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知的障害者のきょうだい⑤--15年ぶりの振り返り--

□「いい兄バカになって頑張ってほしい」と書いた彼。

 16歳だった生徒たちと「知的障害者のきょうだい」の授業を行って、15年がたった。彼らも社会人となり、父となった者もいる。当時の授業をどのように捉えているのか、数名の卒業生に振り返りをお願いした。高校卒業式以来13年間連絡をとっていない生徒もいた。自宅にお手紙を書いてみた。
 まずは「いい兄バカになって頑張ってほしい」と書いたA君である。

https://note.com/tatsuaki_yoda/n/n41ee09d119d1

 先生。お久しぶりです。
 突然のお手紙に大変驚きましたが、すぐに「あの障害者の授業のことかな」ともピンときました。当時、自分のことを名指しされたような課題が出されてびっくりしたことを今でも覚えています。
 noteを拝読させていただきました。先生だけでなく生徒も真剣に向き合った授業だったんだなと改めて思い出していました。高校生からすれば学校の課題なんて面倒なもの、適当に書いて済ませることもできます。ですが級友の感想は知的障害者というセンシティブな話題について「こんなこと言っていいのかな」と思いながらも正直な考えを書いていました。私も最初は弟のことを書かないでおこうか・・・とも思いましたが、衝撃があまりにも強く、赤裸々に書いてしまいました。個人的には、今後の人生や弟との付き合い方を考える、貴重な経験になりました。
 また、当時は自分の文章が取り上げられて少し恥ずかしかったのですが、皆の心に一石を投じることができていたと考えると、勇気を振り絞ってよかったと思います         。


 15年前の自分から「将来はいい兄バカになって頑張ってほしい」と言われましたが、今の自分がそうなれてるか自信がありません。幸いにして両親が現在も元気なので弟の世話は任せっきりで、自分は一人暮らししています。実家には盆と正月しか帰っていません。両親が亡くなったらどうするのか?一度話をした時は「遠慮なく施設に入れてくれていい」と親から言われましたが、果たしてそれでいいのか答えは出ていません。あの授業以来、この話題について目を背けてしまっていたように感じます。改めて「いい兄バカ」になれるよう頑張らなければ…と襟を正す思いです。

ハローワーク 公共職業安定所

 さて、私はハローワークの職員として働いており、偶然にも現在障害者雇用の窓口に配属されています。特に希望したわけではないですし、2年毎に異動があるのでずっと障害者雇用担当とは限りません…まるで見計らったかのようなタイミングでの先生からの手紙でした。
 窓口には知的障害だけでなく身体や精神障害の方も来ます。(割合的には精神障害の方が多いのですが…。)障害の内容は人それぞれで、悩みも本当に人それぞれです。障害で決め付けることなく、その人の話をよく聞くことが求められます。前の部署では一般の方向けの窓口でしたが、基本的にやることは変わらないなと感じました。15年前に“知的障害者の兄”として話をして下さったX先生の回答や、noteで楊田先生が書かれていた水泳のボランティアの話のように、結局障害者と接することに特別なことはない。基本はアタリマエの事をアタリマエにやるだけだと、今の仕事を通して改めて実感しました。

 あまり障害者の事について仕事以外で話す機会がないので、長々と書いてしまいました。すみません(笑) 振り返りのnoteを楽しみにしています!   Aくん

□弟が障碍者だと言い出せないもどかしさ

 2人目はお母さんを通して、授業後に「弟は知的障害を持っているんです」と知った卒業生Bくんである。

https://note.com/tatsuaki_yoda/n/n0b656a154c04

楊田先生
 お久しぶりです!お手紙とても嬉しかったです。 noteも(母と)読ませて頂きました。“知的障碍者の兄”としての自分を振り返ってみました。

■小学校から私立中学校へ 言い出せないもどかしさ
 小学校では弟は同じ学校に通っていたことや、マンションの同級生が家に遊びに来たりと、弟が障碍者であることは当たり前に認知されている状況で、そのことで悩んだり、恥ずかしいと思ったことはありませんでした。弟自身も同じクラスの友達に助けられたり、一緒に登校したりと、そのような環境が当たり前の恵まれた環境でした。
 私立中学校<中高一貫の男子校>に進むと、新しい同級生は、もちろんそのようなことは知りません。自分から言い出すのも、変に気をつかわれるのも何か違うしなあと、そうこうしてる間に「ガイジ」という言葉を耳にするようになりました。違和感を覚えながらも、見て見ぬふりというか、一緒に笑っていたことさえあったと思います。そんな言葉や、言い出せないもどかしさに、少なからず悩まされていた日々でした。
■「障碍者の兄弟」という授業について、当時の心境
 正直、不安な気持ちが大きかったと思います。「障碍者」やその家族に対して、同級生がどのように感じるのかどう考えるのか理解されないのではと不安でした。一方でたいへんだ、かわいそうだと同情されることも、いやだったと思います。自分は中学校に入って改めて障碍者が家族にいることを公言していませんでした。当時自分の身近でも「ガイジ」という言葉はよく耳にしましたが、その言葉に対して家族に障碍者を持つ当事者であるわたしが、直接傷つくことはありませんでした。それは「ガイジ」という言葉が、当事者に対して悪意を持って放たれる言葉ではなくその環境を知らない人たちが、なんとなくいじる言葉に過ぎなかったからだと思います。そんな同級生たちが、障碍者やその家族の思いを知ったうえで、「ガイジ」という言葉をなお使い続けるのであれば、彼らのことをきらいになってしまうだろう。そんな不安もありました。 
 一方で授業では、私が今まで知らなかった「他の」当事者たちの苦悩を知ることができました。掲示板のような悩みは、私が今まで感じたことのなかった大きな不安でした。しかし、「いい兄バカになって頑張ってほしい」と書いた同級生や、X先生などびっくりするほど身近に、同じような環境の人がおり、みんなそれぞれの悩みや、当事者以外の人から理解を得られぬ状況になんとも言い表せない違和感を持っていることに、自分だけではないのだと少し安心したと思います。 
 自分と同じ境遇にあるひとが、障碍者に対してどう感じ、日常をどう過ごしているのか、当時気にはなっていたけれども、なかなか知る機会のないことでした。
 私自身も上記の理由から同級生には知られたくないという気持ちはありつつも、当事者の考えを発信したい思いで、課題の作文では私自身を「仲のいい友人」にみたててその弟が障害を持っているという設定で以下のような文章を提出しました。  
  <母はこのエピソードがとても記憶に残っていたそうで、またこの作文含め授業の資料や楊田先生の実践報告書を、永久保存しており一緒に送ってきてくれました>

Bくんが授業冊子で書いた作文『友達の弟』

『友達の弟』
 僕の親しい友達にも弟が知的障がいの人がいます。その弟は結構重度の方で、時々、奇声にも似た笑い声が聞こえます。話しかけてもおうむ返しで会話になりません。その友達とは小さい頃から知り合いだったので、知的障がいの弟がいることも自然だったし、弟が奇声を発しても気まずくなることはありません。でも、やっぱり弟のことを知らない人を家に呼ぶのは少し抵抗があると言っています。隣の部屋から奇声が聞こえるんじゃないかとか。急に部屋に入ってきたら、とか色々考えてしまうそうです。実際には彼は弟のことを知っている数人しか家に誘いません。そして、自分の弟が障がい者だと告白するのも無理だと言っています。
 最近、ネットの掲示板で障がい者やその親類を馬鹿にするような書き込みをみました。「気持ち悪いし、消えればいい」と言った内容でした。かなりむかつきました。けれど、僕も身近に障がい者がいなかったら、そんな考えになっていたかもしれません。きっとその人は障がい者やその家族と話したことがないのだろうと思います。家族の苦労を知っていれば、そんな書き込みはできないと思います。
 また、彼女ができた時にも苦労しなければいけません。家に呼べないとかは大きな問題です。そして兄弟が障がい者だと知った時、彼女がドン引きして別れるということもあると思います。その時の兄弟への気持ちは複雑なものだと思います。いなくなればいいと思う時もあると思います。
 また結婚してからも兄弟が障がい者の面倒をみる場合もあります。両親が亡くなり、どうしても施設に預けたくない場合、結婚相手に苦労・迷惑をかけることになるかもしれません。それでも、兄弟は年齢的にも一番近く、幼い時から一緒に成長した、一番わかっているはずです。辛い思いもたくさんすると思いますが、障がい者にとって兄弟は一番大切だと思います。 

Bくんが授業冊子で書いた作文『友達の弟』 続き


 授業が進むにつれて、同級生たちが真剣に考える姿勢に不安も消え、理解しようとする様子に嬉しさを感じました。なによりも楊田先生の並々ならぬ努力と工夫、そしてX先生が「なにを伝えればいいかわからないが、自分のためにも」と勇気をもって“知的障碍者の兄”として話して下さった賜物だと思います。

□当事者でない人がこれだけ真剣に考えている

   当時の同級生たちが、障碍者やその家族について考えることが少なかったように私含め当事者も、当事者以外の感じ方を考えることは少なかったと思います。
   授業を通して、当事者たちの苦労や考えに対して当事者以外がいかに真剣に理解しようとしているかを学ぶことができました。
  また、noteについても、家族に障碍者がいる人にこそ読んでほしい記事だと思いました。当事者でない人がこれだけ真剣に考えている、理解しようとしている。当事者にしか理解できないと言ってしまえばそれまでだが、障碍者やその家族も、当事者以外のかたに対する接し方を考えるべきなのではと。
   歩み寄りが大切です。なんかこの辺はうまく文章で表現できていないと思います

  確かに当事者の苦労は千差万別で、正直私も理解に及ばない部分があるかと思います。しかしそのような問いに対して、知りえる範囲で知り、真剣に考えること、理解しようとすることに大きな意味があり、当事者にとっても励みになるのではと思います。ただその結果、すごくわがままかもしれませんが、あまりに気を使われるのも何だか違うなあと思うので、

「知的障害者のきょうだい」の授業感想より

 私はF君の文章のような接し方が一番平和で心地よいのではと考えます。

 本当に楊田先生、貴重でこの上なく有意義な授業ありがとうございました。また、思い出させていただき、改めて考えるきっかけを下さりありがとうございます。お忙しいかもしれませんが、ぜひ飲みに行かせてください。 

彼らと呑む酒はさぞかし

 教え子2人の振り返りを読んで、胸が熱くなった。15年前に授業で皆と真っ向勝負で考えた事柄が、語られることは少ない。                   社会人となった彼らと呑む酒はさぞかし美味しいだろう。
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https://forms.office.com/r/gK4s5yuKzE

https://note.com/tatsuaki_yoda/n/ncd150b6acaa1

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