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第一コリント書の最後の16章は、些か落ち着かないところがある。直前でまとまった復活論を述べ…
受難週を迎えるにあたり、十字架そのものよりは、エルサレム入城のほうが、選ぶ聖書箇所として…
黙示録の講解説教も12章まで来た。後半に入るわけだが、説教者はこの12章を、オペラ劇のようだ…
その日は、妻の父親の誕生日であった。2年前に亡くなった方であるが、誕生日を忘れないように…
2003年10月8日、日本のキリスト教会の説教は、ひとつのピリオドを打った。 主日礼拝に、説…
黙示録の連続説教も第7章に入った。「大地の四隅に四人の天使が立って」おり、風が吹き付けて…
諸事情から1ヶ月ぶりのその講壇は、長かった。話したいことが溜まっていたかのようであった。私は、夏期講習で日曜日の勤務であったから、動画の配信を待っていたが、夜遅くそれが届いた。そこからの個人的な礼拝となった。激務の連続の後だったため、体は果ててしまいそうだったが、魂は生き返った。 黙示録を連続して読んでいく形で、礼拝説教が語られている。今日はラオディキアの教会への手紙からであったが、それは私が自らのメッセージで今年の2月に取り上げた箇所であった。その時には、この黙示録シリ
教会の説教は、神の言葉であるべきだという。「私の語る言葉は神の言葉だ。礼拝後、とやかく言…
ずいぶん前のことだが、牧師のことを「メッセンジャー」と呼ぶのは、あまり好きではないんです…
盛りだくさんの礼拝メッセージだった。ここにすべて再現するわけにはゆかない。黙示録のシリー…
黙示録を、礼拝では読み進めている。七つの教会への手紙の3番目、ペルガモンにある教会の天使…
黙示録の講解は、まだ始まったばかり。「天上におられるキリストの姿」という新共同訳の小見出…
キリスト教会もまた、3月は慌ただしい。年度末ということで、4月中に提出する義務のある書類…
レントに入っている。教会では、イエスの十字架の死と復活へ眼差しを向ける。説教者が選んだのは、ぶどう園の農夫の話。ルカ20章を用いた。 ぶどう園を、主人が農夫たちに貸して旅に出る。その旅は長く、しばらく帰らない。主人が神を表していることは明白である。ぶどうの収穫のために、主人は僕を送る。しかし農夫たちはそれを袋だたきにした。主人は他の僕を送るが、同様であった。これは、神の言葉を伝える預言者たちを示しているはずである。そして農夫が、イスラエルの人々であることも、十分理解できる