感想:宗教と日本人 葬式仏教からスピリチュアル文化まで:宗教を構成する3つの要素「信仰」と「所属」と「実践」

本書では宗教を「信仰」と「所属」と「実践」の3つの要素で解釈します。

教義を信じ、それを守ることを強く意識するのが信仰。
その団体の一員である事を自覚して活動に協力するのが所属。
何らかの行動を伴うのが実践。
本書ではこの3つの要素で日本での宗教の在り方を以下のように分類します

キリスト教は信仰と所属と実践がセットで要求される宗教です。
人生そのものが宗教と共にあります。そして、中でも信仰を持つことが特に重要となります

仏教は、信仰なき実践の宗教です。
例えば、日本人は葬式で仏教に由来する儀式を実践していますが、特にそれら仏教の教義を信じているわけではありません。
また、檀家制度は、信仰なき所属とも言えます。

神道は、信仰なき所属の宗教です。
例えば、日本人は生まれた地域によって氏子として神社に所属し、時には義務的に町内会から寄付などを要求され、神社の活動に協力するのを当然だと思っています。
しかし彼らが自分をその神社の信者であると自覚しているわけではなく、正月には地域の神社とは関係ない大きな神社に行ってしまったりします

また近年流行しているスピリチュアルは、所属なき個人的信仰の宗教とみなせます。
例えば、スピリチュアル好きな人々は、パワースポットや霊的なものを信じていますが、彼らの多くは特定の宗教に所属したりはしていません

また、スピリチュアルは70年代から80年代にかけて流行したニューエイジ思想の再流行であると本書では分析します。
ですが、ニューエイジ思想が文字通り「西洋文化に代わる新しい時代を作る思想」として知識人や出版社によって普及させられたのに対して、現在のスピリチュアルは「個人の健康、心の平穏、良縁、幸運を手に入れるパワーを貰う」ものとして芸能人やネットのインフルエンサーによって拡散しているという違いがあります。

ただ、誤解のないように付け加えますと、本書では信仰なき実践や所属だけの宗教を必ずしも悪いとは言っていません。
また、良いことであるとも言っておらず、価値中立的にこういう傾向があると分析しているだけです

また、本書では、ある種のオリエンタリズム批判も見られます。
例えば、西洋の知識人が日本の盆踊りを見て色々と宗教的意味について解説している事例が本書では紹介されています。

しかしこれは「信仰なき実践」に過ぎない儀式に対して、部外者が勝手な想像をめぐらして、こんな信仰があると決めつけているに過ぎないものであると本書は喝破します

「西洋文明の限界を越える別の価値観や思想」を求める人が、自分の願望に合わせて異文化を解釈しているだけというわけです。
つまり、他者の信仰を勝手に想像して、この世に存在しない宗教、しかも自分は信仰していない宗教を捏造しているといえます。
本書では、この手の自分の願望を反映して捏造された宗教を「信仰なき新しい信仰構築」と言っています

これは西洋が東洋に対して行っているだけではなく、日本でも縄文ブームという形で表れています。
日本で縄文文化を称賛する人の一部は、縄文人が自然崇拝で平和的な宗教を持っていたと特に根拠なく決めつけて、縄文人の精神性は豊かで見習うべきものとして賞賛したりしています。
これも古代人の信仰していた宗教を勝手に捏造していると言えます。

古代人を素晴らしい宗教家のように扱うのは日本だけのことではなく、西洋ではケルト文明や古ヨーロッパなども同様の持ち上げられ方をしています

また、本書から離れて、私の個人的意見として、昔のイスラム研究にもこの傾向があったと考えます。
当時のイスラム研究では、イスラムが西洋文化の欠点を克服する新時代の思想という解釈が主流で、当時若手のイスラム研究者であった池内恵氏がイスラムを良い点も悪い点もある普通の文明として研究したことで非難轟々を受けたという逸話があります

以上のように、宗教を信仰の面からだけ考えれば、日本は無宗教と見えるかもしれませんが、所属や実践という側面に注目すれば、日本は様々な宗教が混在している宗教大国であると言うこともできます