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ピラトの心理

マルコ15:1-5 
 
ペトロが泣き崩れたのは、「夜のいつごろだったのでしょうか。場面は直ちに夜明けだと告げられます。イエスに睡眠は与えられたのでしょうか。祭司長たちは眠ったのでしょうか。イエスに不利な証言を集めようと努めていたけれども、偽証はうまく運びませんでした。夜の時間を、それだけでもけっこう消費したことになるだろうと思います。
 
イエスがメシアだと自称した、ということから、事態は急展開します。イエスに対する暴力が重ねられます。それから夜明けとなっています。ペトロは鶏の声を聞いて泣いたのですが、鶏が鳴くのは夜明けだと私たちは思いこんでいるかもしれません。実はかなり早く、まだ暗いうちに鳴くそうです。だとしても未明と呼べるような時刻だったことでしょう。
 
ペトロが鶏鳴を耳にしたときにも当局は動いていましたから、やはり彼らは夜を徹して最高法院全体での協議を行っていたのでしょう。イエスを縛り、ピラトに引き渡します。ピラトが極刑を決める権限を持っているからです。ピラトが、ユダヤの王なのか、とイエスに尋問すると、イエスは、あなたが言っている、と返しました。
 
先に、大祭司に対して、メシアだというのはあなたが言っていることだ、と口にしたのと類似しています。明確に断言したのではないように聞こえます。におわせた、というだけなのかもしれません。しかしまた、その発言者に対して、当事者としてどうなのかと深く問うているのだ、と見てはいけないでしょうか。いま読んでいるこの私にも。
 
祭司長たちは、いろいろとイエスを訴えようとします。時間が過ぎていきます。イエスは無言を通します。「ピラトが不思議に思うほどに、イエスはもう何もお答えにならなかった」のでした。マルコの描くピラトは、この後「群衆を満足させようと思って」、イエスの極刑を決定します。いとも簡単にそれを実行してしまいます。
 
ルカは、ピラトの内面を描き、マタイも妻を通してピラトの心を映し出しているのに対して、マルコは非常にあっさり記すだけです。逆に、それが不満だったから、マタイやルカピラトの心理を描き足そうとしたのかもしれません。しかし、本当にピラトの考えたことなど、分かるはずがありません。私たちがそれぞれに理解しなければならないのです。

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