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礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だ…
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#旧約聖書

救いのスペクタクル

先週はイレギュラーであったが、今日の礼拝がゲストの説教者であることは、以前からの計画通り…

たかぱん
5日前
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神にとっての価値

事情は割愛するが、急遽ゲストが説教者として立つこととなった。若い説教者であるが、今年海外…

たかぱん
12日前
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来たれ聖霊よ

ペンテコステ礼拝である。教会の三大祝祭日の一つとされている。弟子たちに聖霊が降臨したこと…

たかぱん
1か月前
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河の流れのように

「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」(マルコ8:27)とイエスが問う。弟子たちは様々…

たかぱん
3か月前
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道半ば

11章。黙示録からの連続説教もちょうど真ん中辺りまで来た。ユダヤ文学だと中央はクライマック…

たかぱん
7か月前
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平和の計画

11月15日の日本の七五三に合わせて、と言ってよいだろうと思う。日本の多くの教会で、その直前…

たかぱん
7か月前
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イエスの後に従え、ただし主があなたを担う

ヘンリ・ナウエンの『老い――人生の完成へ』からの言葉をいくつか紹介しながら、説教が始まる。明日は祝日「敬老の日」。比較的新しい祝日だが、いまの子どもは祝日についてあまり教えられていない。あるいは、興味がないのか、驚くほど意識していない。せめて敬老の心くらいは、一年中弁えていてほしいと願う。   それにしても、教会員の中で80歳以上の方がそれほどにもいらっしゃるとは。数はここで明かさないが、この分だと、医療制度上の「後期高齢者」たる75歳以上になると、どれほどの方がいらっしゃる

あなたは神のもの

突然少し面倒な病気に苛まれ、説教を神学生などに任せることが続いた説教者。体調がどこまで回…

たかぱん
11か月前

経験と淡々とした日常

教会に棺が入れられ、共に礼拝をする。もちろん、そこに置かれたのは魂そのものではないし、ま…

たかぱん
1年前
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信仰と希望

開かれたのは、アブラハムの試練の箇所。イサクを献げよと神が命じたことに、いわば素直に従っ…

たかぱん
1年前
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見ることは信じること

近年、ハガルについての考察に出会うことが多くなった。私が男という立場でいるからだろうか、…

たかぱん
1年前
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破れ口に立つ

「破れ口」という訳語は、聖書協会共同訳では、ヨブ記30:14だけになってしまった。私の中で記…

たかぱん
1年前

思いを超えたところから

「カクテルパーティー効果」を思い出す。そこは、様々な声や音で雑然としたパーティ会場。だが…

たかぱん
1年前
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行くべきところ

その朝、子どもが授かることについて悩んでいた人から、よい知らせが届いた。やがて礼拝が始まった。創世記の16章であった。どうしてこの朝なんだ、とときめいた。   アブラムの妻サライには、子どもが生まれなかった。(16:1)   そこで、サライが夫に提案する。「主は私に子どもを授けてくださいません」とまず口を開く。すでに主は、アブラムに対して、あなたから生まれる者が現れる約束をしていた。アブラムは主を信じた。サライもこれを聞いていたのだろう。だからサライは、「私には子どもを授けて