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逆境に怯まないように

テモテ二1:6-14 
 
愛する子テモテへ。溢れる思いが零れます。まだ若いテモテは今、何か怯んだような気持ちになっています。パウロが捕らえられたと聞いて、弱気になっているようです。だからそれは「臆病の霊」に襲われているのだよ、と諭します。心が一方向に傾いていることを、このように何々の霊と表現することは、古代にはよくあったのでしょう。
 
が、私たちも同様です。「疳の虫」などという言葉もあります。神から与えられるのは、そうしたものではなく、「力と愛と思慮の霊」です。テモテには、神の力が伴っています。確かにパウロは今苦しい情況にありますが、福音はこれで終いなのではありません。神は私たちに、計り知れない配慮を持っています。
 
私たちには、イエス・キリストを通じての恵みというものがあるのです。救い主イエスは、何をしてくださったのか。それを明らかにすることによって、苦しみの現状を、前進への力とするのです。死は無力とされたではないか。命を与えてくださったではないか。パウロは、このキリストの教えを伝えるために立てられました。その宣教者、使徒、教師です。
 
パウロはこれを「任命された」と自覚しています。神からの命令を受けた、ということです。もちろん、この苦しみは恥ではありません。主に従うが故の当然の仕打ちであり、恵みでもあります。テモテへの励ましの思いが、ここにふんだんに現れています。神からこの使命を委ねられたと受け止めているから、パウロは決して怯みません。
 
ゴールまで、このまま突っ走るのです。だからテモテよ、信仰と愛とを胸に、信仰の言葉、言うなれば聖書の言葉を、いつも目の前に掲げておくのです。そうパウロが畳みかけてゆきます。「私から聞いた健全な言葉を手本としなさい」とのアドバイスは、すべてのパウロ書簡を束にして、いま私たちへも持ち寄り、見せて手渡すような勢いを感じます。
 
果たして私たちは、それを受け止めているでしょうか。歪めて、自分の都合の好いように変えて満足していないでしょうか。自分を変えず、聖書の方を変えていないでしょうか。そうすると実は、本当は都合の悪いことになってしまうでしょう。神は聖霊を私たちに与えて、福音伝道の使命を果たさせようとしていることを忘れてはなりません。

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