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[講演録②] 成熟社会での「経営者の言葉」

この記事は、2024年1月24日に「経営者の学校 Powered by WORDS」で話す機会をいただいた内容を、竹村俊助社長はじめWORDSの皆様のご理解ご協力のもと文字起こししたものです。
この記事は後編②で、前編①(「経営」とは「共感の拡大再生産」) は、コチラ です。


企業が向き合う3つの「市場」

さて、ここまで話してきたような「原風景」のなかで生まれて育ってきた会社(企業)が向き合っている「市場」が、実はいくつかあるんですね。
企業は3つの市場に向き合っている、という話をここでします。

製品/サービス市場というのが、お客さんの市場ですね。何がいいかな。リンゴだとするとリンゴ市場ということですね。そういう、お客さん側の市場がある。
もう1つが人材市場。企業は様々な人材を労働市場から調達してるわけですよね。
それで、もう1つがお金、資本市場(金融市場)。上場してる会社であれば、株式が売り買いされてるようなマーケットのパターンもあれば、あとはお金を貸してくれる銀行などですね、そういうものも含めたお金周りの市場というのがあります。

企業は、この3つの市場に同時に向き合ってるわけなんですね。調達としてはヒトとカネを調達するので、人材市場と資本市場(金融市場)と向き合い、そこで何か価値のあるものを生み出してお客さん側の製品/サービス市場に売られていくということになる。
という、この3つに向き合ってますよね、というところをまずいったん、ここで確認をしておきたいと思います。


「市場」の不思議

ちょっとここまで、前置きとして確認が多かったんですけれども、ただそもそもこういうものですよね、という確認がちょっとこの後の話で必要になってくるので、まどろっこしかったんですけど、話をさせてもらいました。

さて、ここでですね、ちょっとだけ話、変わるんですけれども、ただ最後で繋がってきますので、少しだけ聞いてもらえればと思います。

「市場」というものは不思議ですよね、ということを少し話したいと思います。さっきも言った通り、企業というのは人材市場と資本市場と製品/サービス市場に向き合っているという言い方をしました。「市場」という言い方、これまでもよく使ってますし、皆さんも日々使ってますけど、ここって不思議ですよねっていう話を、少しさせてください。

この漢字、何て読みますか?ということです。


これまでずっと「しじょう」と読んできたので、「しじょう」ですよね。
なんですけど、ほんとは日本人は「いちば」って読むのが正しいんですよね。「しじょう」というのは外国から来たコンセプトに対して、これを当てはめたということなのかな、と思います。この「しじょう」と「いちば」というところについて、少し考えてみたいなと思います。

ここにリンゴがあります。これ僕、実際に持ってきたんです。リンゴ。今の季節、リンゴ美味しいですよね。ここにリンゴがあります、きれいですよね。
さて、これ、いくらで買ったと思います?

――100円とか?
小川:100円?100円ではないです(笑)。

――相場、分からないんで。200円ぐらい?
小川:(笑)200円ぐらい?じゃあいったん、200円ぐらいにしましょうか。
実は、いま言ってなかったんですけど、このリンゴ実は、長野県の山奥なんですけど、人口は数百人ぐらいの村があって、その村の中ではリンゴ農家としては最後のおじいちゃんが作ってるところで。そこが基本的には農薬をあんまり使わないかたちで、作ってるリンゴなんです。
…って聞いたら、いくらだと思います?

――…500円?
小川:500円?じゃあ、200円が今500円になりました。
さて、もし明日、自分の誰か大切な人の誕生日だとします。恋人だったり親だったり、おじいちゃんおばあちゃんだったり、大切な人の誕生日です。その大切な人はアップルパイがすごく好きで、それで明日、作ってあげたいなと思っている。このリンゴ、実はそんなに甘くなくて、シナモンを混ぜるとすごく良くてアップルパイと合うんです。これを使って明日アップルパイを、大切な人にプレゼントしたいってなると…
このリンゴに、いくら出しますか?

――…1000円。。
小川:1000円出します?じゃあいったん1000円にしましょう。


はい。
ということで、いま起こったことは、最初200円と言ってたリンゴが1000円になったんです。それで、そのあいだで僕がやったことは、このリンゴに情報を足していっただけなんです。もう1個は、買い手の情報を聞いたっていうこと。それが合った時に、このリンゴが200円から1000円になったんです。ホントは普通にスーパーで買った200円のやつなんですけど(笑)。ただもし、これが本当に1000円の価値があって、でもそれが何も情報が付加されてなかったら、この1000円のリンゴは200円で買われてたんです。800円、損してるんですね。というようなことというのが、さっきの「しじょう」と「いちば」の間では違いとして起こるんです。


つまりこれ、左側は「しじょう」と呼ぶほう、右側に書いてるのが「いちば」というふうに書いてあるものですね。
リンゴ「しじょう」の中では、基本的にはどのリンゴも一緒なんですよね。傷があるかどうかとか、あと糖度とか、一定のフィルタリングとモノサシでもって分別や優劣はつけられるんですけれども、基本的に1個の同じもの、なので代替可能なんですね。そして、代替可能だからこそ、いろんなところに売れるんですよ。

このリンゴが仮にあんまり甘くなくてアップルパイにぴったりだとした時、でも実はあなたの大事な人は、リンゴにシナモン混ぜるなんて意味分からないと思ってたとしたら、むしろこのリンゴには価値がないんですよ。でも、リンゴ「しじょう」ではそういう情報がついてないただのリンゴなので、誰でも買ってくれる。ということで流通性があって、いろんな人に受け入れてもらえるリンゴ。

逆に「いちば」というのは、これがどういうものなのかというのを個別具体的によく理解して、買い手がどういう人なのかというのを個別具体的によく理解して、そこがカチッと噛み合った時は、それがすごく価値として跳ね上がるっていう、代替不可能な状態なんです。だから、個別的なんですけど深い関係になる。その時に、お互いそれが噛み合えば価値が上がる、値段が上がる。それが「いちば」の世界なんですね。

実際、魚の「いちば」っていうのは、港から来た魚に対して、この魚は何に合う魚、誰に合う魚っていうのを、そこで選り分けをしてるわけなんですね。そういう機能があるというのが、本来的には「いちば」という場所になってるんです。

ひとつ注意点なんですが、こういう話をすると、いま世の中は「いちば」じゃなくて「しじょう」に行き過ぎている、全ては「いちば」に戻るべきである、というふうなことを言おうとしてると感じるかもしれないですが、別にそういうわけじゃなくて、両方大事だと思ってるんです。
いろんな人が手に取りやすい価格でリンゴを買えるという、それもとても素晴らしいこと。でも逆にもしこれがほんとに1000円の価値があるものだとしたら、それって200円で売っていいんですかね?という話も同時にある。両方大事だよねと思ってるという、そういうことですね。


今はリンゴで話しましたけども、話をちょっと戻すと、さっきの3つの市場全てで、この現象が起こりえることなんですね。

さっきのリンゴの話のように、製品/サービス市場で言うと、とても分かりやすくそういうことが起こってると思います。家電量販店に行って、何か家電買う時に、これ結局スペックどうなの?というので、ただそれで売られてるわけですよね。それを作った人がどういう苦労をした人なのか、どういう人柄なのかっていうのは、あまり関係のないことというか、情報として入れないですね。

でも例えば、丁寧に作られた服だとしたら、その服の裏側にあるストーリーってとても知りたいし、ある意味それも含めて買ってますよね。ただ自分が買ってるその服が、誰か他の人にも同じだけ価値があるかっていうのは、別にそうとは限らないし、何ならそういうことはどうでもいいわけなんですね。というのはどっちかと言うと、「いちば」的な「しじょう」だったりしますね。

あるいは、人材市場もそうなわけなんですね。本当は人と人の出会いって、きわめて個別具体的なんですけど、でも人材の採用サイトに登録する時には、どこの大学を出てどういう資格を持っていて、ということを情報として入力しますよね。これは基本的には1つのモノサシの上に乗せられて、比べることが可能であり代替可能であるという世界の中で、就職活動をしているということですよね。

ただこれもどっちがいいっていう話じゃなくて、代替可能な状態になっているので、たくさんの人の雇用ができて、1人抜けても次のメンバーを補充できるのでその会社を維持できるということなので、これまたどっちがいいというわけではないんですけれども。ただ本来、人と人との出会いって、きわめて「いちば」的なものがあるはずなので、ほんとは両方ありますよねということ。

お金の市場、資本市場については、お金って色はないので「しじょう」的になりがちなんですけど、最近で言うといろんなかたちのお金の調達の仕方って、増えてきてるんですよね。銀行から借りるのもあれば、上場して投資をしてもらうパターン、株を買ってもらうパターンもあるし。投資家の中にも、とても短期的なリターンを求めるような投資家もいれば、とても長い目線で見ている投資家もいるし。あるいはその中で最近だとCSRとか、環境に対してどういう向き合い方をしてるかっていうのを気にしてる目線も多様になってきた。

そういうようなことで、だんだんだんだんお金の出し手も多様化してきてるし、その手法についてもどんどん開発されてきてる。人材市場や製品/サービス市場に比べると多様ではないですけれども、多様化が進んでる環境なんだろうなというふうに思います。

なので、この企業が向き合ってる3つの市場それぞれについて、「しじょう」的なものによって、これまでの経済や企業の成長が加速してるわけなんですけれども、と同時に、「いちば」的な側面が出る余地っていうのも同時に広がってるんじゃないかな、ということ。
それが、「これからの資本主義」とテーマのなかで僕が思っていることです。

成長社会と成熟社会

これ、別の言い方をすると、「しじょう」世界というのは、モノサシを事前に決めて、そのモノサシの中でどこに位置づけられるんですか?ってこと。このリンゴって糖度何パーセントですか?というのは1個のモノサシの上に乗せられてるということですよね。そういう世界。

一方で「いちば」の世界というのは、どのモノサシなんですか?というのは完全には決まってないんですよね。世の中の全てのリンゴがアップルパイに合うかどうかだけで決められてるんだとすると、それは1個のモノサシなんですけど、私はアップルパイに合うかどうかで決めてるし、別の人は違う考え方をしてるという状態。これはモノサシがそれぞれ違う、という世界なんですね。という2つがある、ということで。

この話を、成長社会と成熟社会という対比と繋げてみたいと思うわけです。僕さっきベトナムに住んでいた時があったと言いましたけれど、ドーッと経済成長している時期というのは、基本的にはモノサシって揃いやすいんです。かつての日本で言うと、家の中に家電が増えていくというのはとても分かりやすいですよね。あっちの家はどうやらカラーテレビを買ったらしい、うちはまだだなと。カラーテレビ買えるようになったというので、1個のモノサシの上でどんどん皆で頑張っていけるということで、それで経済も大きくなっていく。経済が大きくなっていくというのと、1人1人が幸せになっていくというのは、基本的には経済成長という文脈の中で、みんな方向性はある程度、揃う傾向にある。

でも成熟社会になってくると、何が嬉しいかっていうのがけっこう分からなくなってくると言うか、人それぞれになってくるわけなんですね。家にもうすでにテレビあるけど、もう1個あって嬉しいかって言うと、嬉しい人もいるんでしょうけど、いや別に、という人もいるし。そうなってくると、モノサシがいろいろ変わってきますよね、ということ。なので成長社会というのは決まったモノサシの上で頑張る社会という言い方ができて、逆に成熟社会というのはモノサシ自体を選ぶ社会になっていく。そういう言い方をいったんここでしてみようかなと思うわけです。

日本は今後人口が減っていく環境にありますので、日本の中だけで経済成長を実現していくというのは、全体的に言うとけっこう難しい状況になってますよね。モノがどんどんどんどん売れていくかと言うと、それもなかなか難しくなっていくというか、少なくとも物的な満足感を与え続けるというのは、けっこう難しいわけです。そこには何か感情的な喜びと言うか、そこに意味合いというのがないと、なかなかお客さんは買ってくれないと、いう環境になってくる。

その感情的な喜びというのは、人によって違いますよね。「モノサシがバラバラですよね」という世の中に僕たちはもう入っていってる。これからそれがどんどん進んでいくはずだろう、というふうに思うわけです。そういう環境を前提にした時に、企業の動き方や経営者の考え方も、変わっていかないといけないんじゃないかなというふうに思うわけです。

(※プレゼン後の質疑で、「成長社会が成熟社会に移行する」という話ではなくて、「成長社会的な部分と成熟社会的な部分が共存する社会になっていく」という話の方がしっくりくるね、という話をしました。)


「3つの市場」の奥にいる「1人の市民」

このモノサシ自体を選ぶというふうに考えた時に、もう1回この図に戻ってみたいんですね。さきほど、企業は3つの市場に向き合っている、という言い方をしました。ただ実は、この3つの市場の奥では1人の人間に集約されていくんですね。

どういうことかと言うと、何かモノを買う「私」と、働きに出ている「私」って一緒ですよね。実は労働者の自分と消費者の自分って、もともとは1人の人間なんですね。それがある時は消費者として振舞い、ある時は労働者として振舞ってる、ということになる。なので人材市場と製品/サービス市場というのは、その奥には1人の人間がいる、ということなんですね。

もうひとつの資本市場ということで言うと、「私まだNISAもまだだし、投資してないです」という人もいっぱいいると思うんで「自分には関係ないです」っていう感じかもしれないですけど。実は今、日本で一番たくさん上場企業の株を持ってるのって年金なんですよ。つまりその年金の奥には、私たち1人1人がいるわけなんですね。そしてこれから株式投資に取り組む人が増えていくんだとすると、さらに資本市場の奥に1人の人間がいるっていう景色が広がっていきますよね。

ということで、3つの別々の市場が広がってるという言い方をしたんですが、実は1人の人間がいるというだけだったりするんです。それが場合に応じてそのキャラクターというか側面を使い分けている、という捉え方ができるんじゃないかなと思うわけです。

で、さっきの成熟社会、このモノサシ自体を選ぶ社会ということが仮に進んでいくんだとすると、この3つの市場から企業への向き合い方というのが、1人の人間に統合されていくという見方ができるかと思います。要は、好きな会社があると、その会社の商品も買いたい、その会社で働いてみたい。たとえば投資するんだったら、株も持ってみたいというふうに思う。ということで好きな会社あるいは共感してる会社に対しては、3つの側面全てからその会社と関係が結ぶことが、できるようになっていくんじゃないかなということです。

典型的には、たとえば「北欧、暮らしの道具店」のクラシコムさんがありますけれども、そこは働いてる方々というのは、ほとんどがお客さんだった方々なんですよね。これはどういうかたちであれ、クラシコムという会社に関わりたいという人たちが、その会社の周りにいるわけなんです。商品も買いたい、働いてみたい。株式はまだかもしれませんが、そういうことにひょっとしたらなっていくかもしれない、いうことなんですね。

成熟社会が進んで、そのモノサシ自体を1人1人が選んでいくようになると、この3つの人格を統合した「自分としての生き方」が重要になっていくんじゃないかな、というふうに思っています。別の言葉で言うと、1人1人が市民感覚をちゃんとアクティベートしてって言うんですかね。私は1人の人間として、普通にこういう行動するじゃんとか、1人の人間としてこういうものを大事にしたいんだよとか。そういうことがどんどん大事になってくるんじゃないかな、と思ってます。

これまでは、たとえば「ワークライフバランス」という言い方をして、仕事の時の自分の人格はこういう行動をするけれど、でも家に帰ったらこういう人格になると、けっこう使い分けてる人がいますけれど、こういうのはどんどんどんどん統合されていく。全てがそうなるとは思わないんですけれども、そういう統合されていってる世界も、どんどん広がっていくんじゃないかな、と思ってます。

「経営者の言葉」の意義

だとすると改めて戻ってきて、企業は人々に語りかけないといけないわけなんですね。私たちは何を大事にしてますか?ということ。何に価値の重心を置いている我々です、ということをしっかり1人1人の市民に対して伝えていくということ。そうすると、「この会社おもしろいね」って話になってきて、一緒に働いてくれる人やお客さん、その共感の輪というのが拡大再生産されていくサイクルが、生まれていくはずなんです。

マーケティングやPRという言い方をすると、いかにしてモノを売っていくか?いうところの側面が強調されがちですけれども、ほんとはその奥にあるのは、共感している市民をどうやって広げていくかということなんだろうなというふうに思ってます。そして、言葉を発するのは「人」なので、のっぺらぼうではない、人格を持った「人」が自分の言葉で自分の想いを伝えていくということが大切になっていく。

これは間違っても、世の中一般的にこういうものが大切だと言われているので、その合格点を取りにいきます、という話ではないんですね。世の中一般に言われてることに合わせに行くというのは、モノサシが決まってる世界なんですよ。私たちは時価総額を上げていきます、これは1個のモノサシに乗っかってるんですね。もちろんそれも大事ですけれども。ただここまで言ってきたような「経営の原風景」や「共感の拡大再生産」というものがあり、ある種のっぺらぼうに売り買いされる「しじょう」の世界ではなくて、1人1人の顔が見える「いちば」の世界というのが広がっていくのだとすれば、モノサシ自体を世に問わないといけない

そういう中で企業が、3つの市場にどうやって向き合っていくかと言った時に、「それは世の中一般とは違うかもしれないけれど、私ってこう思うんです。これって共感しませんかね?」という、そういうメッセージがとても大事になってきます。その言葉を発する主体が創業した経営者であるケースもあれば、経営者以外の幹部の方というケースもあるかもしれないですけれども、それはいずれにしろ、何を大事にしてるか、何に価値を置いているか、を伝えるという作業ですよね。

ということで、僕が大事だなと改めて思ってることは、企業や経営者が自らの価値観を提示していくこと、その共感の輪を広げていくことだと思ってるわけです。

なので冒頭にこのプレゼンテーションのタイトルにしようかと思っていた、「なぜ私がWORDSの活動を信じているか」ということで言うと、まさにここを強化しようとする会社に寄り添う活動をされているんだろうなと、思うのでこういうことを書いたということです。

「経営の最前線」は、どこにある?

最後に…このプレゼンのタイトルですね。「経営の最前線」というところに戻っていきたいと思います。
これもまた、ちょっとひねくれた捉え方ですけれども、「前がある」っていうことは「後ろがある」っていうことで、これもある意味ひとつのモノサシに乗っかってる話なんですよね。
もし仮にその「経営の最前線」というか、これから大事に、少なくとも僕個人としてはしたいなと思ってること、あるいはそういうことに共感してくれる人が増えたら嬉しいなと思ってることは、「経営には『前』も『後ろ』もない」ということなんです。
それぞれの会社、それぞれの経営者の道があるという、ただそれだけ。

その道はたぶん、いろんな方向に向かっていってるはずなんですが、その道の中で自らの価値観を提示している企業や経営者の周りに、それに共感するお客さんや働く人が広がっていってる。そういう世界があるだけ、いうことなのかなと思ってます。

「成熟した日本」というのは、お先真っ暗なんじゃないかみたいな言い方をする人もいますけれども、成熟するからこそむしろ世の中がカラフルになっていくんだろうなと思うし、そういうふうになっていくんだとすると、成熟にも意味があるんじゃないかなというふうなことを思うわけです。

ということで、こういうプレゼンをしたので、僕もちょっと価値観強めに言ってみたんですけれども、こんなことかなと思ってます。

参考図書

最後に、今日の僕の話は、ほとんどが借り物です。僕がオリジナルで考えた話ではなくて、いろんなところから借りてきて、いったん僕の中で咀嚼をしながら皆さんにお伝えした。ただそれだけです。元になってるのは、これ以外にもいろいろあるんですけれども、大きく言うとこの3つ本です。

まず、『会社という迷宮』は、私の会社の前の代表をしていた石井さんが書いた本です。僕の師匠です。なので、今日の話のほとんどは、ここに書いてあることです。ただけっこう読むのが骨が折れるので、チャレンジしたい方は是非してみていただければと思います。
https://www.amazon.co.jp/dp/4478116164

2つ目は『会社はこれからどうなるのか』という、岩井克人先生の本です。会社というのはヒトという側面とモノという側面があるというところが、丁寧に議論されている本です。
https://www.amazon.co.jp/dp/4582766773/

最後に、ロバート・B・ライシュの『暴走する資本主義』。アメリカの政治家っていう言い方をすればいいんですかね、の資本主義の構造の分析です。タイトル的を読むと、資本主義はダメだ、みたいな主張の本に思うかもしれませんが、とても丁寧に資本主義の構造について書いてある本です。
暴走する資本主義 | 東洋経済STORE (toyokeizai.net)

このような議論を参考にしながら、今日の話をさせていただきました。


ということで、今日聞いていただいた皆さんが、何か自分の思いを外に発信しようかなと思ったり、そうしようとしてる人の助けをもっとしてみたいなと思ったんであれば、とても嬉しいなと思います。

以上です、ありがとうございました。


(終わります)

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