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聖書についての語らいの場

京都から福岡に、私個人としては戻ったような形になったのだが、震災の後に引っ越した。そのとき、福岡の教会については無知だった。京都で信仰が与えられたからだ。
 
実際足を踏み入れてみると、ずいぶん緩いというか、信仰に対する厳しさのようなものが感じられない風土を感じたが、初めて体験する、よいこともあった。それは、礼拝後の語り合いである。
 
否、礼拝後ではない。それは礼拝の中であった。説教の後、小グループに分かれ、それぞれ、いま聴いた礼拝説教に関して、自由に語り合うひとときがあったのだ。
 
こうしたときには、他人の言うことを否定してはならない原則がある。だから、それぞれ自由に、感じたことを語る。それは、同じ説教を、様々な形でそれぞれが受け止めるということを知る機会となる。また、自分も、説教をちゃんと聞かなければならないし、アウトプットの訓練にもなるわけで、なかなか良いプログラムであると思った。
 
実際、自分の気づかない点を教えてもらうこともあったし、教会員の証し混じりの話もあると、その人を知ることもできた。こうして少し与えられた時間が終わると、再び参列の状態に戻り、頌栄などのプログラムを経て、礼拝が閉じられる。つまり、その語り合う場は、間違いなく礼拝の一部だったのである。
 
他の教会に行くと、そういうのがないところもあったが、別のところでは、礼拝の後に、有志が自主的に集まってそのように語ろうという企画があった。
 
最初は、次週の聖書箇所を開いて、いわば「予習」するような形で意見を述べ合うことになっていた。だが、私が参加してそれに違和感を覚え、それは非常にやりにくいのではないか、むしろいま聴いた説教から受けたことを語り合うほうがよいのではないか、と提言した。
 
そのようにやってみると、自主的な集まりだけに、語られる質はよくなった。半ば強制して礼拝内で集まる場合は、とにかく皆で知り合いましょう、という目的もあっただろう。そうした意図ではないこの集まりでは、聖書をより深く読み合うようなひとときが与えられた。私は時にリードしたり、話があまりに逸れたら戻したりする立場にあったが、出しゃばらないように気をつけながら、それぞれの発言が生かされることを望み、配慮したつもりだった。
 
礼拝説教を聞いても、それぞれ疑問に思うこともあるし、誰かに尋ねたいという気持ちが起こることもある。それがその場でかなり解消されるので、多くの人が充実したものを感じていた。礼拝後はいろいろ行事や企画が入ることもあり、必ずしも毎週ではなかったが、私はよい場だったと思った。もちろん、質問ではなくても、聖書の言葉を分かち合う場は、神の命が漂う場であるに違いなかった。
 
いまそこに、そのように計らってくれた牧師はいない。体よく追い出されたような形となった。当人はその後神に導かれた新天地で、むしろ生き生きと働いているようで、その点はよい結果となったといえよう。だが、後任者が、箸にも棒にもかからないような人であった。いつも私が指摘しているような人である。とても「説教」とは呼べないものしか話せないのは、ちゃんと理由がある。
 
別に信徒としてそこにいる分には差し支えないが、牧師という仕事はできないし、してはならない人物である。当然、礼拝説教の語らいの場などは、なくなった。そもそも、礼拝説教などできない人であり、神の言葉が語られているのではないために、そうした語らい自体が成立しない、とも言えるだろう。あの語らいの場に参加していた人は、いまひとりもそこに残っていない。「説教」というものに、そもそも関心がないような人ばかりが残ってしまった。聖書について語らうなどということにも、全く興味がないのである。
 
教会のためにも残念なことであるが、神の言葉というものがなくなったところは、もはや教会とは呼べなくなる。ただの人間の組織である。その凋落振りがあまりにも著しいので、やはり私は確信する。礼拝説教と、(それがプログラムとしてあろうとなかろうと)聖書についての語らいというものは、教会の命なのだ、と。

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