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【小説】ペデストリアンデッキの舞姫と焼けた靴 12(最終話)

第五章 (2)


 一睡も出来なかった里奈は、身支度をして出社した。睡眠不足をやり過ごすためエナジードリンクを飲み干しさらにはカフェインを摂取して、朝のミーティングに出た。その後、智哉に声をかけた。

結城ゆきくん、ちょっと……」
「おはようございます。なんですか? お客さんでも紹介してくれるんですか?」

 智哉はいつものテンションで里奈に接してきた。たまたま空室となっていた応接に入るとストレートに訊ねた。

「あなた〝舞姫〟なの?」

 里奈のその言葉に、結城ゆき智哉ともやは一瞬今まで見せたことの無い表情を見せた。それは今まで見た中で最も〝美しく〟里奈にゾクリとした恐怖を抱かせた。

「続きは今晩、居酒屋でどうですか? 里奈さんちの近所でいいですよ」

 ニコニコとした表情に戻ると智哉はそう言った。突然上司を〝里奈さん〟と下の名前で呼んでくることも、以前なら智哉の軽い性格がゆえと考え違和感なく流しただろう。だが〝仕組まれていた〟ことを理解し、その仕組んでいた誰かがこの結城智哉だと思うと、それすらも怖ろしいことのように思えた。

 硬い表情となった里奈を見て智哉は「あとでチャットしますね」と言うと、応接を出て行った。


 その夜、居酒屋に行くと智哉はすでに店内で待っていた。その様子は普段と何ら変わらず、里奈は眼前の青年が本当に〝舞姫〟なんだろうか、と改めて考えた。
 二人はいつものようにまずは生ビールを頼んだ。それからつまみを2~3品注文すると、運ばれてきたジョッキをあわせ乾杯をした。
 恐らく今、誰に聞いたとしても里奈と智哉は普通の会社員の男女が仕事帰りに一杯飲んでいると見られるだろう。だが、一口ビールを飲んだあとに智哉はこう言った。

「昼間のご質問の件ですが。
 その通りです。僕は結城祐実子の息子です。
 動画、ご覧になったんですよね? あの〝舞姫〟って呼ばれてるの、僕です。どうでした? 結構イケてたでしょ?」

 そう言うと智哉はアハハハと笑った。
 里奈は抑えきれず質問の数々を智哉にぶつけた。

「部長に私と夫の事を話したのは貴方?」
「そうですよ。だって、里奈さん、旦那のいる家になんて帰りたくなかったでしょ? 里奈さんははっきりとは言わなかったけど、旦那とうまくいってないのバレバレでしたよ」
「でも……部長から異動の内示を受けたあの部屋は、防音がしっかりした部屋だったはず。私、異動の話は誰にもしていない!」
「部長よりもっと偉い人と僕のじいちゃんが友達なんですよ。僕、あの会社にもその人のコネで入ったんです。だってじゃなきゃ入れないでしょ。僕、大学中退だしね」
「なんの目的でこんなこと……?」

 被せた里奈の質問に、智哉は少しだけ考えるような素振りをした。

「目的って……。まぁもはや、そんな大した目的はなくなっちゃったんだけど……。
 里奈さん、自分の叔父さんが何をしていたのか、分かっていますか?」

 長い睫をもつ大きな瞳に見据えられ、里奈は言葉を失った。

「ハハハ、そんな顔しないでくださいよ。逮捕されるまで何も知らなかったんですもんね。それ、里奈さんのせいでもないし、気にする必要はないですよ。
 でもね、里奈さんの叔父さんは、長年に亘ってずっとずっとずーーーーーっと、僕の母の誹謗中傷をネットに書いていたんです。だいぶヤバイ奴ですね」

 智哉は笑顔のまま話を続けた。最初に口をつけたきりの里奈のジョッキについた結露の水滴がテーブルに滴り落ちた。

 智哉は子供のころ、母が突然亡くなったと聞かされたときのことから話を始めた。

——お坊さんも焼香も参列者もいない〝葬式〟。
 その異常な状況に違和感すら持たなかった幼い自分。

 母親の存在を突然奪われた自分は、ただただ記憶の中の美しい母を想っては毎夜眠った。祖父と父は家業で忙しかった。祖母は自分にとって母の代わりになどならなかった。

 次第に、自分は母の化粧品で化粧をするようになった。芸能人をしていた母はメイク道具を多数もっていた。その全てを父は処分せずに押入れの奥にしまっていた。
 最初はメイクの仕方もなにも分からなくただ塗りたくったので、まるで自分の顔はピエロみたいだった。そのピエロみたいな顔を鏡で見るのが楽しく〝化粧〟は小学生の自分にとって、何より楽しい遊びとなった。

 中学にあがった頃、思春期を迎えた周囲の女子たちが少しずつメイクをするようになった。それを見ていたら「自分のほうが綺麗にメイク出来るんじゃないか」と考え始めた。
 動画サイトのメイク指南動画などを見ながら、久しぶりに母のメイク道具を使ってみた。
 仕上がった自分を鏡で見て、まともにメイクした事もない割にはまぁまぁ上出来ではないかと思った。

 何より、記憶の中の母の姿に自分は似ている気がした。

 それから時折、メイクをして母の洋服を着て街に出るようになった。よほど変装がうまいのか、ほとんど誰にも正体はバレることがなかった。ただ一人、高校の軽音部の先輩、駒場をのぞいて。
 駒場はメイクをした自分に気づいて街で声をかけてきた。

「ユキだろ? なにしてんのこんなところで」

 恥ずかしさのあまり俯いたら、駒場は
「おまえ、めっちゃ綺麗だな! そうしてると見違える」
「ステージで演奏するときメイクしたら映えるんじゃん」
 といって喜んだ。

 結局、二人にはセンスがないのか軽音部での活動は頻度が減り、ステージで演奏することもなかったが、それ以来駒場とはしょっちゅう会話する仲になった。

 母が実は生きていることを知り、その誹謗中傷の被害を知ったときにも、真っ先に駒場に相談した。

「その駒場って先輩と二人で、母を誹謗中傷していたアカウントが里奈さんの叔父さんだって、突き止めたんですよ」

 智哉は上京して、叔父の志朗に近づき母への手がかりを掴むためにガールズバーで働きはじめたことに話を進めた。

 まるで普通の昔話をするように語る智哉に対し、里奈は言葉を発することが出来ないでいた。
 叔父の志朗が行っていた誹謗中傷の悪質さが里奈の想像をはるかに上回っていたこと。そこに加え、そんなに前から叔父の志朗と智哉が関わっていたこと。何より自分は今まで何一つ知らなかったこと。
 全てが里奈にとってはキャパシティを超えた事だった。

「里奈さん、今日は酒の進みが悪いですね。お酒かえます?」

 一方の智哉はまるでいつもと変わらない対応をしながら昔の話を続ける。

「お酒は大丈夫。ごめん、私なんて言っていいかも分からない。ごめんなさい」

 そう言って里奈は頭を抱えた。

「まだ、話は続くんでもう少し聞いてくださいよ。それにそのビールくらいは飲まないと、お店に失礼ですよ」

 里奈は目の前のジョッキを見た。とっくに温くなっている黄金色の液体はいつもの里奈なら大好物のはずだった。だが今日は飲む気持ちになれない。
 里奈は半ば強引にそのジョッキを持つと自分に流し込んだ。

「結局ね、叔父さんを追い詰める直前くらいで全部ばれちゃって。僕、めちゃくちゃ殴られましたよ。里奈さん、叔父さんってDVの気ないですか?」

 里奈は目の前の智哉の笑顔が歪んだように感じた。だが、それは智哉の顔だけでなく自分の周囲も含めすべてが歪んでいた。
 体調の異変に気づいた里奈は、それが昨晩の睡眠不足のところにアルコールを摂ったからだろうかと考えた。だが、それにしては急激すぎる気もした。自分で自分を支えることも覚束ない。

「大丈夫ですか? 里奈さん。昨日、僕の正体に気づいてとても眠れなかったですよね? 効きすぎ・・・・ちゃったかな?」

 里奈はそこで意識を失った。


 次に意識を取り戻したときには、里奈はタクシーの中にいた。声を出したいが出すことが出来ない。
 里奈には横に座り遠くを見つめる智哉が見えた。多分これはあのビールに何か薬物でも盛られたのだろうとぼんやりと思ったが、判ったところでどうすことも出来なかった。

 タクシーは人気ひとけのない公園の近くに停車し、智哉は会計を済ませ里奈を抱きかかえるようにして降車した。そのまま里奈は公園のベンチに座らされた。

「里奈さん、1年くらい前に舞姫が亡くなったって聞いたんですよね? あれ、僕じゃなくて僕の母なんです。お母さんを助けてあげたくて貴女の叔父さんに近づいたのに、死んじゃうなんて……。

 僕ね、母がこの渋谷で本当に死んでしまったと聞いて、もぬけの殻になってしまったんです。でもね、里奈さん貴女の事を知って、また馬渡志朗への憎しみが湧いてきたんですよ。
 今までの中で、もしかしたら一番腹が立ったことかもしれない。

 貴女の叔父さんが、人を散々地獄へ突き落しておきながら、自分は一般人みたいに楽しそうに生きているんだもん。

 そんなの許されますか?

 馬渡が逮捕されるよう差し向けたのは僕です。
 母は社会的にも抹殺された。だから叔父さんにも同じような目に遭ってもらうつもりなんです。

 だから、貴女に近づいたんですよ。

 馬渡志朗からはとことん奪いつくさないといけない。だから今、きっと馬渡が大事にしているであろう貴女も奪うんですよ」

 そう言うと、智哉はウイスキーのボトルをバッグから出すとプラカップになみなみと注ぐと、里奈の唇にあてがった。

「お酒が大好きな里奈さん、死ぬなら急性アルコール中毒がお似合いでしょ」
「……!」

 抵抗したくても小声程度しか出ない。首を振って避けようとしたが、動けないよう智哉に頬を強く固定された。もうダメかもしれない。恐怖で、里奈は目を瞑った。

 次の瞬間、唇にあてられていたプラカップが外れ、地面にこぼれた。強い力がかかったような音が聞こえた。
 少しだけ口の中にウイスキーが入り里奈はむせて咳き込んだ。
 うっすらと目を開けるとそこにはリョウが居た。
 智哉は地面にしりもちをつくような体勢になっており、リョウを見上げ驚きの表情をしている。

「リョウさん……なんで」

 智哉がそう訊ねると、リョウは智哉を見下ろしたままこう言った。

「『焼けた鉄の靴で死ぬまで踊ることになるのは私だけで十分』
 そう、祐実子に言われてるんだよ」

 リョウは智哉を抱き起すと、里奈のほうに向きなおりこう言った。

「もう少しで、ここにソンさんがくる。あの人は毒消しの薬やら、なんかいろいろ持ってるから、あんたの体調も戻してくれる。今日のことは悪い夢でも見たと思って忘れろ」

 そのまま智哉をひきずるようにリョウは居なくなった。

 翌日の朝、里奈はYuraraで目を覚ました。

 あの後リョウの言う通り、自家用車でやってきたソンは、里奈の様子をみてすぐに何種類かの薬を服用させた。
 そのまま自分の整体院まで里奈を運ぶと「まずはよく寝て!」そう言った。里奈はそのまま再び意識を失った。

「ソンさん……」

 目を覚ました里奈は、事務室にいたソンに声をかけた。ソンは粥を作るとそれを里奈に勧めながら話を始めた。

「リョウから、少しだけ真山さんに説明しておいてと言われてるから話すね」

——リョウと祐実子さんがYuraraの求人を見てやってきたのは、2年前だった。
 二人はもともと別のサロンで整体師として知り合い、行くあてのない祐実子さんをリョウは自分の家に匿って共に暮らしていたらしい。
 
 祐実子さんは嫁ぎ先を追い出された後、職を転々としていたみたいだけど、祐実子さんに対するネットの誹謗中傷は、収まったかと思ったら再び火を噴いたり終わることがなかった。そのたび祐実子さんは住む場所と職業を変えるしかなかった。容姿端麗なので何処に行っても目立ってしまうからね。

 リョウはそんな祐実子さんを不憫に思って、前のサロンでいろいろと世話を焼いたりしているうちに、二人は一緒に暮らすことになった。祐実子さんは過去の罪を背負い常に自分を責めて生きていた。だからリョウの思いを受け入れようとしなかったけど、リョウはそれでもいいと思っていたらしい。

 でもある日、再びネットに祐実子さんのことが載って、それが渋谷での目撃証言だったから、前のサロンのオーナーから辞めてくれと頼まれたらしい。仕方なく二人はYuraraに来ることになった。
 まぁ私としては、リョウみたいな凄腕の整体師が来てくれて大歓迎だったけど、二人はいろいろ大変だったみたいね。

 ある日、祐実子さんが動画サイトで自分の過去のCMを真似して踊る動画を見つけたのね。
 真山さんももう分かっていると思うけど、それが息子智哉くんだと気づいた祐実子さんは、元夫の結城宗一郎氏に連絡をとり、智哉くんを止めるよう依頼したらしいのね。

 ところが宗一郎氏は祐実子さんがリョウと暮らしていることを知り憤慨し、話を取り合わなかった。その上、リョウに危害を加えるような発言もした。

「おまえは生涯独りで苦しみ続けろ。それが俺への贖罪だ」

 宗一郎氏はそう言ったらしい。

 真山さん、貴女の叔父さんである馬渡が長年に亘り、祐実子さんの誹謗中傷をネットに載せ続けていたのは、宗一郎氏の依頼を受けてのこと。

 馬渡は宗一郎氏の大学の後輩でちょこちょこ汚れ仕事を請け負っていた。二人がどういう経緯でそういう関係になったかは知らないけど、リョウは宗一郎氏の性格を考えると弱みでも握られてるんだろうと言ってた。
 宗一郎氏はそういう人だと。

 ゆがんだ愛情を持っていた宗一郎氏は、今までのネットの誹謗中傷も全て自分の手配だと平然と祐実子さんに話したらしい。

 それを聞いた祐実子さんは、リョウと何より最愛の息子を護ることも出来ないことに絶望し、ある夜CMのときの衣装を着てあのペデストリアンデッキで踊ってそのまま低体温症で亡くなったの。
 睡眠薬とともに度数の高いアルコールを飲んでいたらしい。

 遺体の身元引受人として警察に行ったリョウには、祐実子さんの手紙が残っていたそうよ。終わらない悪意の連鎖を断ち切りたい。
 智哉には幸せに生きてもらいたい。そう書いてあったと。

 リョウはその後、祐実子さんの遺志を引き継いで、智哉くんと接触を図った。ところが、宗一郎氏も祐実子さんの半年後くらいに病気で亡くなったから、智哉くんは結城家の会社を辞めてしまっていたのね。

 やっと都内で発見したとき、すでに智哉くんは真山さんの勤める会社で働き始めていた。それが、何を意味するのか理解したリョウは、祐実子さんを喪って哀しむ同士として智哉くんに近づいて、まずは自分が真山さんを監視する役目を買って出ることで、智哉くんを止めようとしたんだと思う。

 リョウが貴女の家に居候したのは多分そういうことだと思う。まぁ、これは私の想像だけどね。

 翌々日、ようやく体調が回復した里奈が会社に出社すると、智哉が退職届を置いて失踪したと聞かされた。

 智哉の行為は、警察に届ければ傷害罪に該当するだろうと思った。だが、Yuraraで真相を聞いた里奈にはむろん警察へ届けることなど出来なかった。
 何より叔父の志朗が行ってきたことが罪深い事と、その行為を依頼したのが智哉の父であるという状況は里奈にとって言いようのない闇だった。
 依頼を受けていたからといって、志朗の犯した罪は赦されるわけもなく、知ってしまった自分ももはや以前のようには戻れない。

 だが、里奈にとっての唯一の救いは、息子の幸せを最期まで祈った祐実子さんの存在だった。その想いを無駄にしてはいけない。闇の中の一筋の光は、目の前の人生を逃げずに生きるよう照らした。

 半年後、真山里奈は夫の裕貴と正式に離婚が成立した。


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