沈黙が怖いのは僕だけじゃなかった
「最近どう?オレらの世代って忙しくない?」
Ⅿが突然話を切り出した。言われてみれば何かと忙しい年代ではある。近ごろアラフォー3人でLINE通話をするようになった。各家庭によって環境や悩みは人それぞれだ。
「オンギャ~ギャーワー!」
電話越しから赤ちゃんの声が聞こえた。Ⅿは仕事から帰ってくると奥さんと交代して子供の面倒を見たり、家事をやりくりしながらLINE通話をしている。
「来月から管理職に就くんだけど、自分が務まるのか今から心配で心配で…」
次に言葉を発したのはYだ。会社から昇進の話を持ち出されチャンスと思いきや、Yいわく人の上に立つ人間ではないと早くも意気消沈ぎみだ。
この話を聞いているぼくは結婚もしていないし昇進の話もない。世間的に見れば40才で実家暮らしをしている時点でおかしいかも知れないが、ここ何年かは体調を崩すことなく元気に過ごせている。
20代の頃から発達障害の二次障害でうつになり、まともに仕事が続いたことがない。絶望が多い人生だったが、まわりの人に助けられ何とか生きてきた。
Ⅿ「昇進の話受けた方がいいよ、チャンスじゃん!一人で抱え込むのもよくないしさぁ、たまにはウチらに相談しなよ。職場では何、相談する人はいないの?」
Y「まあ、職場で相談するっていっても一人くらいかな。みんなさぁバタバタと忙しいし、この環境で本当にやっていけるのかな」
僕は不思議そうに二人の会話を聞きながら、別の世界の人種の人達の話を聞いているようでどこか心ここにあらず状態だった。自分って社会不適合者なのかイマイチ共感できない。
「タツジは今の話を聞いてどう思う?」
Ⅿが質問してきた。
「今から悩むより管理職の話を聞き入れたんだから、仕事をやりながら人に相談するしかないいんじゃないかな。不安は大きいと思うけどやりがいも出てくると思うよ」
特に答えらしい答えも言えず、質問に対してオウム返しをするしかなかった。
沈黙が流れる
…………
…………
…………
「あれ、二人とも聞こえている?あああ、マイクのテスト聞こえてますか?」
Ⅿ「アハハ!LINE通話ってたまにあるよね、誰も話さず静かな時が」
Y「こういう時って何を話せばいいか分からない笑」
沈黙が怖いのは僕だけじゃなかったんだ。
「こういう空気の時は『沈黙の戦艦』って呼んでる。たしか、そういうマンガがあったよね?」
Ⅿ「アハハ!かわぐちかいじ!じゃあこういうのはどうかな、『羊たちの沈黙』」
Y「あったあった、昔流行った怖い映画でしょ?沈黙か、沈黙、沈黙、ちんぬく」
Ⅿ「ちんぬくって何?」
Y「沖縄の方言で、いも」
沈黙が流れる
………
………
………
「はい!出ました『沈黙の戦艦』」
一同「ハハハハハ!」
笑いが生まれて初めて共感することができた。
もともと僕は空気が読めなかったり、相手に対して失礼な言葉を発したり、こだわりが強くものごとを柔軟にとらえられない人間だった。
なぜ相手を怒らすのかが分からないし。なぜ怒られているのかが分からない。
発達障害の診断が出たのは2007年の夏、今から14年まえの事だ。
当時、大阪に住んでいた僕は仕事を終えて帰宅し、部屋の壁にもたれたまま動かなくなってしまった。
またか。知らず知らずのうちにストレスが限界に達して、うつになってしまった。もうこれで何度目だろう?そもそも自分でうつだと気づく時点で本当にうつなのか疑問だ。もう何も考えたくない、ゆっくりと休んできれいな景色が見たい。
海が見たいなあ。広々とした海が見たい、そしてこのまま深く眠り続けることができればいいのに。何かいい方法はないかな?
そうだペンキで部屋を青く塗ろう!
翌日、近所のホームセンターで青いペンキとシーラーとハケとバケツとマスキングテープを買ってきた。まずは6畳間の部屋にペンキで畳が汚れないよう四方にマスキングテープを張る。畳一面に新聞紙を引けばペンキは簡単には畳につかないだろう。
バケツにシーラーを流し込みハケをつけて丁寧に壁に塗っていく。シーラーは透明な色で、はじめにシーラーを塗ると次に塗る色が塗りやすくなる。
つぎは念願の青だ。
サーアーッとから左から右、右から左へと表のハケと裏のハケを使い交互に壁に塗っていく。
超絶気持ちいい。自分は今、良くないことをしているのは分かっている。しかし、手が止まらない。青いペンキを二度塗り終えるといったん畳に座り込みそのまま大の字になった。
深海の底にいるようだ。あぁ~生きてるって感じ。最初は砂浜に寝転がりながら打ち寄せてくる波の音をイメージしていた。でも音さえも気になるので海の底にいる体に切り替えた。深い深い海の底で仰向けになり、目を閉じて音さえも聞こえない。
3日後、アパートに職場の先輩が訪ねてきた。
「…何だこの部屋は?お前大丈夫か?」
翌日、先輩と一緒に病院へ行った。病院に着くと女性の精神科の先生にテストを受けるよう促された。テストの内容は具体的には思い出せないけど、絵を描いたり、先生の質問に答えたり、まあまあの時間を費やしたと思う。
その日のうちに診察室に呼び出されると先生は優しくゆっくりな口調でこう言った。
「金城さん、あなたは広汎性発達障害という障害です。人ととのコミュニケーションが上手くできない障害ですね。決して病気ではありません。ここ数年前に出てきた障害なので世間的にはまだまだ知られていませんが」
「こうはんせいはったつしょうがい?」
先生は漢字にフリガナを付けて広汎性発達障害と書いた紙切れを僕に手渡した。
「ご出身は確か沖縄でしたね。これからは漁業か農業とか自然に関する仕事に就いた方がいいと思います。無理をなさらようにしてください」
今でこそ発達障害について、そこそこ理解されるようなったが当時は医者もどうサポートしていいのか分からず、『なるべくマイペースでこのさき生きてください』としか言いようがなかった。
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Ⅿ「タツジはさぁ、農業やりながら福祉事業所でも働いていてるんでしょ?すごいよ、確実にいい方向にいってるって!」
「そうかな。最近は水田が大雨で被害にあったし、何回も農業を辞めたいと思ったよ。でも、農業と福祉がつながるのが僕の理想だったから、いい方向に進んでるかもね」
Y「これからってときに水田に被害にあったら誰でも心折れるって。大変なときに自分に負けなければ、今まで以上に変化が起きると思うよ」
「うん。もうちょっと頑張ってみるよ」
なんだ、昔より人と共感できるようになってるじゃないか。どこか自分だけが可哀想な人間だとずっと思い込んでいた。過去の出来事を思い返し、あのときああすれば良かったと嘆くこともたまにある。
社会立場、肩書きを抜きにして話せる環境ってあるのだろうか?
趣味が同じ、もしくは考え方がどこかにている。そういう話相手がいるだけでも幸せではないだろうか?
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