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日没のリインバース 最終話 「日は没しても、月は出ずる」

 夕暮れの太陽が紅の光を地上に照りつけている。流れる雲が光を受けて影を宿し、その複雑な模様は目まぐるしく変わっていく。この世界にも生命の循環があり、時の流れがある。それが当たり前の事だと思っていた。ここが造られたゲームの中だなんて、いまだに信じられない。高く聳える塔は、真向かいに長い影を落としているだろう。例えそれが見えなくとも、俺たちはその存在を知っている。

 リベリカへの遠征を一度終えて、かつてバベルと呼ばれていた塔へと戻ってきた。しかし、踏み入れる門の前にポツンと立つ人影が見える。涅槃殺し。一人でノコノコと現れるとは。すぐに教皇と太陽にチャットを送ろうとするが、ソフィアが読み上げるのはエラーメッセージだけだ。

「申し訳ありません。チャット機能は一時的に使用できません。時間を空けてお試しください」

「どうやら、来たようじゃの」

「そのようだな」

 俺とツクヨミは顔を見合わせることもなく、それぞれ魔法武器を構えてその人物へと歩み寄る。格好は白を基調としたオーバーサイズのパーカーに短いスカート、白いソックスにスニーカー……ただの私服だ。格好に似合わず、その顔の部分にはフルフェイスの真っ黒なヘルメットが乗っかっている。これは完全に舐めていると見るべきか?それとも一般人が迷い込んだとでも?それはありえない。なぜならこの空間はワープゲートでしか来ることができない、プレイヤー用の特殊空間だ。つまりは転生者ということ。

「いい天気だね」

 そんな世間話でも始めるような、あまりに状況に不似合いな言葉がヘルメットの人物の口から聞こえる。声は俺たち同様に加工されているのか、聞き覚えのない電子的な響きの混じる音声だ。何者だ?目的は?疑問が頭を埋め尽くす。

「久しいの。カンナ」

 その疑問のあぶくたちが瞬時に弾ける。ツクヨミの発した言葉によって。今なんて言った?

「キッショ、なんでわかるんだよ……なんちゃって!さすがお母さん、だね」

 その人物はヘルメットを外した。まさか……死んだはずじゃ。この世界にはもういないはずじゃなかったのか。だが、その人物は見紛うことなく、明光カンナだった。桜色の髪は高校時代より少し伸びているが、そのピンクの瞳には昔と同じ輝きが宿っている。年齢は俺と同じくらい。少なくとも不老というわけではなさそうだ。

「カンナ!?生きて……どうして……!?」

 魔素揺らぎの抑制すら打ち破って震えた声が出る。抑制がなかったらどうなっていたのかは想像すらできない。

「どこから話したらいいかな……」

 考え込む素振りはカンナそのものだ。慌ただしく思い出が蘇ってくる。本物……なのか?

「全員お前が殺ったんじゃな?」

 ツクヨミの問いかけにカンナはブンブンと顔を横に振る。やはり変わっていない。俺の知っているカンナだ。あまりにもわからないことが多すぎるけれど、それだけは確かだ。あの魔素の揺らぎや表情。俺が見間違える訳がない。

「全員、ではないよ。霜月ちゃんとかカルラくんにも手伝ってもらったの。元長月隊だね!みんな元気だよ!今は残りの2人を倒した頃かな」

 ツクヨミが俺に視線を向ける。確かに裏切り者だと思われても仕方がない。

「確かに、アイツらは逃がした。でもそれっきり連絡は取っていない」

「うん。それは本当だよお母さん。トバリくんは裏切っていない」

「ふん……まあ良い。それと今さら馴れ馴れしくするな。気持ちが悪い。ワシらも殺しに来たんじゃろ?」

 カンナはあからさまに落ち込んだ顔を一瞬した後、すぐ笑顔に戻る。

「そう……だね。それが私の役割だから。ごめんねお母さん、トバリくん。でも、2人がいなくてもこの世界のみんなはきっと上手く生きていくよ。少なくとも、涅槃の計画どおりに進んだ時以上には、ね」

「役割……?」

「うん。私はこのゲームが生み出された時から存在する修正者フィクサー。この世界の異分子を排除する存在なの。君たちはこの世界には存在してはいけない異分子。だから消さなくちゃいけない。そういう運命なの」

 最初から……?くそ。まだ全然理解できない。なによりもカンナと殺し合うことを拒否したがっている自分がいる。認めたくない。

「それはあんまりじゃろ。トバリはお前自身が異分子にしたんじゃからな」

「それは素直にごめんね……本当に。私も知らなかったの。私の魔力が馴染んで、しかもプレイヤー専用UIアカシックレコードにまでアクセスできるなんて。だから、私が責任を持って、2人をこの碌でもないゲームから解放する。永遠に」

 突如、カンナは神殺しの槍ロンギヌスを構えて鬼気迫る勢いで攻撃してきた。笑顔は消え、目つきは鋭い。始めて見る顔だ。なんで戦わなくちゃならない。何か道がはないのか?

「トバリ、お前はひっこんでおれ。これはワシの責務じゃ」

「まずはお母さんから、だね」

 ツクヨミは続けて魔法をいくつも放った。本気だ。そんな姿は初めて見る。俺はその覇気に押されて距離を置いた。巻き込まれれば死ぬ。そう直感が告げている。

「草彅乃炎刀:焔火ほむらび九つ尾の妖狐たまものまえ!」

 ツクヨミの後ろからゆらゆらと淡い炎の尾が9つ現れ、手にはルナンの神器を模した煌々と燃える刃が握られている。

神器アーティファクトを扱えるんだ。さすがだね。でも、いつまで持つかな?」

 9つの炎が縦横無尽にカンナを攻撃するが、紙一重で交わしつつ、次々と薙いで捨てている。それにしても、2人の持つ武器……アーティファクトとか言ったか。あまりにも魔力量が大きい。あれを維持しようとなると、長く保つはずがない。だがそれはカンナも同じはずだ。炎の刃と光の槍が接触し、激しい音と魔素の煌めきがその衝撃を物語っている。まさに神話の戦いとでもいうべき様相。その激しい攻防の最中、カンナが魔法を放つ。

終末の神狼フェンリル

 突如としてツクヨミの背後に出現した巨大な光の狼が襲いかかる。その動きはまるで生きているかのようだ。あんな高度な魔法があり得るのか?魔法は意識して操らなければならない。激しく切り結びながらそんな芸当は不可能だ。普通なら。そして、その神獣によりツクヨミの炎尾は段々と食いちぎられて、全てが消えた。

鳳凰翼フェニックス

 フェンリルが後ろから噛みつこうとするのと同時に、五色の炎が美しいグラデーションを放つ羽がツクヨミの背中に出現し、一気に空へと飛び上がった。そして刀を一度引っ込めると、続け様に魔法を放つ。

龍星軍リュウセイグン

 降り注ぐのは信じられないほど無数の火の龍たち。それらは一直線に降り注ぐわけではなく、流動的にカンナを襲った。あらゆる角度から迫る高速の連続攻撃。槍だけで防ぎ切るのは不可能だ。一見して彼女は魔法無効の装備もしていない。防御魔法も間に合わないのではないか。

 爆風が熱波と共に俺のところまで押し寄せた。辺りを包む放射熱と黒煙。カンナは死んだのか?これでよかったのか?俺は何もできなかった。ただ、彼女が死ぬのを、親子で殺し合う様を傍観していただけ。鋭い後悔が痛みを伴って湧き上がってくる。そもそもなぜこんなことになったのか。何が彼女を突き動かすのか。ゲームから与えられた役割。それはそんなに彼女にとって重要なことだったのか……?

「しぶといの。やはり……不死か?」

 あり得ない。なんてことはもうあり得ないのかもしれない。カンナは煙の中から姿を現した。服こそボロボロになり、もはや裸に近い姿だが、その服すら段々と再生している。魔力も大量に漏れ出しているのが見えたが、その肉体は確かな形を保ったままだ。

「流石にお母さんは強いね。ズルしなくっちゃ勝てそうにないや」

「うーむ……殺し方がわからぬな。アーティファクトなら効くのか?」

「どうだろう……私の魔力を無限にしちゃったから。この世界の仕様上、殺せないかもしれないね」

 魔力が無限なら、魔力が流出し続けても問題ない?そんなのは狂ってる。俺は声を張り上げた。

「おい!カンナ!このリインバースで、もはやバグを排除する必要性はないんじゃないのか?コードを書き換える神々はもういないんだ!君を縛る役割なんて、もうなんの意味もないじゃないか!!」

 カンナは寂しそうな顔をする。そんなこと、もうとっくに考え切ったんだろう。俺なんかが想像もできない年数を、彼女はこのリインバースで過ごしてきたのだから。

「そう……なんの意味もない。わかってる。でもそれはみんな同じだよ。生きることに意味なんてない。それでも、私はみんなと違う。死ねないから。どれだけみんなが消えていっても、私だけは記憶を保持し、世界を彷徨い続ける。だから、それが無くなったら私は……どうしたらいいのかわからない」

 悲しそうに俯くその顔が、その答えなんじゃないのか。揺らいでいる魔素が、君の気持ちなんじゃないのか。俺は思わず言葉を続ける。考えてる暇なんかない。

「俺はカンナのことを何も知らない。この世界でのたった10年くらい。それは君にとって本当にわずかな時間なのかもしれないけれど、俺にとっては……本当にかけがえのない……」

 俺にとって、君は……。俺は仮面を脱ぎ捨てたい気持ちになる。でもこのマスクは外れてくれない。涙が鬱陶しかった。自分自身の声で語りたかった。震えていても良いから、届けたかった。そのあまりに悲しそうな顔を、ただまっすぐに見つめて歩み寄る。

「俺は、君と一緒に生きていきたい。君の過去も、全部一緒に背負っていきたい。役割なんて、自分で決めればいいじゃないか!カンナは、頭が良くて、感情が豊かで、いつもキラキラしてて、人を助けて、責任感が強くて、力もあって、すっげえ可愛い。ああくそっ!俺はいつも君のことばっかり考えてた。どうしようもなく好きだった。君がどう思ってたかは知らない。知るもんか。生きる意味なんて自分で勝手に決めるもんだろ!本能だとかプログラムだとかどうでもいい!君が、君自身がどうしたいかだ!死ねないなら、どう生きるかを考えるしかないじゃないか!!」

 視界が滲み、周囲の魔素が激しく揺れている。何もかも、言いたいことを言ってやる。

「うるさい!何も知らないくせに!私は君のことなんて!」

 干渉する魔素が触れあって激しい振動を感じる。カンナはロンギヌスを抜き放って迫ってきた。俺はソフィアに尋ねる。

「俺に扱えるアーティファクトはあるか?」

「マスターが扱えるアーティファクトは……業深きカインの剣です」

 イメージ映像が目の前に現れ、俺はそれを再現して呼び出した。

業深きカインの剣カルマグラディウス

 鈍い黒色をした剣。それが金色の槍とぶつかって周りに衝撃波が伝わる。カンナは防御をかなぐり捨てて烈火の如き突きを仕掛けてくる。受けきれずほんの少し掠めたが、それだけでとんでもない魔力が流れ出るのがわかった。俺は魔法を放つ。続け様に何度も。

目眩の闇ブラインド

 シンプルな目潰し。一瞬だけ虚をつかれたように攻撃が緩むが、即座に単なる魔力の圧で引き剥がされる。だが少し距離を空けられた。

歪む重力場ディストーショングラビティ

 歪んだ重力に引っ張られてカンナの体が少し浮き上がった。さらに畳み掛ける。

暗黒物質の処女ダークマターメイデン

 悪魔を司ったアンダカが使っていた魔法。浮き上がった体めがけて何本もの黒い棘が突き刺さり、カンナの体から魔力が溢れ出す。とめどなく。想像を絶する痛みのはずだ。まさか避けもしないなんて。もはや痛みすら感じていないのか?

「イタイ……イタイよ?トバリくん」

 その棘を素手で引き抜いていく。なんでだ。なんなんだ。見ていられない。

「もうやめよう。カンナ……」

 俺は魔法を解除する。歪んだ表情に怖気が走る。何を言っても無駄なのか?どうして。

「これは……私の中枢に深く根付いた使命。ここに生まれた役割。揺らがない刻まれたコード。抗えないの。体の奥が疼くの。バグを取り除け。異物を取り除けって」

「それは全員同じじゃよ」

 上空に居たツクヨミが俺たちの間に降り立った。そして淡々と告げる。

「誰しも拭えない苦しみをどこかに抱えておる。お前だけじゃない。お前は自分が特別でありたいだけじゃ。本当はわかっているんじゃろ?」

「うる……さい!」

 カンナは、ロンギヌスをツクヨミの顔に向かって突き刺した。しかし、その槍は仮面を壊しただけで止まる。狐の面は砂のようにサラサラと消え、素顔が顕になった。30代前半くらいにしか見えない。背丈や髪型と合わせて考えると、年下かと思ってしまうほどだ。

「どうした?殺さんのか?」

 手が震え、ロンギヌスが手元から消えた。

「わからない。誰の気持ちもわからない。生きてる意味も。どれだけ力があっても、気持ちを分かち合うことは絶対にできなかった。たくさんの人に会った。たくさんの人を愛した。そしてたくさんの人を殺した。それでも、本当の意味で私の気持ちも、相手の気持ちも共有できなかった。感じることはできなかった」

「当たり前じゃ。それこそ、そう世界はできておる。どれだけ時が進んだとしても、全く同じ感情や経験を誰も共有できんじゃろうな」

「そうだよ。誰も私を理解してはくれなかった。誰も私を助けてはくれなかった。何度死のうとしたって、死ねなかった。私はひとりぼっちだった」

「全く。さっきから言うとるじゃろうが。そんなもん全員が同じじゃ!完璧な理解なぞ、できるわけがないじゃろ!全員が違う人間じゃ。それぞれが見ている世界は違う。経験も感じるもんも違う。だからこそ平等なんじゃ。完全でないからこそ、想像し相手を思いやることができる……。まあ、ワシも他者のことなぞ、思いやれてはおらんかったのかもしれんがな……」

 2人は同じ表情をした。それを見て親子なんだと確信する。黙って俯く2人に、俺は言葉をぶつける。

「カンナは心の底で、自分こそが一番の異分子だと思っているんじゃないか?」

 カンナは俯いたまま何も返さない。残酷だろうか。だけど、言ってやる。

「だから、ずっと囚われているんじゃないのか。自分だけが周りと違うから、自分が許せないんじゃないのか?それじゃ一生救われないだろ。一生、苦しみが消えないのは当たり前だ」

「……だったら。だったらどうしたらいいの!苦しくても生き続けなくちゃいけないなんて、救いようがない。死ぬことしか、救いなんてないじゃない!」

 やはり、昔に彼女が言いかけた将来の夢。それは「死にたい」だったんだろう。そんな願いがあってたまるか。

「前に……言ってくれたよな。人が生きているのは誰かの願いの証明だって。人は苦しくても生きなくちゃいけないって」

「それは……そうだよ。その言葉が私の呪いなの。君にも呪いをかけた。現に君はその言葉によって生かされてきた。そうでしょ?」

 確かにそうだ。俺はその言葉のおかげで生きてる。でも、それは呪いなんかじゃない。

「そうかもしれない。でも、やっぱり違うな。これまで生きてきて、俺はたくさんの罪を犯した。きっと、たくさん間違えた。俺じゃなかったらもっと上手くやれただろうってことも沢山ある……。それでも、生きていることを後悔はしていない。もし後悔しているとしたら、そんなのは、間違いや失敗や死んだ人たちに失礼だ。君に……願いに……失礼だ。それらは、そんな自分を作るために犠牲になった訳じゃない。失敗は活かされるべきだ。その為にある。だから、俺は君の間違いを正すよ。傲慢だと思うかもしれないけど」

「何を言ってるの?わからないよ」

「俺も背負うって言っただろ。俺はカンナの魔力を分け与えられてるんだぞ?どういう意味かわかるか?」

 カンナは顔を上げてこちらを見る。虚な瞳にほんの一筋の光が差し込んだのがわかる。

「俺は同じ宿命を背負ったんだよ。フィクサーって言ったか?俺もアクセス権限があるらしい」

 俺は仮面を脱ぎ捨てた。やっと自分の声で語れる。

「そんな……まさか」

「なるほどな、カンナの強さの秘密はこれか。ずるいよ。勝てるわけがない」

「嘘をつかないで」

 歩いて近づく俺に向かってカンナはロンギヌスを突き刺した。これは尋常じゃなく痛いな。意識が飛びそうだ。溢れ出す魔力は致死量で、前までの俺なら確実に死んでいる。

 俺は歩みを止めずにカンナへと近づいて、そっと抱きしめた。

「一緒に生きよう」

「なんで。なんでそんなに私のことを?」

「理由なんかたくさんあるけど関係ないだろ。これは単なる俺の意思だ。運命も宿命もプログラムもクソ喰らえ」

 伝わる温もりはずっと変わらない。あの頃のままだ。貫いていた槍が消えたのがわかる。

「私が、巻き込んだのに」

「俺は、巻き込まれて幸せなんだよ。巻き込んでくれてありがとう。カンナ。君がいなかったら俺はずっと、暗い闇の底に沈んでるような人生だったと思う」

 震えているのは俺なのか、彼女なのか、魔素の揺らぎなのか、それとも全部なのか……境目が消えて、全てが溶け合って、ひとつになったような……不思議な感覚に包まれた。彼女は泣いていた。顔はぐちゃぐちゃだろう。でも、それがどうしようもなく愛おしい。

「役目なんてどうでも良い。全部、俺たちで決めよう。どんな運命でも、どれだけの輪廻でも、君と一緒なら……」

 太陽は沈み、空は暗く染まっていく。
 だけどその空にも月は上り、陽の光を反射する。
 そして、世界は巡る。留まることなくいつまでも。

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