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この街がすき!自分のルーツ、「愛知県立旭丘高等学校」のご紹介

みなさま、こんにちは!
マーケロボCFOの市原達大(たっぴー)です。

今回のテーマは、「この街がすき」です。
マーケロボの指針の一つにも「地元愛」という言葉があり、地方出身者も多い会社ならではかと思います。

中でも私は、今の自分を形作っているルーツとも言うべき、「愛知県立旭丘高等学校」についてご紹介したいと思います!


1. 愛知県立旭丘高等学校

さて皆様、私の母校である旭丘高校ってご存知でしょうか?
多分、ほとんどの方ご存知ないですよね・・・(東海地方や愛知県内であれば、おそらくほとんどの人が知ってると思いますが)

通称:旭と呼ばれていて、私達自身も馴染みが深いので、以下「旭」で行きます。

旧: 愛知一中として知られており、愛知県下で最初にできた高校です。
蔵書の数が愛知県でも圧倒的No.1とか何とかと言う事を、入学式で当時の校長先生が嬉しそうに自慢してくれました。
(私は部活に明け暮れていたので、残念ながらその恩恵はほとんど受けていません。唯一、古文がすごく苦手だったので、当時図書館に全巻揃っていた「あさきゆめみし」を読破して、ストーリーを頭に入れて問題解いてました。でも、解けませんでした。笑)

そんな旭の学校HPがこちらです!

https://asahigaoka-h.aichi-c.ed.jp/gaiyou-1.htm

ひっさびさに、自分の母校のHPみました。学校の色が葡萄茶色で、HPの背景色もいまだに葡萄茶でした、懐かしい。

そんな中でも校訓というのが、どこの高校にもあると思うのですが、旭の校訓は以下の3つでした。

「正義を重んぜよ」
「運動を愛せよ」
「徹底を期せよ」

 今見ても、素晴らしい言葉だと思います。

どれも素晴らしいとは思うのですが、2番目の「運動を愛せよ」については、若干疑問に思われるかもしれません。心身保健という言葉の生みの親が旭の昔の校長だったとかで、今も昔も非常に文武両道が重視されている学校なんですね。

もちろん、1番目と3番目の「正義を重んぜよ」「徹底を期せよ」も非常に大切。正義は今も自分の中に強く根差す言葉であり、自分の責任を全うする徹底も自分の基礎を形作っている重要な要素です。

そういった経緯もあり、愛知県でも随一の進学校でありながら、自由な校風と強い部活動(と多少の進学実績)を元に、今も昔も人気の高い高校です。
(校則という言葉を聞いたことがない、法律破らなければ大体OK、唯一ダメなのが「下駄登校」など。)

2. 私が旭に入学した理由

今までに何度か、長男長女の家系の長男…という話を書きましたが、父方の祖父が4人兄弟の長男、父は2人兄妹の長男、母は3人姉妹の長女、私は3人兄妹の長男…とものの見事にそんな感じです。

…てな訳で父からは、市原家なりの帝王学というと大げさですが、とにかく責任・リーダーシップというものを幼少期から叩き込まれてきました。「何かあったら2人の妹を守れるように、強くて大きな男になりなさい」…直接そう言われた事は数少ないですが、そうあるべきという価値観は父と私の間での共通認識でした。

そんな中、やっぱり「強くなりたい」という思いを強く持っていました。

▼悶々と過ごした中学校時代
それなのに、中学時代の私は、学業成績でしか自分の存在価値を認識出来ず、部活を引退してからの運動部員(自分も野球部でしたが)の必死の追い上げに悶々としてました。それを何とか払拭したくて、文武両道で色々と頑張りたくて、私は旭を志望しました。

▼部活に励んだ高校時代 
上記と全く同じで、中学までの自分を何とか変えたくて、高校時代は強豪のハンドボール部に入部。自分以外は全員経験者で完全お荷物…ですが仲間に本当に恵まれ、最後までやり抜きました。最後は東海大会ベスト8まで進出、同期のエースとキーパーは国体選手です!

▼チームに貢献するためには「僕」が強くなきゃいけない。
自分が強くなりたいからこその自己成長。私にとって、何のための自己成長か、何で強くなりたいのか…というと、それは常に「チームのため、仲間のため」でした。高校時代のハンド部のお荷物経験でも、チームメイトにめぐまれて何とかやり通せたという経験がそれをさらに強いものにしていました。

高校の部活でチームに貢献するためには、どうしても自分の体力や技術が劣っていた…それは否めなかった(それでも何とか貢献したくて、一生懸命チームや試合の状況を分析して、死ぬほど声出してました)。だからこそ自分の腕を磨いて、将来所属する組織(大学や会社)では、確固たる成果で胸を張ってチームに貢献したい。そんなことを漠然と考えていました。

それに対して、今はどうでしょうか。曲がりなりにも取締役CFOとして責任ある立場で職務に就いており、本当に有難いことだと思っています。何も貢献できなくて、悔しくて、死ぬほど声出すことしかできなかった当時の自分に、優しく「いつか報われるよ」と教えてあげたいです。

「この街がすき」と言いながら、結局自分の自己紹介の続きのような文章になってしまいました。が、色んなルーツの中で、自分の地元と言える愛知県名古屋市内で、自分の基礎を形作ってくれたのが高校時代の経験でした。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!

そんな貴方と一緒に働ける日を、心待ちにしています!!!


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