大学時代のコミュ障な同級生の話

私が大学入学してすぐに直面したピンチの話である。今から10年少々前の話だ。

1年次の最初にある、必修の英語の授業でのことである。
そこで私がグループを組んだ……いや、組む羽目になった同級生メンバーがとんでもなく困った人物だった。

その授業は同じ学科の1年生を複数のクラスに分けたうちの一つで、1クラスは20人程度の規模だ。その中で更に各4人程度のグループに分かれて課題を行う形式だった。
担当教員から各自好きな人とグループを組むように指示があったのだが、これが事の元凶だった。

「好きな人とグループを組みなさい」は、我々コミュ障にとってはまさに死刑宣告に等しい言葉だ。まさかそれを大学に入ってもこの言葉を聞くとは思わなかった。
できればくじ引きでランダムに決めるか学籍番号順で割り振るなどしてほしかったものであるが……

知り合いがいればまだ何とかなったかもしれないが、入学して間もなく周りは初対面ばかりだ。
一応、入学直後に新入生同士の懇親会を兼ねた一泊二日のオリエンテーションを経てはいたものの、それだけでこの場の皆と十分に仲良くなったとは言い難い。
その際に多少会話をした同期もいたが、最悪なことに彼らは別のクラスに割り振られてしまい、ここにはいない。
そんな状況で私がグループを組むなど至難の業である。

更に、ここで作ったグループは夏休み前までの学期末、この授業の最終課題を終えるまで変更なしのことだった。つまり、まともなグループに入れなければこの先3ヶ月以上苦しむことになるだけでなく、単位取得にも影響するかもしれない。

クラスの誰か、相手方から誘いの声がかかることも期待したが、そんな都合のいい事は起こらない。
私から声をかけようかと焦る間にも、次々にグループが出来上がっていく。
結局私は何もすることができなかった。


だが、私以外にグループに入れなかった者が3人いた。
彼らと組めばちょうどグループが作れる。だが、その顔触れが何よりの問題だった。

それはいずれも物静かそうな……と言えば表現はいいが、私と同じ……いや、それ以上のコミュ障の雰囲気を纏った男子たちだった。

彼らは決して不真面目そうな風貌ではなかったが、クラスの皆がグループ作りに勤しむ間も教室の隅の席に座って黙りこけていた。
結果、私と同じくグループを作れずあぶれてしまったようだったが、何とかせねばと浮き足立っていた私とは全く違うタイプのコミュ障だった。それがよりにもよって3人も揃っていた。

ちなみに私はこの3人のうちの2人とは、先述のオリエンテーションで同室になっており、顔を知っていた。彼らはその際も全く会話をせず、各々で携帯電話を弄って過ごしていた。さすがの私も彼らと部屋に3人きりになったときは、居た堪れずに外に出たほどだった。

実を言うと、私はこの授業の最初から彼らの存在を認知しており、申し訳ないが「此奴らとだけは組みたくない」と思っていた。そう考えながら何も行動出来なかった自身が憎い。

とはいえ私も含めまさに残るべくして残ってしまった面子だろう。

仕方なくこの4人で一度集まり、これでグループを作る旨を先生に伝えた。その際も彼らとは言葉を交わすこともなく、そのまま解散した。

その日は授業のガイダンスとグループ決めだけで終わったが、来週からは授業が本格的に始まる。入学早々、こんな調子でやっていけるのかと憂鬱になった。

この授業は必修科目なので履修しないわけにはいかない。しかも大学の履修の仕組みをまだよく理解していなかった当時の私は、必修の単位を落としたら取り返しがつかないのではないかと誤解し(実際そうなったら翌年に再履修すればいいのだが)、余計に不安になった。

翌週、授業初回。
彼らコミュ障男子3人(いや私を入れれば4人か)は一人も欠けることなく出席した。

この授業の内容だが、毎回与えられるテーマとシチュエーションに対して英文のビジネスレターを各グループで一通書く、というものだ。レポート用紙に実際の手紙の書式で手書きし、仕上がったら先生の添削を受け、完成したら提出、解散……というのが毎回の流れだ。
工学部の必修英語なのでさして難しい内容ではない。

先生から課題の書かれたプリントを受け取った後、私は彼らに「どうやって進める?」「誰がまとめる?」など声をかけた。しかし、

「……」
「……」
「……」

一切喋らない。
私だって人と話すのは不得意だが、この状況では何かしら話そうとするだろう。
何より目の前に解決すべき課題があるのだ。話すのが苦手だ何だと言っている場合ではない。

私が何度言葉をかけても目線で訴えても、はたまた時間が何分経っても彼らは押し黙ったままで、何か行動を起こす気配もない。

埒が明かず、課題は私が殆ど一人で仕上げた。
当時、和文英訳が苦手だった私にとっては辛かったが、背に腹は代えられない。
(ちなみに当時スマホは普及前で私も持っておらず、またネット環境のない教室での授業だったためネット検索や翻訳も使えず、教科書と辞書だけを頼りに行うしかなかった。)

書き上げた用紙には、グループメンバー全員の名前を記入して提出する。
先生からは、非協力的なメンバーについては減点対象の旨を記入したり、名前自体を書かなくてよい……と説明されてはいたが、本人たちの前で面と向かってそれができたら苦労しない。かなり癪だったが、彼らにも名前を書かせた。

事前になんとなくこうなる羽目になるとは感じていたが、まさに悪い意味で想定通りとなった初回授業であった。
正直毎週この調子が続くとなるとかなり辛い。

だが、彼らも単に他人とのコミュニケーションが苦手なだけで、決して根から不真面目な様子には見えない。
もしそうなら、回を重ねれば彼らも心を開いて協力してくれるようになるかもしれない。そんな彼らにも多少の期待は抱いていた。

6月下旬、学期の終わりも近付いてきた頃。
ここまで毎週顔を合わせてきた無口男子3人だが、課題への協力はおろか口を利いてくれることさえ殆どなく、結局私は毎週の課題をほぼ全て一人でこなす羽目になっていた。
そう、彼らはとうとう心を開いてくれることはなかった。ここまで頑なだともはや恐怖である。

ともすれば周囲に馴染めないのを理由に早々に退学していきそうな雰囲気の彼らだったが、3人とも毎週律儀に出席だけはしていた。
出席だけしていれば単位が貰えると思っているのか、私が何とかしてくれると思っているのか不明だが、ここまで来るともう真面目なのか不真面目なのか分からない。

この授業の最終課題の日も近付いてきた。
ちなみにその内容は、これまで予めテーマを与えられていたのに対し、自分たちでシチュエーションまで考えてビジネスレターを書く、というものだ。従来と異なるのはテーマの有無だけで、これもさほど難しいものではない。

だが、私にとってはそれが何よりの問題だった。与えられた課題をこなすのは何とかできるが、脈絡もなく一から自分で考えて……というのが物凄く苦手なのである。

そこで私は、この課題のアイデア出しを3人に任せることにした。
最終日の2週ほど前の授業で、私は彼らに「翌週までに最終課題のアイデアを考えてきてほしい」と頼んだ。

正直このまま私に縋っていれば単位が貰えると思われるのも癪である。
「今まで私が課題をほぼ全部やってきたのだからそれくらいはやってくれ」という旨も、角が立たない言葉を選んで伝えたつもりだ。

彼らが翌週までにアイデアを持ってきてくれれば、翌々週の最終課題は安心して取り掛かれる。
だが正直な話、これまでの彼らの態度から、彼らがちゃんと考えてきてくれる可能性は皆無だった。もしそうなった場合はどうしようか……


そして翌週、最終課題提出の前週の授業。
私は彼らに、課題のアイデアを考えてきたか尋ねた。

「……」
「……」
「……」


案の定、彼らはアイデアを考えてこなかった。
一人が苦し紛れにようやく「○○の話はどう…?」のようなことを一言だけ、ボソッと口を開いたが、そうではない。毎回先生が出すお題と同等の粒度で考えてきてほしかったのだが、全く理解されていなかった。
それとも、彼ら3人ともやっぱり私が最後に何とかしてくれると思っていたのか……

結局この日の授業も進展がないまま終わってしまった。
私は頭を抱えた。真面目にやるなら、全部私が考えて課題を仕上げるべきだろうが……

そして翌週。
結果を述べてしまうと、私は最終日の授業をサボってしまった

私はこのメンバーのあまりにも消極的な態度に、もう完全に愛想が尽き、疲れてしまっていた。もうあとは君たちだけで何とかしてくれ、そんな気持ちだった。
彼らから恨まれても仕方ないことだが、悪いのは何もしなかった自分たちである。

しかしこれは即ち、自分の最終課題も提出しないということである。勿論、これによって己の単位が取得できないリスクも大いにあった。

加えてこの日は午後に別の授業の試験があり、こちらは出席する必要があった。
悪いことに、件の英語授業のメンバーもこの試験を受けるため、嫌でも顔を合わせることになる。当然、彼らに対しての後ろめたさがあった。逆恨みされて何かされても困る。
彼らの目を極力避けたかった私はこの日、午後の試験開始直前に登校し、試験が終わると逃げるように大学を後にした。

ちなみにこの英語授業の私の成績は、良い方から「秀・優・良・可・不可(落第)」の5段階評価でなんと一番良い「秀」を頂いた。最終課題を提出していないにもかかわらず、である。
不可も覚悟していたが、殆ど一人で課題を仕上げてきた実績を評価してもらえたのだろうし、もしかしたらあの困ったメンバーのことも酌量してもらえた結果なのかもしれない。
どちらにせよ、この評価をしてくれた先生には感謝しかないし、最終課題を欠席してしまったことは本当に申し訳なく思っている。

彼らの成績については知る由もないが、願わくば全員不可になっていてほしい……と言ったら流石に言い過ぎだろうか。

この後、この無口な男子3人が辿った道はまさに三者三様だった。

一人はその後しばらく同じ授業で見かけたりしたがその後は徐々に来なくなり、翌年頃には学年の名簿からも名前が消えた。はっきりした理由は不明だが、周りに馴染めず退学していくのはよくある話だろう。

あとの二人も同様かと思いきや、意外に違った。
二人目は、周囲から殆ど孤立しながらも卒業まで残った。彼が4年生で配属された研究室も、学科内で一番の落ちこぼれ的な立ち位置のそれだったが、なんとかそこまでは漕ぎ着けたようだった。
もっとも、他の必修科目のレポート等の提出状況が芳しくなかったようで、そんな様子で本当に卒業できたのかは判らない。就職についてもどうなったのか不明だ。

驚いたのは三人目で、学科内でも特に厳しいと言われている准教授と仲が良かった様子で、最後はその先生の研究室に入り大学院まで進んだようだった。
どういう経緯で彼がそうなったのかは不明だが、その厳しい先生に気に入られるくらいのコミュ力があったなら、この英語授業の頃から発揮してほしかったものである……

正直、今でもこの同期3人のことを思い出すたび腹立たしい気持ちになる。
彼らとグループを組むのを回避できなかった私にも非はあるが、(最終的になんとかなったものの)私の成績にだって影響していたかもしれないし、入学直後のただでさえ不安な時期に、更に不安感や負担を増やされたのである。もはや恨むなという方が無理だ。

だが、私自身も昔から人付き合いや他者とのコミュニケーションで躓いてきたのは同じで、彼らの気持ちは全く解らないでもない。
加えて、後にそういう障害であることも発覚する。

無論、根拠なく他人を病気や障害だと決めつけるのは不適切である。だが、自分がその当事者だとはっきりした今になって思うのは、もしかしたら彼らもこの手の生きづらさを抱えていたのかも……ということである。

これ以前の学生生活や友人関係で、私自身が彼らのような状態になって相手に迷惑をかけたり余計な気を遣わせたりした、そんな心当たりも大いにある。
こう考えると私は彼らのことを尚更責められない。他人のことはとやかく言えないのである。

だが、それでも私は彼らのカウンセリングのために大学に行ったのではないし、たとえ当事者だからといって、厄介をかけられた彼らの苦しみに寄り添えるほどお人好しでもない。むしろ助けてほしかったのは私の方だ。そんなふうに突き放す気持ちも消えるわけではない。
彼らへの怒りと同情、両方が共存する複雑な気持ちが今も残っている。

その後、この3人とは連絡先も交換しなかった(したくもなかった)し、SNSを探すも見つかっていない。また同窓会などもまだないため、彼らの近況を知る手立てはない。
彼らを心配する義理は全くないが、大学を卒業してから10年以上経った今、何処で何をしているのか。少し気になっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?