見出し画像

無料のものほど自制心が働くのはなぜか【本から学ぶ】

こんばんは、福田達也です。

無料のサービスって嬉しいですよね。自分がよく行くコワーキングスペースでも、無料サービスのお菓子が置いてあったりするんですが、そういった気持ちが見えると嬉しくなったりします。

ただ、無料で提供されているものはなんだかたくさん取るのが悪い気がして、ご自由にどうぞと書いてあっても大体1つしかもらいません。ところが、これが1つ10円とか書いてあったりすると、10個ぐらい貰ってもいいかという気持ちになったりします。

今回はそんなお話です。書籍『行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』の第五章より『無料のクッキーの力 無料!はいかにわたしたちの利己心に歯止めをかけるか』からの紹介です。

内容のまとめ

私たちは無料で何かを貰う時には、その何かを共有資源としてとらえ、他の人を思いやれる社会的動物でいられる。しかし金銭的な対価を要求した時点で、より利己的になり、社会的に何が正しいのかを考えるのをやめてしまう。

人に何かをお願いする時には、値段を持ち出す金銭的交流でなく、労力をともなう交流などによって社会規範を維持することが重要だ。

無料のものほど自制心が働くのはなぜ

以前の記事では社会規範と市場規範について説明しました。お金の介在しない世界では、お互い持ちつ持たれつの社会規範が強く働きます。気軽にお願い、いいよと言い合えるような状態ですね。

それが、お金が介在した途端、市場規範が優勢となります。市場規範は全てをお金という単位に換算するドライな世界です。自分のお手伝いや仕事は、貰った対価に見合う労力なのかが全てです。

そして、これはお金を貰う時ではなく、お金を払う時にも同様に働いているようです。

お金という対価が発生していない時、私たちは他の人の事を考えられます。例えば、この無料のお菓子を自分が全部取ってしまったら他の人は困ってしまうのではないか、という気持ちです。

これはお菓子以外でも同じです。共有しているものが有限でかつ無料である時、自分が取ると他の人が困るのでは無いかや、自分が沢山取ったら他の人がどう思うのかが気になります。これが社会規範が優勢な状態です。

これが、お金が介在した途端、市場規範の方が優勢になります。眼の前のものが払うお金に見合うかどうかが気になります。このお菓子が1つ10円なのであればすごくお得だという考えになり、他の人が困るかどうかを考えなくなります。むしろ、他の人に取られる前に買い占めようという気持ちが強くなります。

無料かが重要だがそれだけではない

振り返ってみると、無料かどうかの違いはすごく大きいです。とはいえ、単純に無料なら社会規範、有料なら市場規範というわけではないように感じます。

自分の場合ですが、たとえ有料のサービスであったとしても、そこに誰か身近な人の困った顔が思い浮かぶ時、自分勝手になることを躊躇します。例えば、限られたお得な物がある場合、独り占めするよりも友人に情報をシェアしたくなります(とはいえ、自分が得をするのは前提です)。

一方で、スーパーの見切り品などの場合は、他の人がどうかとかは全然気にしなくなり、食べきれないのに、ついつい買いすぎてしまったりすることもあります。こういう時は市場規範の方が優勢になっていると感じます。

そう考えてみると、社会規範と市場規範の境目は、自分と周りとの関係がどれほど濃いかによって大きな影響を受けていると考えても良さそうです。周りの人の事をより考えられる人ほど、より広い社会規範で物事を捉えられるのかもしれないと感じました。

終わりに

今日は無料だと自制心が働くのに、有料になると働ききにくくなる現象について、行動経済学の本を題材に紹介しました。

無料であるかどうかは、私たちの行動や選択に大きな影響を与えています。この影響を無視することはできませんが、市場規範が優勢であったとしても、周りの事を思いやれるような自分でありたいと考える時間になりました。

本日も読んでいただき、ありがとうございます。
また次の記事でお会いできることを、楽しみにしています。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?