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『ここが変わった!「聖書協会共同訳 旧約編」』

(大島力・小友聡・島崎克臣編 日本キリスト教団出版局)
 
2018年末に出版された、日本聖書協会の新しい聖書。30年を経ての言葉の変化を背景としているとも言えるけれども、新しい研究や見解を踏まえていることが、今回非常に目立っている。これまでの教義や神学を変えねばならないほどにまで、その変更が及ぶことがあるとなると、教会もすぐに全面的にこの聖書を取り入れることは難しいかもしれなかった。
 
比較的薄い本でありながら、急所をばんばん突いてくるというやり方は、日本聖書協会がこれまでもいくつも提示してきた類書(新しい聖書をアピールするもの)でおなじみである。但し、いくぶん専門的であったり、限られた数の出版であったりしたものだから、この度新約編に続いて、この旧約編も、より一般的な書籍として出された印象がある。編者のほかに、著者の名も、ごっそり表紙に並んでいるところが珍しいが、この場では割愛されてもらった。申し訳ない。
 
さて、私はというと、本書を非常に楽しく読ませて戴いた。形式は、旧約聖書で、新しい訳で力を入れた変更点を取り上げて、その背景を説明するといったものである。この聖書協会共同訳をまず掲げ、そのひとつ前の、新共同訳が置かれる。これとの相違が、一番のセールスポイントである。また、日本聖書協会発行ではない、よその会社の新改訳2017も並べられている。これは聖書協会共同訳と同時期につくられたという意味も含めて、より公平な視点をもたらす効果があるだろうか。否、時期が似ているだけに、この新改訳2017と、聖書協会共同訳とが、実はかなり近いということを多くの場合に知らせているのが大きなポイントではないかと私は感じる。だから、私は改めて、新改訳2017はなかなかいいではないか、と気づかされたのである。
 
翻訳を決めるための舞台裏である。しかし聖書翻訳の舞台裏というのは、実は聖書全体の理解にも関わる。考古学だの文献学だの、様々な要素を踏まえて、それを決めていくのであるし、最近の研究成果や、時に新説も影響してくるかもしれない。驚くことに、従来考えられていた意味と、正反対の訳になっているものもある。新共同訳で「希望がある」としていたところが、今回「希望がない」に転じているのである(新改訳2017も同じ)。これでは、これまでの礼拝説教や研究や解説の書が、時に意味を成さなくなるほどの変更である。これはヘブライ語の解釈が非常に難しいことに起因している。本書によると、その変更の方が、文法的にも海外の訳と比しても適切であるのだという。さあ、私たちの聖書の読み方が、どうなっていくものか、楽しみでもある。
 
もとより新共同訳は、カトリックとプロテスタントとの初の共同訳として画期的であった。そこに「新」が付いているのにはわけがある。最初実験的な「共同訳」の新約が出されたが、あまりの革新的なやり方に人々がついていけず、慌てて練り直して新しくつくったからである。そこには、カトリックの意向がずいぶん盛り込まれ、日本聖書協会のプロテスタント側が気を使ったかのような印象が拭えない。今回、聖書協会共同訳においてカトリックの意向がどのように反映されたのかについては明らかにされていないが、新共同訳よりいくぶんカトリック色を出そうとする意図は、抑えられたのではないだろうか。これについては無責任にいま言っているので、実際のところは教えて戴きたいものである。あるいは、カトリックの側でも、すぐれた研究者が多く表に出てくるようになってきたので、カトリック自体が、考え方や解釈を変えてきているという可能性もある。
 
非常に読みやすく、指摘してある点も分かりやすい。さらに、ただの研究報告のようなものではなく、一つひとつの短い説明が、小さな説教のように、福音を私たちに告げ知らせ、読者の魂に呼びかけるような効果があるように、私には思えて仕方がなかった。5分間くらいで語れる、コンパクトな説教が27集まったもの、と見てもよいような気がする。となると、小さな集まりや学習会での一つのメッセージとしても、活かせることになる。もっと活用されるとよいと思う。

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