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タトエバ  墓を作る




墓  24年7月2日



墓2  24年8月10日




向き合い、思い起こすことで、いまの自分が掴めるようになる。お墓は自分のための、一つの対象になる。対象を実体にして表すのに、それはやはり、自らの手で作り起こそうというのは自然なことだ。母の死を機にして、我が家のお墓をつくるのに、自らの手をはたらかせようとした。どんなものでも手作りする。それができるというのがいまの自分にあるはじまりで、それに気づくと、自分というもののすべて、一人の人間が、一つの世界が、どんなものだって、どうやって存在をつくっているのか、ということに至り、自覚する。

母方の家のお墓でお世話になってきた石屋さんと共に作ることにした。

形をデザインしようとしたのではない。墓地を歩き、いくつもの墓石を見て、1.8m✕1.6mの広くはない渡邉家の区画に、このくらいであってほしいという存在の仕方を形にしようとした。このくらいには、こうだろうとか、こういうものだ、というものをはじめにもちこまないことに気をかけた。そして、特別なものにはしないと決めていた。素朴で、さりげなく、落ちついていて、そして、凛として立っている。よおく考えて、練りだすことによって、結局は、それが特別なものになるということを想起していた。

石を切り削いでいき、形ができあがるのに、線は線として切り取られるのをそのままにして、それでも、柔らかく、形ができることを、石が墓石になることを、積み上がって出来上がることを思い描いて、はじめの形を鉛筆で書いていった。取り繕うような加工、装飾するような形は加えない。それ以前に作りたい形が表れてくることが求めるものだった。

線をなくすように描いていた当初の姿を、石屋と話していく過程でどんどんと手放していった。ひとつに塊としていたものを分けていった。少しの差を含み入れて、違いを受け入れていった。鉛筆1本で、ただの1本の線に描けてしまうデザインを、そうではなくて良いと気づいていった。石をどう区分すればいいかは石屋の考えに基づいていく。それに、デザインはどうしてこの線を引いたのかをもう1度振り返り、共有して、どうするかを定めていった。それはつまり総合してできあがるデザインだ。

墓石は黒の御影石にする。外柵は白の御影石にする。光をじんわりと受け止める磨きの程度にしたかった。本磨きにはしないと伝え、水磨き程度の研ぎでサンプルを準備してもらう。400番手で研いだものはまだ白い。色は黒と白の間、灰色、濃ではなく淡でもない間が良かった。800番手に上げて研いでもらったサンプルを見て、これに決めた。

父が作りたいという墓誌を、ほかにはない方法で作り上げることを考えた。

盆明けに丁張りを組んでもらう。墓地の共同組合に、区画の取り方と整備の内容を確認してもらい、いよいよ工事に向かっていく。




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