『人は本だ』という考え方(本文中の詩:文字の咀嚼)

 今回は、私のヘッダーにもなっている、『人は本である』という考え方について少し書こうかと思います。


私はよく、オリジナルに造語を作って使うのですが、その中に、

『もぐもぐする』

というモノがあります。


この時点で思い浮かぶのは食事だと思うのですが、

私にとって『もぐもぐする』というのは、

『難しい文章をよく読みこんで、それを吸収する』

という意味なのです。(要は、読書になるのかしら)


これは、詩を読む時によくします。

一見よく分からないような、でもそこに綴られている言葉から

想像して、情景を浮かべて、或いは知識を新たに得て……


そんな時、自分の中で、その言葉達を大切に大切に咀嚼して、味わっている様に感じるのです。

実際に、私の詩の中で、『文字の咀嚼』という詩があります。

文字の咀嚼


私は、『人の人生はその人の言葉で綴られた一冊の本』だと考えています。

私小説という言葉があるように

生まれながらにして言葉というモノを持ちえるからこそ、

他者に興味を持ったり、或いは心を寄せたり、拒絶したり……

そんな万人万色の考え方が在るのだと、私は思っています。


また、先日ふと思ったのは、『もし私にとって大切な人が自ら命を絶ってしまったら、その時の喪失感ややり場のない怒りは、きっとページを破られて終わった本と似ているんじゃないだろうか』と、いうことでした。


続きを読みたかった本のページが、最後まで無惨に破かれている


そう考えた時、私は破かれてしまったページに喪失感を

そして、ページを破った者に対して怒りを感じました。


「きっと、そんな感じなんじゃないかな」、なんて

あくまで私の綴る内容はただの、直感的な垂れ流しです。


今回は、そんな回でした。(オチって何だろう…………)


※それから、『自分はこういう考えがあるよ!』という方は、もし気が向いたらで構いませんので、良ければお聞きしたいです。

あくまで、『押しつけ』や『否定』でなく、『傾聴』のスタンスでおりますので、思い立った時があれば、お気軽にお話下さいね。

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