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四次元の重心を生きる

「未来のために今できることを考える」

そのためにはまず大前提を考えなくてはいけないと思う。
定義づけのようなものだ。すなわち、僕が語る「未来」と「今」というもののとらえ方、文脈を共有するところから始めなくてはならない。

当たり前なのだが、言葉というのはあいまいなもので、その人の持つイメージは異なる。読み始める最初の段階で「ああ、この人はそういう意味でこの言葉を使ってるわけね、はいはい」という土台がずれていると、その上に建設されたものは全く形を成さなくなり、うまく伝わらない。でも現在書いているこれ自体も言葉の連なりだから、完璧に伝えることはできないというジレンマも抱えている。そんなことを考え始めると、面倒くさいから本題に入ろう。

僕が物事を考えるうえで大抵のものごとは、四象限になると思っている(今のところ)。これはインテグラル理論などで語られているものだけれど、簡潔に言うと「個人」と「集団」、「内面」と「外面」だ。要は僕らが生きているこの世界は「個人の内面と外面」「集団の内面と外面」の四次元で成り立っているということである。
具体的に言えば、「個人の感情や思考などの見えない主観の部分」「個人の生物学的特徴である身体性などの客観部分」と、「集団に通底する文化や価値観など」「法律や制度といった集団をとりまく環境」という感じであろうか。

僕はこの四象限が、物理学でいうところの4つの力みたいに人の世界を規定しているような気はする。この4つは分断されているのではなく、相互に干渉しあって複雑なグラデーションを成していて、偏りが生まれると重心へと戻ろうとするので振り子みたいに世界は揺れ動いているんだと思う。そして偏りすぎると崩壊してしまうんじゃないだろうか。

さてさて、本題に入ろうといってからずいぶん文字数を重ねてしまった……結論を述べよう。

僕らは物事を見るときに大抵は一つの視点から考えてしまう。
だけど、未来を、人にとってより良いものにするという前提で言うと、今何かをしようとするときには多視点を持たなくてはならない。テクノロジーは加速的に進んでいるから、偏ったままいくとたぶん人間が滅びる。

つまり僕らが未来のために今できるのは、「偏りとバランスを個人が多視点から見つつ考えて動く」である。ああ、けっきょく陳腐にまとまってしまった。学び考え行動し続けよう。それしかない。

#未来のためにできること


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