映画『本能寺ホテル』から学ぶ、その夢は”誰が成し遂げるのか”
はぁ。こういう難しいタイトルにしてしまったら、読む人なんて誰もいないんだろうなぁと思ってしまいますが、とにかく書こうと思います。
さて、去った自粛期間に僕はこういう映画を観ました。
『本能寺ホテル』
この映画は、”本能寺の変”直前の本能寺に現代からタイムスリップした女性が迷い込み、当人の織田信長と遭遇してしまうという映画になっています。
ここからは少々、ネタバレも含みますので、これから観たいと思っていた方は観てからでも続きを読んでみてください。
織田信長の実現したかった夢
映画のワンシーンで描かれている織田信長の夢。セリフを抜粋して紹介していきます。
未来からタイムスリップしてきた女性が信長と2人で京の町へ出向くシーンがあります。町では何もない平和な日常を楽しそうに、そして賑やかに暮らす町人たちの姿が描かれています。映画の中で町人は信長の容姿を知らない設定なので、ここでは誰一人信長に気づいていません。
このシーンで町人たちの幸せそうな姿を見ながら、信長が笑顔で語るセリフがこちらです。
「わしが作りたかった太平の世がまもなくやって来るのだ。」
「それが信長さんのやりたかったこと?」
「そうだ。」
信長はそのシーンで描かれているような、戦がなく、なんてことのない幸せな日常を作りたかったのだと語ります。そしてその夢の実現がもうすぐのところまで来ていることも実感しています。
自身の死を予言された織田信長
さて、ここまで読んでいるとこの映画のポイントがわかる方もいらっしゃると思います。
そうです。この映画のポイントは長年の願いだった天下統一を成し遂げる直前の織田信長に、未来からきた女性が”明智光秀の謀反のこと”、その謀反によって”織田信長が死を迎えること”を伝えてしまうかどうかにあります。
結論から言います。そうです、伝えてしまいます。
信長は信頼していた家臣の明智が自身を死に追いやる謀反を計画していることを、事前に知ってしまうのです。
ではその未来の出来事を知ってしまった信長がどういう判断をするのかです。逃げることも、先に明智を討つこともできます。だって、死ぬのは嫌じゃないですか。人生をかけて目指してきた夢の実現が、もうそこまで来ているんですよ。なんとしてでも実現したいじゃないですか。
しかし、ここで描かれている織田信長に僕はとんでもない印象を受けました。
運命から逃げないことを選ぶ織田信長
いよいよ”本能寺の変”の当日がやってきます。ここは皆様の予想通り、織田信長は謀反の未来から逃げずに本能寺にて事が起こるのを待っています。
謀反の火がすぐそこまで迫る中、信長は黙々と便りを書いています。そこに森蘭丸が入ってきて、会話をするシーンがあります。
信長は蘭丸に「謀反がなかったとしても、今、わしが死んだらどうなると思う?」と問います。この問いに蘭丸は信長亡き後の政治情勢の仮説を進言していきます。
それを聞きながら便りを書き終える信長。その便りには「信長討死」と信長自身が討ち死にすることが先に書かれていました。その内容に驚く蘭丸。信長はその便りを羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に届けろと指示を出します。そこで蘭丸はやや怒りも含め、信長に問います。
「逆賊討伐は正義の裁き。しかしなぜ、羽柴殿に天下統一を成せと?お館様(親方様=信長)自ら天下統一を成すおつもりだったのでは?」
そりゃ聞きたくもなりますよね。だってその夢のためにここまでの厳しい道のりを突き進んでいたはずなのですから。それを側で見ていた蘭丸には、この行動の全てが疑問でしかありません。
その問いへの回答が、僕はこの映画の全てだと思っています。
『誰でもよいのだ。』
信長が答えました。
「誰でもよいのだ。」と。
「この国に天下太平の世がやってくるのが、わしの望みだ。」と。
この言葉に、この1つのセリフに、どれだけの想いと時間と責任と覚悟を感じることができるでしょうか。
織田信長は自身の人生のすべてをかけて成し遂げようとしていた夢、天下統一とその後の天下太平の世の実現、その夢が叶うのであれば、それを実現するのは”誰でもよい”と、そう言ったのです。そして自身は”死”を迎え入れる覚悟をするのです。
このシーンの後、居ても立ってもいられない主人公の女性はまたもタイムスリップして、その日の夜の本能寺に行ってしまいます(危険なので絶対に真似しないでください)。そして、クライマックスを迎える映画。ここではそれ以降の言及はしません。気になる方はぜひ映画を御覧ください。
その夢は、❞誰が成し遂げるのか❞
色んな”夢”の種類があります。そのどれもが素晴らしいことは言うまでもありません。僕がここでお話をしたい”夢”の種類は、『世の中を変えたい』という種類の夢になります。そういう夢を持った人もきっといることでしょう。僕もその1人ですよ。
ではその『世の中を変えたい』という夢についてです。それがどんな内容であれ、簡単に実現することはないでしょう。
僕がこの映画のこのセリフで学んだこと。
それは、『その夢の実現を”誰が成し遂げるのか”』についてです。
その夢を成し遂げるには、あなたの人生という時間だけでは足りないのかもしれません。あなたの夢に共感した人、同じ夢を持った次の世代の人、きっとあなたではない他の誰かが成し遂げるのかもしれません。
でも、『それでいい。』と思えるかどうかではないでしょうか。
誰だって良いんです。その夢が、描いた世界が実現するのであれば、それでいいんだと思えるかどうかは、とてもとても大事なことではないでしょうか。
綺麗事のようですが、きっと大事なことですよ。
『あなたがそれを実現すること』が夢になってはいませんか。
たくさんの大人たちがいます。政治家や大企業の社長、小さな起業家や団体の代表。その全員に問いたい。
あなたが実現したいというその夢は、”誰が成し遂げるのか”に重きを置きすぎてはいませんか。
心から願っているのは、純粋に”夢の実現”なんでしょうか?
僕も、僕自身に常に問い続けていることでございます。
実現しているという予言があったこともポイント?
織田信長は未来からタイムスリップしてきた女性とのやり取りから、未来では天下太平の世の中が実現しているということを推測することができています。
信長が上記のような判断と行動ができたのは、その推測があったからではないかという論点もあります。自身の夢が実現しているということを知ることができたからこそ、「誰でも良いのだ。」と言い放ち、死を迎え入れることができたのではないかという話です。
でも僕は、この論点はあまり重要ではないと考えています。
そもそも未来から来た人に「あ、君の夢は実現しているよ~」なんて教えてもらえることは、ほぼ間違いなくありません。
重要なのはその夢が実現するということを、どれだけ確信を持って日々を生きているかということではないでしょうか。
その夢が実現するということを心から信じているかどうかなのです。
最後に
物語から学べることはたくさんあります。
きっとあなたもたくさんの物語から色んな刺激を受けてきたことでしょう。
ここでは「世の中を変えたい」という種類の夢を持つ皆様へ(僕も含む)、『本能寺ホテル』という映画から得られた1つの学びを共有させていただきました。
いつかあなたの夢が、思い描く世界が実現することを僕は願っています。
例えそれを成し遂げる人が、あなたではない他の人であったとしても。