【小説】ペデストリアンデッキの舞姫と焼けた靴 4
ああ……あなたはこの前の。まだ凍死した女性のこと調べてるんですか。
これ以上、私からは何もお伝えすることはありませんよ……。
え、おやこれは随分良いものを……。いいんですか? ありがとうございます。して、ご用件は?
ああ同一人物と言われている踊っていた女性のことですか。うーん……。この間もお話ししたように、詳しくは知らないんですよ。あのペデストリアンデッキには毎日それこそ多くの人々が通行しますし、バンドやパフォーマーの方がたくさんおられますからね。
ああそういえば。一度あなたのように、踊っていた女性のことを訊ねてきた方がいますね。はっきり言って、とても感じの悪い人でした。上から目線とでもいいますか、初対面の私に対して突然話しかけてきたかと思えば
「あんた、この辺にいつもいるんだろ。ここで一時期こんな女の人を見てないか。なんかここで踊ってたって話を聞いたんだが」
と写真を見せてきました。その写真は確かにあの女性と顔は一緒でしたが、私の記憶とは少し雰囲気が違いましたので、私は首をかしげました。写真の女性は陰があると言いますか、踊っていた女性が放っていた見る者の目を奪う華やいだオーラようなものが無かったのです。すると、その男はぶらっきぼうにこう続けました。
「おい、知ってるか、知らないか、どっちなんだ?」
その言い方に私は思わず震え上がってしまいました。今思えば、突然きて無礼な物言いをしてくる相手にまともに答えてやる義理はないのですが、私はまるで自分に落ち度があるような心持ちになったのです。無礼な! とでも言い返してやれば良かった。思い返すと腹が立って仕方ありませんね。
「似ているような気がするがわかりません」
「踊っていた女性はしばらくして居なくなったんですよ。このあたりの水商売の女性と噂で聞いた」
震え上がってしまった私は短くこの2つを答えてやりました。その男は礼も言わずその場を立ち去りました。本当に無礼な男でした。
その男が来たのがいつかですか? 確か……あの女性が凍死したちょっと後くらいですかね。
あ、そうそう。
その男は感じが悪いので教えてやらなかったが、その踊っていた女性の働いていた店はコレですよ。
どうぞお役にたててください。
第二章 (1)
ユキは母を探している。
ユキにとって母は長らく〝7歳のときに死んでしまった人〟だった。思い出として残っているのは、いつも綺麗で優しく微笑む姿で怒った顔は見たことがなかった。
父から「お母さんのお葬式だよ」と言われたその日、部屋の中に小さな母の写真が置かれていた。その母の写真の前に一輪の花を添えて手を合わせるよう言われた。お葬式が本来どういうものか知らなかったユキは何の違和感も覚えなかったが、思えば〝お坊さん〟もいないし〝焼香〟もなければ、ユキと父以外に参列者もいなかった。
「お母さんはなんで死んじゃったの」
父に訊ねると困った顔をして一言「車の事故だよ」と告げられた。それ以上のことは聞いてはいけないんだ、とユキは子供ながらに悟った。その後、父とユキは祖父母の家に引っ越しをした。ユキのためと父は言った。
ユキが高校2年の夏、お盆で親戚が家に集まっていた。
ユキは毎年このお盆の時期に不思議に思っていることがあった。お盆は亡くなった人の霊が戻ってくると学校では聞いたのに、この家の人は誰も母のことを迎えている気配がない。この年もそれは同じで、お盆の迎え火を焚いても、一昨年亡くなった叔父の話ばかりで母の話は出なかった。
祖父母はもしかしたら、母とはいわゆる嫁姑のようなものがあったかもしれないが、少なくとも母の夫である父までもが一言も口にしないのは不思議なことだった。
「来年はもう大学受験なんて早いものね」
親戚に社交辞令のような言葉をかけられ、口数少なくユキは自分の部屋へ戻った。おやすみなさい、後ろからそんな言葉がかけられたが高校生にもなって9時には寝ない。大人たちはまだまだ晩酌が続くようだった。自室で漫画やネットを見ながら過ごしていたが、お手洗いに行きたくなりリビングのそばを通ったとき、ユキの耳には驚きの言葉が入り込んできた。
「祐実子さん、最近どうしてるの? 案外あの外見を武器に別の男を見つけて飄々と生きてるんじゃない」
父の姉である伯母の声だった。祐実子はユキの母の名前だった。ユキは心臓がバクバクするのを感じながらも、聞き間違いかもしれないと思いそのまま聞き耳を立てた。
「あんな事故さえ起こさなきゃ黙って座ってる分には、あなたには勿体ないくらいのお嫁さんだったのにね」
伯母は酒も入り少々父に絡むような物言いをした。普段から物静かな父はそれに対して何も返答をしない。代わりに祖父が口を開いた。
「祐実子さんの話はやめろ。もう当家には何の関わりもない女だ」
祖父の言葉に伯母は「はぁい……」と少々拗ねた声を出したあとこう言った。
「確かに、あれでうちも相当迷惑被ったものね」
ユキは耳から入ってくる音声を事実とは受け入れがたく自室に戻ってからもしばらく呆然としていた。
だが〝母は死んでいない〟ことを事実と受け入れるならば、腑に落ちることがいくつもあった。
・父と自分しかいないお葬式
・お墓参りをしたことがないこと
・お盆の違和感
ぐるぐると回る頭の中の言葉たちは、ユキに「真実を突き止めろ」と命じてくる。ユキはインターネットで母の名前をフルネーム検索した。ネットなら何らかの情報が出てくるかも、と考えたのた。
最初、検索結果に出てきたのは同姓同名の別人と思われるSNSなどだった。そうかお母さんにも旧姓があるはずだから、この調べ方では不十分かもしれない。そう思ったものの、ユキは母の旧姓を知らなかった。仕方なくそのまま閲覧を続けた。
何ページかスクロールするうちに、とある週刊誌のサイトが表示された。
『資産家に嫁いだ女優の哀しき末路』
そう題された記事には、おそらくユキの母と思われることが書いてあった。
人の興味を駆り立てることばかりを殊更書き連ねる週刊誌の記事。読みながらユキは「どうせ、デタラメじゃん」と呟いた。
だが、スクロールする手を止めることは出来なかった。
そこに書いてあったことを要約するとこうだ。
——ユキの母は若い頃そこそこ名の知れたモデルだった。モデル業でキャリアを築いた後、ある監督の映画に出演したのをきっかけにテレビドラマにも何本か出演するようになったが、大物俳優との不倫が明るみとなりスポンサーへの批判も相次ぎ降板。以来、人気も加速度的に下がり表舞台から姿を消した。記事では大物俳優については伏字となっていたが、サスペンスドラマの常連と書かれ、おおよそ誰か分かるような匂わせ方がされていた。
表舞台から姿を消したユキの母は、コンパニオンなどを行って生計を立てているうちに資産家一家の長男であるA氏に見初められ結婚。一子をもうけ、ささやかに暮らしていた。
だがある日、自身の乗用車で買い物に行ったところで事故は起きる。踏切で一時停止を行わず進入したユキの母は、直後に鳴り始めた列車の接近を知らせる踏切の警報に動揺し、何故か線路内で急ブレーキをかけた。その後慌てて発進しようとしたが、マニュアル車のためうまくいかずエンストを起こしてしまった。そのうち前方の遮断機が下りてしまい、そのまま踏切内に乗用車が立ち往生する形となった。
たまたま踏切にいた通りがかりの男性が大声で母に運転席から脱出するように声をかけ、なんとか踏切の外へ逃げることができたが、列車は急ブレーキをかけたものの自動車との衝突を免れることなく車は大破した。
この事故で、A氏およびA氏の生家は多額の損害賠償請求をされ、資産家としての悠々自適な生活から一変した……。
ユキは記事をスクロールする手が震えだした。何故母は急にいなくなったのか、それがこの事故が原因だとしたら……。
記事にはさらに詳細に事故を伝えるニュースサイトがリンクされていたが、もう閲覧不可となっていた。だが、当時の報道では母は本名のフルネームが出ていたようだったし、事故の起きた年もそして季節も、父から〝お母さんは死んでしまった〟と告げられたときと合致していた。
週刊誌の記事によると、その後母は「重圧に耐えきれず失踪」とあったが、ユキには祖父や父が母を追い出したのではないかと感じられた。
祖父は厳格な人で、この家では誰も逆らえない。資産家と言われているのも相続により受け継いだ土地があることに加え、営んでいる事業を祖父が一代で今の規模にまで盛り立てたというのも大きかった。
ユキはその晩、一睡もすることが出来なかった。
翌日からもさらに母のことを検索する日々が続いた。学校は夏休みで時間だけは無限のようにあった。母が芸能活動していた時期の芸名もわかったため、さらに深堀りしていくことにした。
芸名で調べるうちに、事故当時母はかなりのバッシングを受けていたことが分かった。真偽不明なことや過去の事もごちゃまぜに叩かれ、それは高校生のユキにとっては見るに堪えないものばかりだった。
——自分だけ逃げて電車に乗ってた人がどうなってもよかったわけ? 自己中にもほどがある。
——踏切では一時停止、常識でしょ。あ、元々既婚者と寝るような女に常識なんかないかw
——友達から聞いたけど、この事故で電車のってたおじいさんが骨折して、そのまま寝たきりだって。まじクズ。
——もう二度と顔見ることないと安心してたのに、また出てきて不快以外の何物でもないわ
バッシングは事故後の週刊誌報道の前後が盛んなようだったが、驚くべきことに数年後にもコメントがついていた。他の芸能人がらみの不倫騒動や別の踏切事故が起こるたびに、芸能活動をしていた頃に書いていたブログにまたコメントがつく。もう事故のことなど世間の人は忘れ去っているだろうし、おそらくコメントをしている人々は事故と無関係と思われるのにそれらは執拗に続いた。
ユキは、その中で〝HORSE〟なる人物が特に粘着質にコメントしていることに気がついた。〝HORSE〟はまるで定期的とも言える頻度でコメントを残す。それはまるで燃料のように、他の批判的なコメントを生んでいた。
夏休みが明け新学期が始まったユキは、知ってしまった〝母の真実〟に耐えきれなくなり部活の先輩である駒場に打ち明けた。駒場は1学年上だが、小学校の学童のときから顔見知りで、たまたま高校で音楽の趣味が合い意気投合して以来、雑談をし合う仲だった。
「でもお母さん、生きているってことでしょ? じゃ、会いに行けばいいんじゃん」
駒場はのユキの想定外の返答をした。驚いているとこう続けた。
「そもそもブログとかって閉鎖できるんじゃ? 少なくともコメントは受けつけないとかできるでしょ? お母さんそういうこと知らないのかね? 事務所とかも契約きれちゃってるから放置なのかな?」
ユキは駒場の言葉に急に光が差したような気持ちになった。そうか、お母さんに会えばいいんだ。不毛なコメントを止めさせるために手伝ってあげたい。新しい人とどこかで元気に生きてるならそれはそれでいいと思えるけど、今の状況はあまりにも可哀想だ。
問題はどうやって今の母を探しだすか、だ。
母が今、どこで何をしているのか知っていそうな人物は父だ。だが、ユキはまずは自力で探すことを考えた。父と自分の間で、母はすでに居ないものとなっている。〝亡くなった〟ことにまでして、母を……妻を、居ないものとした父の心中をユキは理解出来なかった。理解は出来ないが、触れてはいけない、そのような気もした。
ある日の放課後、もはや日課のようになった〝検索〟をしていると、匿名掲示板である投稿を発見した。
――最近渋谷駅前のペデストリアンデッキでこいつが歩いているのみた。あんな事故起こして普通に生きているとかウケるよなw
そのコメントにユキが見た週刊誌報道がリンクされていた。投稿自体にはあまり反応が得られていなかったが、ユキはスクリーンショットした画面をさっそく駒場に送った。
駒場からはすぐにレスポンスがあった。
「週末、渋谷駅行ってみよう」
渋谷駅は特急に乗らなければとても行ける距離じゃなかった。月々のお小遣いではとても賄えそうにない。駒場はバイトをしていたが、ユキはバイトをしていなかったので、父に相談した。友達と遊びに行きたいとシンプルに伝えると、父はあっさりと了承しお小遣いをくれた。
初めていく渋谷駅は地元の駅と比較して何倍も人が多く、駒場とユキは圧倒された。そしてすぐ、自分達がなんと無計画な試みでここまで来てしまったのかと思い知った。
「ダメだ、東京ナメ過ぎてた。これじゃ毎日ここに座り続けでもしない限り人探しなんて無理だ」
二人はうなだれた。悩んだがそのまま往来の人々を見続けることにした。テレビで良く見る渋谷で二人は何をするでもなく人々を見続けた。
そのうち巡視中の警察官に声をかけられた。
「君たち、高校生?」
警察官は不審がっている様子でもなかったが、「2時間前くらい前にもそこに居たよね?」と問われ、二人は動揺した。人を探してて……と小さい声で答えたが、保護者の連絡先を聞かれ、親に連絡がいくのはマズイと思った二人は走って逃げることにした。
「あ! こら! まちなさい!!」
警察官の声が聞こえたが二人は全力で走った。体力のあり余る高校生の本気の走りに警察官は追いつくことが出来なかった。
路地に入って息を整えながら二人は顔を見合わせた。何故か笑いがこみあげてきて一通り大笑いすると、駒場がこう言った。
「とりあえず、出直すか。来年東京出てくるから、もう少しいろいろ調べてあげるよ」
駒場は東京の私大に進学が決まっていた。先輩に任せてばかりもいられない。ユキは自分の進路を悩んでいたが、自身も東京の大学を志望することを決意した。そうすれば、キャンパスの見学など東京に出てくる機会も増やせるはずだ。
そうだ、母は生きている。もう少し時間をかければいつか会えるはずだ。
そうユキは思った。
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