見出し画像

美談としないで

使徒7:54-60 
 
ステファノは、初めの教会の、いわば執事として選出された七人の中の一人です。その筆頭に挙げられています。ギリシア名をもつ執事たちは、御言葉の奉仕ではなく、食事の世話のために立てられました。若干差別的な待遇だったのかもしれません。知恵と霊に満ち、議論では、挑む誰をも寄せ付けなかったとされています。
 
そのため、論敵に嫌がられたのか、妙な冒涜だのといった訴えのために逮捕され、律法をけなしていると言われました。最高法院でステファノは弁明をします。それは、ユダヤ教からキリストの救いへ至る壮大な説教でした。教会のメンバーの証しするべきテキストであったと思われますし、教会の教義のまとめであったのではないでしょうか。
 
その終わりの部分で、ユダヤ人たちがイエスを殺したのだ、裏切ったのだ、と突きつけたものですから、ユダヤ人たは逆上しました。ステファノは、さながらイエスの裁判の終わりの時のような姿を呈します。イエスの見た幻と同じことを言うと、人々は猛り狂い、その勢いを止めることはできませんでした。ローマ裁判ではないのでリンチが始まります。
 
自分が正義だと自分で決めてしまったら、その強い流れは恐ろしいものになります。ステファノのみならず殉教というものはあったでしょうが、この殉教が一つの美談として用いられていたのかもしれない、とは思います。だから勇気をもて、後へ続け、とも利用可能な記録です。もし教会が、自己犠牲をさせようと思えばそうしたでしょう。
 
イエスの最期と重ねられる表現が多くみられるこの記事が、実際どういう意図で脚色されたのか、また受け取られていたか、少し興味があります。中世あたりになると、教会が権力側に立ち、この最高法院のようなことをやっていたように見えるのですが、当人たちは果たして気づいていたでしょうか。その他キリスト教の歴史の随所気になります。
 
さて、地味にですが、ここで初登場するのが、パウロ、旧名サウロです。これも見逃せません。サウロはここでは何もしていません。証人たちが、ただサウロという若者の足元に上着を置いたというだけです。でも、それは権威をもつ者への一種の儀式だったのではないでしょうか。これから石を投げてユダヤ式に死刑を行うことの開始です。
 
この後、石を投げつけてステファノをユダヤ人たちが殺します。まだ青年とも呼べそうなサウロは、ユダヤ教のエリートでした。死刑執行のためのお墨付きとなったように思われます。若者とされながらも、サウロは責任者だと思うのです。しかしパウロは後の手紙で、このことに触れていたでしょうか。あってもよさそうな気がするのですが。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?