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解釈と幸福

具体的な人物を挙げると、なにかと失礼になるかもしれないので、多少抽象的なところから入ることにする。すでに亡くなった方ではあるが、ある政治家について何人かが、その人の生涯を描く本を執筆した。
 
その人の政治的業績を強調した人がいた。すると、的確な判断と諸外国への強気の態度が、読者によく伝わった。別の作家は、その家庭的な側面をよく調べた。政治家としての手腕の背後に、家族を大切にしている点が強調された。すると、ある政治的重大局面でも、堂々とした態度として描く人と、迷いながらようやく決断を下したことを描く人とがいることになる。別の作家は、その人の生い立ちでの苦労話を読者に訴えたかったらしく、政治の現場でも、強気で対応しながら、なお相手の立場を心配することがあった、と記していた。果たして、それらはそれぞれ食い違うから、嘘なのだろうか。それとも、どれも真実であると見たほうがよいのだろうか。
 
作家としての世界観というものがある。どのような捉え方を根柢にもっているかにより、同じ事件でもかなり描き方が異なる場合があるだろう。しかもそれが、歴史的人物であるとなると、史料に限りがあるから、同じ事件でも、互いに食い違う情報を以て記さなければならない場合がある。NHKの大河ドラマは歴史物が多いが、「その人物にそんな面があったのか」「いや、あんな考えだったはずがない」「あの事件を描いていないぞ」といった声が、SNSを通じてわいわい出てくる。いわゆる「ツッコミどころ」満載のドラマは、「反省会」などと称して、巷では盛り上がることがある。朝ドラからそれは始まったようにも思うが。
 
福音書はなぜ四つもあるのか。それぞれ矛盾する記事があるではないか。だから全部嘘だ。そのように言ってくる人がいるが、それは多分に、そもそもが否定したいという結論があるが故に、なんとか理屈を探しているように思われてならない。歴史的な証言というものにはどのような性格があるのか、そこに気づいて戴ければ、別の可能性が出てくるだろうに、と残念に思う。
 
それはまた、たとえば聖書から福音を受けようとする読み方に対して、聖書を自分本位で読むな、と釘を刺そうとする人についても言える。新約聖書については、パウロのほかは、ギリシア語が自由に使える書き手は殆どいないと言われている。私が英語で何か書くことに匹敵するくらい、間違いだらけの文法というのもあるらしい。しかし、ギリシア語の活用形や前置詞を大きく取り上げて、こうした意味だ、と従来の読み方に異議を唱えるとなると、なんとか福音的な読み方を崩したいという意図からあら探しをしているのか、と思いたくなることがある。
 
イエスの十字架や復活の記事についても、なんだかこの二千年の間教会が伝えてきた読み方はすっかりおかしい、というような話を聞くと、この人は人類二千年の歴史の頂点に立とうとしているのだろうか、という気持ちにもなってくる。
 
今の私たちは、昔の人たちとは文学的にも文化的にも、考え方や感じ方が異なる。先日は、美学関係でのそうした指摘を説明した本に触れた。同じ西洋でも、近代以降、何を美とするのか、コロッと変わっているのだという。よく言われる、近代的な主観意識というものにも関わっているとすれば、当然ではある。そしてその教育を受けた今の私たちは、千年前の美意識とは全く違う感覚になってしまっているのだそうだ。そう言えば、日本人でも、平安美人や平安のイケメンがいまここに現れても、あまりモテはしないだろう、というようなものである。
 
文学的な手法やその効果というものは、聖書の時代、聖書の成り立った場にあったものがきっとあって、私たちの思いもよらない捉え方があったことは、恐らく確実である。もちろんそれはどう違うか、学者たちが血眼になって調べ、研究している。だが、研究者が全員一致した意見というのは稀であるし、たとえ一致したとしても、だからそれが正しい、とは原理的に言い切れないはずである。
 
だから、聖書もいまの私たちにおいて、一人ひとり捉え方が異なるという可能性もあることだろう。画一的に、聖書の言うことを決めることは、恐らく永久にできないに違いない。むしろ、一人ひとりが聖書に向き合うときに、その一人ひとりそれぞれに、神がそこから働いて、語りかけてくるのだ、と受け止めたほうが幸福であるような気がする。そして、神とそのようにして出会った者が、よい方向に変えられてゆく、というようなストーリーを考えておくほうが、幸福であるような気がする。
 
聖書は、だから直にお読みになるとよい。間に誰かの頭脳を挟まず、あなたが直接聖書を開くとよい。聖書学者になる必要はない。ただそこから、いまのご自身の助けになるようなことが与えられたら、幸福ではないだろうか。聖書の言葉は、あなただけのものとなって、あなたを生かす力をもっているのである。他の人には、お薦めはできても強要はできない、ということさえ弁えていれば、お値打ちものなのである。

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