APD(聴覚情報処理障害)の本を読んで行動したら、飛躍的に運が上がった話
馬鹿にされてばかりのどん底の人生
「おい、金城を見てみろ、あいつまた寝てるぞ。授業中寝ている姿しか見たことがない。本当に大丈夫か」
今日も一日中、顔を両腕にうずめて机の上で寝てばかり。
僕は学生時代、団体行動が苦手で授業中は周りの音が気になって寝てばかりでした。それに、野球部の監督やメンバーの声を上手く聞き取ることができず、サインプレーはミスを繰り返してました。
学校の成績は悪いし、野球はレギュラーにもなれない。何をしても、怒られてばかりで「自分は人と違うのかな?」と思ってました。しかし、なぜ何をやっても上手くいかないのか原因がわかりませんでした。
将来の希望もないまま、高校時代を過ごし、卒業した後はプラスチック工場で働くことに。
機械音が鳴り響く中での作業。ある時、先輩が
「おい!モンキー持ってこい、モンキー!」
と、突然叫んできたのです。
モンキーとはモンキーレンチのことで、大きなネジを回す時などに使う道具です。
先輩は機械が故障したので、びっくりして、モンキーレンチをすぐにほしかったのでしょう。
すかさず、ぼくは、ホウキを持って渡しました。
すると、先輩は
「そうそう、このホウキでネジを回してって、アホ!」
とノリツッコミ。
なんとか笑いに変えてその場はしのげたのですが、聞き間違いは数えきれないほどしてきました。やっぱり何か耳がおかしい。なぜ他の人は、あんなにうるさい工場で普通に会話ができるんだろう?
上手く会話が聞き取れない僕は、もちろん仕事で怒られてばかりなので、落ち込みます。家に帰ると、お酒で気分を紛らわす毎日でした。
アパートの部屋でブツブツと独り言をいうことが増えていき、急に泣いたり怒ったり情緒不安定な精神状態となりました。
会社にも行けなくなり先輩に精神病院に連れていかれた結果、発達障害の二次障害で、うつと診断されたのです。
内心ホッとしている自分がいる一方で、この時は自身が聴覚過敏とは分からなかったのです。これが35年間苦しみ続けた体調不良の主な原因でした。
工場で働き続けるのは難しいと感じた僕は、地元沖縄の田舎へ帰ることにしました。
現在は、静かな山の中で農業をしているので騒音には困りません。
聴覚過敏で悩んでいたときに出会った本とは?
悩みながら、自身の体調不良の原因を模索する日々が続きました。
からだの調子がよくなったり、悪くなったりイマイチ原因が分かりません。
静かな場所で農業をしているので体調が悪くならないから、体調不良の原因は音だと思うけど、もっと具体的に分からないものだろうか?
本屋に行って、福祉関係のコーナーで本を探し回りました。するとAPDという見たことのないアルファベット3文字の本に出合いました。
本の中身を確認すると、聴覚過敏について詳しく書かれていたのですぐに購入。
この本を読み始めてから、APD(聴覚情報処理障害)を学んで自身の困りごとは何なのか?どうすれば人と上手くコミュニケーションがとれるのか?を考えられるようになりました。
この本を読んでうまく工夫すれば、今よりも苦しまずに人とコミュニケーションをとることができます。
もしもこの本を読まなければ、知識を得ることなく、同じ悩みを持った方々との交流も生まれませんでした。
一生孤独で、人とコミュニケーションを取ろうとせずに、毎日を過ごしていたに違いありません。
本を読んで、僕の症状の原因は主に聴覚過敏だということが分かり、町内で同じ当事者の方や発達障害サポートの方々と繋がることができました。
「どうせ聴覚過敏のことなんて誰も分かってはくれない」と、あきらめかけていた僕に希望の光が見えてきたのです。
聴覚過敏当事者の悩みを共有することで、福祉事業所の職員も発達障害に関する知識を学ぶことができ、僕も自分の苦手分野を再確認できます。
聴覚過敏で苦しんできた経験を無駄にせずに、同じ悩みを持つ人たちのために、どうすれば状況はよくなるのか?
まずはAPD(聴覚情報処理障害)を学びましょう。
聞いたことのないアルファベット、APDとは?
たしかに、居酒屋で友人と話をするときも、まわりの音が気になって会話に集中できない。
聞こえるけど、聞き取りづらい、その通りなんだよなぁ。
音は聞こえるのにどうして聞き取りにくいの?
そうだ!人がわいわいがやがや、騒がしい場所で友達と話しているときも「オレの話聞いている?」と、よく言われるけど決してわざとではない。
本当に困った障害だ!ぼくの他にもAPDの方がいるかもしれない。
町役場に相談に行ってみよう。
発達障害だと町の人に知られるのが嫌で、役場に行くのも気が滅入る
今でも、精神科の病院に通院している僕は、障害手帳更新のために役場に行きます。案の定、いつ行っても気分がブルーになります。
大人になって発達障害の診断が下りたので、地元の同級生は、僕が発達障害と誰も思わないだろう。役場にいくと誰かに見つかるかもしれない。正直行きたくない。
でもそこで心の声が聞こえるんです。
「同じ悩みの人と共有したいんだろ?勇気がいるかもしれない。でも行動しないと何も変わらない。君はあのころの自分をとうに超えているよ。一歩前へ進もう」
マンガ、スラムダンクの安西先生が言いそうなセリフだ。心の声が聞こえると言ったが、過去のトラウマのおかげで声に出して自問自答するようになった。ブツブツ独り言を言っていたらスルーされてもかまわない。
役場の福祉課に相談すると「町内に一人、女性の方で同じように聴覚過敏に悩んでおられるかたがいます。紹介しますね」と女性職員に言われた。
優しい声をかけられて、僕は泣きそうになった。
それから、Aさんを紹介してもらった。
Aさんは、日常生活に支障をきたすほど、聴覚過敏で悩んでいて、初めてお会いした時から耳にイヤーマフをつけていた。
イヤーマフは、外から聞こえる音を小さくする為に耳に装着するアイテムだ。イヤーマフをつけないと音が異常なほど耳に響いてくる。
テレビに例えてみましよう。ボリューム設定を25にするとしますね、聴覚過敏の人は40か、それ以上に聞こえてくるわけですよ。「ああー痛い!」耳がズキズキと感じます。非常に困ったものです。
初対面から徐々に交流は続き、Aさんから福祉事業所の理事長さんを紹介して頂きました。
2週間に一度、ぼくとAさんと理事長と福祉事業所の職員で発達障害に関するディスカッションをしています。
悩みを共有できることはうれしい。なによりも、理事長さんが発達障害で困っている次の世代に向けて、僕の失敗体験を伝えてほしいとおっしゃっている。
不思議な繋がりは数珠つなぎのように進んでいく。
山の中でひとりで農業をしていることをどこから聞きつけたのか、テレビ局の方から電話があって『ロハススタイル』という沖縄のローカル番組に出てほしいと依頼があった。
番組では、アナウンサーが「どうして山の中でひとりで農業をしているのですか?」とぼくに聞いてきたのです。
そこで僕は「発達障害の聴覚過敏で仕事が続かないので、ここでひとり農業をしています。10年以上前に、精神科の病院の先生に『あなたは、漁業か農業に携わった方がいい。人とは直接働かないようにしたら?』と言われ、正直、働かなくていいのなら、働きたくありません」と答えました。
アナウンサーは、優しいまなざしで「うん、うん」と、うなずきながら僕の話をじっくりと聞いてくれた。
翌日、発達障害で悩む方たちから励ましの電話がひっきりなしにかかってきて、
「ロハススタイルを見ました!うちの子が発達障害なので、金城さんの生きる姿を見て感動しました。これからも頑張ってください!」と知らない人から電話がかかってきたのです。
「えっ、ドッキリじゃないよね?オレ、有名人になったかな?」
「有名になりすぎてもイヤだなぁ」
と、思ったりもしたが一週間も経つと連絡が来なくなる状態に。
でも、一歩勇気をふりしぼって行動するとこんなにも変化が起きるのか。こんな僕にも根拠のない自信がついてきました。
農業と発達障害を発信する為にITを学びたい
メディアの力って大きいなぁ。
もっと農業や福祉に関する発信をしたい。
そうだ、知り合いのHさんが通っていたITビジネススクールがある。でも、素人の僕だけど相手にしてくれるかな?
そもそもTwitterやnoteは、使っているけど発信の基礎となる学びが全然足りなかった。でも、変わりたい。農業しながらITでも稼げるようになりたい。
ゲーテの言葉に「はじめに行いありき」とあります。
まずは一歩踏み出すこと。それが一番大事。
本当に、農業のことや発達障害のことを発信したかったら実行できます。
自分のために人のために行動しよう。
自分にそう言い聞かせて。
HさんのTwitterから神里さんのアカウントを見つけ出して、半年間Twitterをチェックしたり時々LINEでビジネスの質問をした。
その行動が功を奏したのか2022年6月から、ぼくは『やんばるエキスパート』というITスクールでライター講座を受けるようになった。
ライティングの実力のなさに押しつぶされそうになるけど、講師は徹底的に知識を与えてくれる。がんばろう。
これからは、ひとりじゃない
今では、発達障害の同じ苦しみを共有できる人達と交流しながら「自分はひとりじゃないんだ」と、人とのつながりを実感できるようになりました。
APD(聴覚情報処理障害)の本を読んで実際に行動を移さなければ人との出会いもなかったのかも知れません。
今後の目標は、ITビジネススクールでライター講座を学びながら農業のことや発達障害、APDのことを発信することです。
学校でも社会生活でも、人とのコミュニケーションで、たくさん失敗してきました。人を恨んだり自分自身を卑下したり、正直に言うと人生うまくいった試しがありません。自身が発達障害の聴覚過敏と気づいたのも35歳のとき。
自分の障害は何なのか?福祉事業所で発達障害について学びながら、同じ悩みの人と交流するするうちに、
「僕も、社会に役立つ人間になれるかもしれない」
「自分の失敗体験が誰かの為になる話だとしたら、決して無駄ではなかった」
そう思えるようになりました。
あのとき勇気を出して町役場で相談しなければ、もっとストレスが溜まったままの状態でした。
人とのつながりが増えていき、障害を学ぶ環境にもいます。指導力の高いITビジネス講師にも出会いました。
APD(聴覚情報処理障害)で悩んでいるのなら
この本を読んで行動すると自分の意思が変わり人との出会いが増えます。
僕は、APD(聴覚情報処理障害)を読んで自分の障害がわかりました。そして人に相談することで、人との繋がりが増えていきました。
体調が悪いときは、動きたくないし、考えることもしたくないです。(考えれば考えるほど不安になるので)
もし、あなたも聴覚過敏で悩んでいるのなら、勇気を出して人に相談することをオススメします。
よろしければサポートお願いします☺️