【小説】ペデストリアンデッキの舞姫と焼けた靴 5
第二章 (2)
〝マワタリシロウ〟
その名前を知ったとき、ユキは全身の血が逆流するかと思った。
きっかけは、駒場との会話だった。
「特定班って知ってる?」
駒場によるとネットの世界は匿名だと思って軽はずみな発言ばかりしたり、誹謗中傷をしているとしっぺ返しをくらうことがあるらしい。弁護士に任せれば投稿者の開示請求も出来るし、特定班と呼ばれている、些細な写真やら言動から住所などの個人情報を特定することに長けている人たちがいるらしい。
「お母さんのブログ荒らしてる人たち、特定出来ないかな」
すぐにユキは高校生の自分たちにそんなこと出来るはずもない、と思った。それに、特定したところで、コメントをしてる人たちは面白がっているだけで、母に繋がる手がかりなどないのではないか。
「まぁ、ほとんど無駄かもしれないけど、何だっけ? やたら粘着にコメントしてるヤツいるって言ってなかった? 案外そういうヤツって、昔はファンだったとか、個人的な恨みがあるとかそういうこと多いらしい」
ユキたちは、特定班と呼ばれる人たちがどのように個人情報を特定してるのかを調べた。本人がアップした写真やささいなつぶやき、そういったものから個人情報につながるヒントを丹念に探していくらしい。途方もない作業に思えたが意外にも駒場はノリノリだった。
まずは母のブログに5回以上コメントを寄せているアカウントを絞り込み、ユキと駒場で担当を決めた。
その後それぞれを調べ始めたが、ほとんどのアカウントはコメントするためだけにアカウントをとっているようで、個人的な内容を自らのブログにあげていなかったり、あげていてもかなり古いものだったりで、なかなか思うように作業は進まなかった。
最初に気になった〝HORSE〟もブログはほとんど更新されておらず、ユキは早々に諦めた。他にも数名のアカウントを見続けたが、これといった成果が上がらなかったある日の放課後、駒場が突然言い出した。
「なんかさ。ブログはやってないけど、他のSNSならやってる人割といるね。スマホだと分かりにくいけど」
そう言われ改めてみると、プロフィールの リンクに別のSNSを張ってる人は多いことに気がついた。〝HORSE〟も例外ではなく、別のSNSで日常的な呟きは頻繁にあげているころが分かった。
「酒ばっか載せてるね。この人おじさんかな」
駒場はそう言って笑ったが、ユキはしばらくの間、合間をみては〝HORSE〟の呟きを見続けることにした。ある日、車から撮られたと思われる景色の写真を見つけ、場所が気になり拡大してみると、車窓に何か書類が反射して写り込んでいるのが分かった。
「ま、7、...…?、い、み?、ろ?」
車窓に映り反転している上に雑なので読み取りづらいが、名前のフリガナに見える。ユキは駒場に早速写真を送った。
「こういうの解像度上げられる知り合いがいる。ちょっと待ってて」
そう返事がきた数分後、駒場から電話がかかってきた。
「カタカナでマワタリじゃないか、最初の4文字」
「え……」
「7に見えるのが『ワ』次がタ、リ。〝HORSE〟って馬だろ? 馬に渡りでマワタリ。そのあと、多分ミかシだと思うんだよな。ミロウって名前あんまりないし、男っぽいからシロウかな。マワタリシロウ」
ユキは数秒言葉が発せなかった。
「聞いてる?」
「き、聞いてるよ!」
「まぁ……こいつがマワタリシロウって名前だと分かったところで、まだまだ道のりは長いけど」
「でも、塾……個別指導塾で働いてるっぽいんだよ、この人」
「え? マジ?」
電話を切った後、すぐに駒場のアドバイスでユキは〝個別指導塾 マワタリシロウ〟で検索をかけた。どんぴしゃに塾の運営会社が出てくるような都合のいいことはなかったが、ひとつだけ気になるものを見つけた。塾のレビューサイトだった。
「教室長の馬渡さんにはコース設定のことなど親身になっていただき、息子がお世話になりました」
東京都内の渋谷駅の近くにある個人指導塾だった。
*
ユキは母を探している。
「おー、久しぶり!」
ついにこの時がきた。ユキはようやく高校を卒業し上京した。1年早く卒業した駒場は、マワタリシロウの個人指導塾でアルバイトとして潜入したばかりだ。
渋谷駅のペデストリアンデッキで待ち合わせをした二人は、まずは近くのファーストフード店で近況報告をし合った。
「しかし、化粧すると見違えるな。一瞬誰かとおもったわ」
「イケてる?」
「うん」
〝HORSE〟の正体が馬渡だと、ユキたちが突き止めた後も定期的に馬渡は母に関する不名誉な投稿を繰り返していた。
もう、表舞台から姿を消した人間にそこまでしつこくつきまとうのも明らかに異質で、ユキたちは馬渡こそ母につながる手掛かりだと思っていた。
馬渡に直接会いに行くことを考えたが、突然自分たちがそのような話をしても、否定され親に連絡がいくのが目に見えている。
ユキはどうしても父親に全てを打ち明ける気にならなかった。母が生きていることを自分が知っていると伝えるのも、父に母が今でもバッシングを受け続けている事実を伝えることもどちらも気が重かった。
大学に入学した駒場はしばらくして「ちょうどバイト探していたから」と言って馬渡の塾でのバイトに応募した。馬渡は塾講師ではなく、教室長として働いていた。そのため、塾に潜入するのが最短と駒場は考えたらしい。
ところが残念ながら「今は足りてる」と言われ断られたそうだ。その話を聞いたユキは心底がっかりしたが、そこで諦めないのが駒場だった。
別のバイトをしながら時折その塾に行っては、周辺のゴミ拾いをしたり、出入りする生徒のちょっとした事件……例えば、繁華街の輩に絡まれている中学生を助けたりなど……をしては、馬渡と接触を図った。
「おまえ、講師じゃなくて雑用の仕事ならあるけど、やる?」
駒場は3秒でOKして、翌週からバイトとして入ることになった。仕事内容は主に教室長である馬渡の補佐だ。保護者に配布する資料を作ったり、塾講師たちのシフトを作成したり、だ。
「願ってもないバイトだったよ。一番、馬渡のこと知れる」
「駒場サン、探偵になれるよ!」
「うん、自分でもそう思う」
そう言って駒場は笑った。駒場によると、馬渡は都内マンションに在住、家族は妻と子供2人。
子供が思春期で全く言うことを聞かないらしく、妻と子の愚痴を言わない日はない。
「タバコの煙と嫁と娘の愚痴を交互に吐き出すんだ」
海外ドラマの真似をするお笑い芸人みたいにポーズつきで駒場は言った。
家に居場所のない馬渡の唯一の趣味らしいのが、愛車でのドライブ。仕事のあとあてもなく車を走らせ、家族が寝静まる時間になってから自宅へ戻る。日々はその繰り返しだ。
〝HORSE〟のつぶやきはたいていが車からのものだった。時間帯も夜が多いので、その生活リズムとは合致している。〝HORSE=馬渡〟の図式はますます疑う余地がないものとなった。
一方で、馬渡から母の誹謗中傷につながるような気配は表立っては見られず、今後どのように揺さぶりをかけるかが難しいところだった。
「お酒飲むのが好きみたいだから、飲みにでもいくようになれば、雑談の中で出てくるかもしれないけどなぁ」
駒場はまだ20歳になっていなかった。仮にも塾という教育に携わる立場で、堂々と法律違反行為を馬渡はしない。
「〝酔わせて語らせる作戦〟の実行にはまだまだだぁ」
駒場は椅子の背もたれにのけぞった。その様子を見たユキは事もなげにこう返した。
「いっそ、飲ませる側の人間になればいんじゃない」
「え、どういうこと?」
「駒場サン待ってるときに、お兄さんに声かけられた。ガールズバー」
ユキは店の名前が書かれた名刺を駒場に渡した。
「まじか?」
「一応こうみえて腕力あるんで」
「や、そういうことじゃなくて。つか名前はどうするの?」
「そのまま〝ユキ〟だよ」
駒場の唖然とした顔を見ながらユキはさっそく名刺の連絡先に電話した。面接するからすぐに来てほしいと言われ、駒場に手を振りそのままの足で面接に行った。
お店は、塾からほど近い繁華街の雑居ビルにあった。開店前のお店に入ると、数名の女性がいた。皆カジュアルな装いのどこにでもいる女子大生風で、一見するとナイトワークには見えない。
「お客さんを喜ばせてくれれば、後はなんでもいいよ。トラブルだけは止めてね」
ユキはオーナーと話し、翌週からシフトに入ることにした。駒場には連絡したが、忙しいのか返信はなかった。
入店初日、ユキはサユという先輩キャストについた。主にドリンクやつまみの作り方、提供のしかたを教えてもらった。店内はカウンターの席が10席程度でそこまで広くもないので、リキュールやグラスなどの場所はすぐに覚えられた。
「あとはまぁ、適当にお客さんと話せばいいよ。接客してないと時給つかないから、なるべくつかせてもらったほうがいいよ」
「え、お客さんいないときどうなるんですか」
「外に出て、呼び込みしてたら時給つく。冬は寒いけど」
「なるほど。じゃばんばん呼び込んじゃいます」
「ふぅん……ウケる。あなた、かわいいし稼げそうね。こういう仕事初めて?」
ユキはサユと気が合った。
翌日の夕方、駒場が通う大学の学食でユキは報告をした。
「なんかサユさんはクラブとかも経験あるらしいけど、いまの仕事がいちばん合っているって言ってた。ロリータとか似合いそうでまるで人形みたいな見た目なのに、会話がめっちゃうまい。サユさん目当ての客多くて勉強になる」
「勉強になるって! なんか本来の目的とは外れてってないか?」
「別にいいじゃん。なんでも楽しくやったほうがいいし」
「こっちは、全然だよ。なんとか馬渡をそのガールズバーに連れだそうとしてるんだけど、未成年がそんなとこいくなとか、生意気だとかうるさい」
「スマホに送ったサービス券どうだった?」
「ふーん……って言ってた。まんざらでもなさそうだけど、よく分かんない」
「なんか店に行きたくなるような決め手がもう一つくらいないとダメなんだろうな……」
2人はぼんやりとキャンパスを眺めた。駒場と違う大学だったが、近いこととインカレサークルなどで他大生も出入りしているので、ユキはちょくちょく駒場のキャンパスに行った。
学食からよく見えるグラウンドで、ダンス部が活動していた。
「そういえば……。お客さんにさ、芸能人時代のお母さんが好きだったっていう人がいてさ。突然言われて焦った」
「え? なんかまずい感じ?」
「いや、そんなんじゃなさそう。ただ、あの女優さんになんか似てるねっていう雑談」
駒場が噴き出した。
「似てるって、そりゃ似てるよな。親子なんだもん。まあ向こうは知らないだろうけど」
「そんでさ。なんか清涼飲料水のCMでてたときのが一番好きみたいで、今度似た服きてみてって言われた」
二人はそのCMを検索した。古いCMのためなかなかヒットしなかったが、一部だけ載せている人がいた。海辺でペットボトルを持ちながら、薄い白いドレスを身にまとい踊っている。どうやら母の所属していた事務所の新人が代々出演しているようで、母の芸名とともに3代目とハッシュタグがついていた。
特に振り付けも何もなさそうな単調な踊りだが、一定のリズム感があり一度観たら記憶に残りそうだった。ユキはなにより若いころの母の美しさに目を奪われた。抱き寄せてもらったことも、もはやうっすらとした記憶しかない母の若いころがそこに存在していた。
「なんかまあ、事務所ゴリ押し中に出そうなCMだな」
駒場は率直な感想を言った。
「あ、ごめん」
「大丈夫だよ。でもこの服なら似たようなのありそう」
「すごっ! 常連さんのために? マジでどちらが目的かわかんなくなってきたね」
駒場は笑い飛ばしたが、ユキにはある考えがあった。
ユキはアパートへ帰ると、すぐネットで似たような服を見つけて購入した。翌日に届くと、ユキはさっそく身にまといCMの真似をしてひらひらと踊る姿をスマートフォンで撮影した。単調な踊りなのに思いのほか難しく、何度か撮影を繰り返した。
ようやく、これならと思える出来のものが撮影できたので、動画アプリに投稿した。ハッシュタグには、母の芸名を入れた。
翌日の朝アプリを開くと、投稿は思いのほか反響があった。単純にイイネ的な反応もあったが、ちらほらと否定的な意見も目についた。それは、「その女優のこと知らないんだろうけど、やめたほうがいい」というお節介な説教であったり、「目障りだ。消えろ」という直接的な暴言であったり様々だったが、ともかくユキは満足だった。
キャンパスで駒場に会うとさっそくユキは動画アプリに投稿したことを告げた。
「え? アップしたって、顔も出したの?」
「そりゃそうだよ。顔出さなきゃ意味ないじゃん。うまく行けば、これでお母さんが連絡してきてくれるとかないかな!」
ユキは興奮気味に話したが、駒場の眉がピクりと痙攣した。
「そんなうまくいくわけないじゃん」
「え?」
駒場は深いため息をついた。その姿をみてユキはようやく自分と駒場に温度差があることに気がついた。
「あのさ……なんで安易に顔だしすんの?」
「どういう意味?」
「ネットで叩かれている人のハッシュタグで、簡単に自分を晒したら、どうなるのかくらい想像出来ない?」
駒場の指摘にユキは黙り込んだ。〝ネットで叩かれている人〟の言いまわしが、喉の奥から胸にかけて不快な違和感を覚えさせた。
「けど……」
ユキはようやく絞り出した。
「いつまで経ってもみつからないし……」
「だからって、これはやりすぎだろ。なんで相談しないの」
「……。駒場さんに迷惑かけないでなんとかするから」
「いや、なにもそんなこと言ってないだろ」
駒場は足を揺すった。面白くないときに必ずやる仕草だ。
「……バイトあるから、いく」
数秒の沈黙ののち、ユキはそう言った。今日は例の常連さんが来る日だ。白いドレスを着て見せなきゃいけない。ユキは自宅へ戻ると白いドレスを持って再び家を出た。
頭の中がぐるぐると目まぐるしく動く。ユキもうっすらと駒場の言ってることは分かる。常連に自分のドレス姿を見せたって、動画アプリにアップしたって、記憶の中に朧気に残る母に会えるわけではない。そんなことは分かっている。
それでも自分を止めることは出来ない。
「今日ね、オギタさんたぶんこないよ」
入店するとサユに言われた。オギタさんとは、白いドレスを着せたがっていた常連さんだ。どうやら体調を崩したらしい。サユさんななんでそんなことを分かるんだろう? ユキは単純に疑問に思ったが、この店の常連はたいていサユさんと繋がってるのであまり深く考えるのをやめた。
なんだ……。今晩こないのか。ユキはぼんやりと思った。母への手がかりが消えたような喪失感。一方でそんな自分を見たらきっと駒場は「大げさだな!」と、笑うだろうという想像も続いて連想された。
キャンパスでの駒場とのやり取りを思い出した。これまで、駒場と意見が割れることはなかった。二人はまるで〝母探しプロジェクト〟の共同運営だった。
でもそれは自分の思い過ごしだったかもしれないと考えた。ユキにとって母のことは当事者だが、駒場にとってはあくまで後輩へ力を貸しているに過ぎない。
ガールズバーでのバイトがだんだんと面白く感じてきていたユキだったが、この日はまったく気が乗らなかった。新しいカクテルを覚えようという気持ちも沸いてこず、単調な作業で済む掃除や食器洗いを率先していたが、ついに洗っていたグラスを一脚落としてユキは我に返った。
「サユさん。今日、このまま上がってもいいですか? お客さんも少ないみたいですし」
サユはユキの様子に気づいていたらしく理由も訊ねずこう言った。
「オーナーがいいって言ったら別にいいよ。確かに今日、私一人でもどうにかなりそう」
ユキはオーナーに連絡した。オーナーからは「OK」のスタンプが返ってきた。
店を出るとユキは繁華街を通り抜けて駅へ向かった。ペデストリアンデッキで、一人の青年がギターを片手に唄っていた。ユキは思わず足を止めた。年のころは同じぐらいだろう。デニムのジャケットを羽織り、いかにもストリートミュージシャン風で、かつ曲調は失礼ながら〝ありがち〟なので、往来する人々はユキ以外、目もくれず去っていった。
ユキの中に〝ある考え〟が浮かび上がってきた。ぼんやりとしたその考えを練っているうちに、時間は数分が過ぎた。ミュージシャンのほうはユキが真剣に自分の曲を聴き入ってると思ったのか、それまで以上に熱唱し始めた。街の喧騒とミュージシャンの熱唱とそれらがない交ぜとなり、不快に思いそうな場面なのに、ユキの頭は思考を止めなかった。
「ここで踊ればいいんだ……」
ついにユキは呟いた。考えを口にしたら、それしか方法はないような切迫感が体のうちから湧き上がる。ユキはそのまま走り出すと、駅ビルのトイレで白いドレスに着替えた。オギタさんのために店内で着ていたドレスは、店を出る前に脱いで無造作にリュックにしまい込んでいた。その30分くらい前の自分をユキは恨めしくおもった。素材的にはそこまで皺は目立たないが、乱雑に扱ってしまったがための違和感が残っていた。
ユキはトイレの姿見でそれらを戻そうとしばらく格闘したが、ついには止めた。そんなことよりも思い立ったことを今すぐにでも実行したい。
さきほどのペデストリアンデッキに戻ると、すでにミュージシャンは姿を消していた。
ユキは同じ立ち位置に立った。
そしておもむろに踊り始めた。
BGMもなにもない中で、ただ何かに取り憑かれるかのように踊った。CMの母を意識して、母が舞い降りてくるイメージだけに集中して一心不乱に踊った。
ペデストリアンデッキをゆく人々は、そのうちざわざわとし始めた。鼻筋が通り中性的な顔立ちのユキは目にするものを惹きつけた。それでいて、本人のしていることは一心不乱に踊っているだけなので、その滑稽とも言えるアンバランスさに人々は興味を駆り立てられた。
面白がってスマホで写真を撮り始める者もいた。あからさまに嘲笑う者もいた。
それらのすべてがユキにとっては心地よかった。
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