは驚くべき事実が明かされた。里奈と同じように踊っていた女性のことを訊ねてきた人物がいるという。

「『あんた、この辺にいつもいるんだろ。ここで一時期こんな女の人を見てないか。なんかあのペデストリアンデッキで踊ってたって話聞いたんだが』と写真を見せてきました」

 その口調を真似るようにおじいさんは言った。あんた、から始まる少々ぶらっきぼうな物言い。里奈は数日前まで毎日自宅で会話していた相手を連想した。
 いつ頃、その男が来たのかを訪ねたが、おじいさんはペデストリアンデッキで女性が亡くなった後としか覚えていないという。あ、そうそう……といって、おじいさんはニヤリと笑うと古びたバッグから一枚名刺を取り出した。

「その男は感じが悪いので教えてやらなかったが、その踊っていた女性の働いていた店はコレですよ。どうぞお役にたててください」

 そういってカッカッカと笑った。よほどおかしいのかずっと笑っているおじいさんに、里奈は礼をいうと名刺を受け取って早速その店へ行ってみることにした。地図アプリで調べると数分の距離にあるガールズバーだった。

 ガールズバーは雑居ビルの1フロアにあった。扉の前で一瞬躊躇したが、ここまで来たら開けるしかない。里奈は思い切って開けた。
 開店前のようで女性が一人、準備をしていた。女性の里奈から見ても惚れ惚れするような綺麗な子だ。気後れしたが、向こうからフランクに話しかけてきた。

「あ、すみません。まだ営業時間じゃないんですー。あれ、お客さんじゃないですね? バイトの面接? 違うか、アハ、スミマセン」

 〝舞姫〟については、心当たりがあるようだった。

「ユキでしょ? 一時よくキャストで入ってたね。お客さんとモメてクビになったけどね。
 てかさ。あのの正体、知ってますか?」

 正体……? 里奈が首を横に振ると、その女性顔を寄せて小声でこう言った。

「見た目めっちゃ可愛いんだけど、実は、〝おとこのこ〟なんですよ」
「えっ」
「ね、ビックリでしょ?」

 里奈の反応に女性は満足げに笑った。動画を何度か見たが、舞姫が男であるなんて疑いもしなかった。そう言われれば少し中性的な顔立ちだが、メイクをしていることもあってどこからどう見ても女性にしか見えない。

「ま、クビになってからのことは、うちもこれ以上分かんない。開店準備あるから、こんなとこでいい?」

 里奈は礼を言うと店をあとにした。まとまらない思考のまま、次に行く先はひとつしかなかった。
 リョウの勤め先の整体院~Yurara~だ。


「コンバンワ~。あれ、真山さん! 久しぶりだね」

 Yuraraの店長、ソンが出てきた。自宅の前で倒れていたリョウを介抱し居候させることになる前は、週1くらいのペースで里奈はこの整体院に来ていた。

「最近こないから心配していたよ。ボディケアでいい?」

 ソンはニコニコとした表情のまま準備にとりかかろうとした。

「あ、ソンさん。違うの今日はマッサージに来たんじゃなくて……。ここで働いている、リョウさんって整体師を探しているの」

 ソンが真顔になった。そして目が左右に少しだけ動いた。

「……リョウは……失踪したよ」

 ソンの言葉を里奈は瞬時にウソだと判断した。明らかに不自然な間があったからだ。

「失踪したって……。あの人、指名客たくさん抱えているんでしょ? どうしてるの?」
「そ……そそそそう! だから私、困ってるんだよ。なんで、真山さんリョウを探しているの? まさか、真山さんもリョウを指名したいの?」
「そういうことじゃないの。どこにいるか知らない?」
「ともかく、リョウはここにはいない!」

 強くソンに言われ、里奈はそれ以上追及出来なかったので、仕方なく一度諦めて帰宅することとした。帰り際にソンに施術はしていかないのかと問われ、申し訳ない気分にはなったが、他のことを調べたい気持ちのほうが勝った。


 自宅へ戻ると、里奈はコンビニのおにぎりを頬張りながらビールを開けた。ここ数日まったく酒を飲んでいなかったが、今日は少しアルコールで気持ちを和らげたい気がした。

 一体、社内の誰が部長にそんな話をしたのか。
 実は男だという舞姫は女優とどういう関係なのか
 そして亡くなったというのは本当なのか
 叔父の志朗はどう関わっていたのか

 里奈の脳内には目まぐるしくこれらの情報が入れ替わり立ち替わり出入りするが、どれひとつストンと腹落ちするものがない。

 ソンさんは恐らくリョウを庇っているんだろう。ほとんど自分の事を語らないリョウが、勤め先の整体院の店長は何も聞かず雇ってくれた恩人と言っていたことがあった。

 そう言えば……と里奈は考えた。踏切事故の現場を見に行ったときに、リョウに制止されて結局表札を見ることが出来なかった。
 女優が嫁いでいた家と志朗は何らかの関わりがあるはずなのだから、せめて名前を知ることは出来ないだろうか。
 そう思った里奈は地図アプリを開くと、踏切事故の現場をパノラマビューで確認した。そこから先日歩いた通りに道を進んでいき、あのおばあさんに教えてもらった家に進んだ。

「あった!」

 里奈は思わず声を上げた。
 マウスホイールで玄関のあたりを拡大した。画素が高くないので読めないかと思ったが、なんとか表札が読めそうだった。

『結城』

 マウスを持ったままの里奈の手は次第に震えだした。里奈はこの名前に見覚えがあった。

——真山さん、はじめまして。今日からお世話になる、結城ゆき智哉ともやです。
——ゆうきじゃなくて、ゆきって読むんだ?
——そうなんです。めずらしいですよね? でもこれで、一発で覚えてくれますよね?

 舞姫の名前はユキ。そして男だという。

——あんときは子供が可哀想だったねぇ

 叔父が関与していた誹謗中傷の相手である女優には子が居た。

 結城智哉なら、うまく立ち回って異動の内示を入手したり、私のプライベートな情報を部長に進言したり出来そうだ。
 彼はそのくらいの社交性を持っていた。
 そしていつも感じていた。睫が長く鼻筋の通ったその容姿は、実に〝美しかった〟のだ。

 里奈は、その晩、一睡も眠ることが出来なかった。


つづく

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