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やっぱり”善人”で仕事と向き合いたい

人生設計と経営の感覚

仲間たちと1年半ぶりの人生設計をしてみた。
それぞれの理想の未来(今は理想の”状態”を書いてもらっている)を見ていると、僕の立場では考えるべきことがある。

「仕事とは」

「人生における”仕事”の存在意義とは」
もちろん生きていくお金を稼ぐためという理由はある。
でも僕自身、新卒で仕事に就いてから今日までに、その答えに悩み続けている。

人生の時間の大部分を占める仕事に、何か意義があるのではないか。
あるべきではないか。
そう考えることが馬鹿らしいと思う人もいて、その考え自体を放棄したほうが楽だと思っている人もいる。

でも僕にはどうしても、この悩みを捨てることができない。

仲間にとっての「仕事とは」を扱う

偉くなったとかいう話ではなく、僕は仲間たちの「仕事とは」を扱うことが多い。
それぞれに考えを持って向き合ってくれているが、それでも物理的に僕が決める部分がある以上(お店の場所や営業時間、シフト、業務内容など)、放っておくことはできない。

経営者のような立場になって、自分で仕事を操作できるようになり、”善人”でいるべき理由がはっきりと見えてくる。

それは一緒に働く仲間の「仕事とは」を左右できてしまう立場にあると自覚するからだ。

色々な経営者がいると思う。
自分の好き勝手に社員の「仕事とは」を誘導、限定する。
社員の「仕事とは」に合わせすぎて、自分や事業が苦しい思いをする。

例えると、難解なパズルを解いている感覚に近い。
しかもそのパズルには枠もピースも存在しない。

自分の好きな枠に、自分の好きなピースをはめていく。
自分だけのピースをはめるスタイルは、自分だけで完結する経営者。
仲間のピースを仲間の希望通りの形ではめるスタイルは、自分や事業を後回しにする経営者。
仲間のピースを自分の都合で捻じ曲げてはめるスタイルは、自己中心的な経営者。

そのどれもが時には正解で、時には不正解なのだ。
このパズル、難しすぎる。

それでも思うことがある。

それは「仲間たちの人生が進んでいくのを側で見て、感じて、喜んだり、悩んだりすることが楽しい」ということである。

だから出来るだけ長い期間、その楽しさと伴走したい。
そう思いながら、
また翌月のシフトを考えて、明日からのお店を想っています。




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