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人(個人)-人の間(あいだ)-世間

小坂井敏晶先生の『社会心理学講義──<閉ざされた社会>と<開かれた社会>』に「個人」に関する一文があります。


西洋近代はルネサンスを経て<個人>という未曾有の人間像を生み出しました。英語のindividualは「分割不可能」という意味のラテン語individuumから派生しました。(中略)
対して人間という日本語表現は、もともと世間という意味でした。「人間(じんかん)、万事塞翁が馬」という諺に、世間という意味で今でも残っている。それが江戸時代になって人自体を意味するようになりました。人間(人の間(あいだ))という言葉の含意は、西洋の自律したindividualのイメージとは大きく異なっていました。


「人(個人)-人の間(あいだ)-世間」という概念の線引きが明確ではない捉え方は、とても日本的であるように感じました。


そのような指摘に触れると、
企業経営を考えるときも、
「従業員(個人)」と「会社」という概念を明確に別のモノとして捉えていることを
あたらめて自覚する次第です。

そのうえで、「会社」と「従業員」が対立したり、しなかったり。

あるいは、「会社」というモノに人格を認めたり、認めなかったりしているわけです。


一方で、ここで指摘されているような「人(個人)-人の間(あいだ)-世間」という捉え方を引き継ぐのだとすれば、
「従業員-会社」というモノの間には明確な線引きなどできず、
従業員という個人が地続きに拡張したモノが会社であり、
会社というモノが地続きに縮小したモノが従業員かもしれません。


そういった世界観を抱えながら、企業経営について考えると、
また違った景色が見えるかもしれない、と、
ふと思いました。


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