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酔客一考(1)

 酒を教えて貰ったのは高校を卒業後、就職した先(自衛隊)の先輩である。成人式の後から、もっぱら酒の味を楽しむというよりは、酔うための手段であって、喉をスムースに通り過ぎるアルコール飲料であれば何でも御座れであった。

 醸造酒(ビール)をたらふく浴びて、蒸留酒(ウィスキー、焼酎)をすいすい飲んだ後に、醸造酒(ワイン、日本酒)をかぶせて飲んで、しばらく後ゲーゲーと吐いていた。

「吐けば吐くほど強くなる」

 逆酔拳というか、”オカルト前時代的スパルタ飲酒コミュニケーション”である。今なら先輩数名は逮捕されているはずだ(確信)
 (逮捕されなかったのは偏に私が超絶酒に強い体質だっただけ。)

 歳を経て、高い酒を飲むようになると「もったいない精神」のもと「飲んだら吐くな吐くなら飲むな」と持続可能な飲みニケーションに進化(退化?)していく。

 またそのころ懇意にしていたバーの店主が
「男児たる者、この世に知らない酒があってはならない」
というポリシーの持ち主であり、この場所で電気ブランやら珍しいウオッカ北欧のアクアビットに出会った。

 何故このような昭和のありきたりとも言える飲酒ヒストリーを語ったか言うと、最近仕事でタクシー乗務員をするにあたり酔客の相手をすることが増えたからである。

 楽しげな人、深刻な人、剣呑な人、いろいろ本当に人はいろいろで少なくとも世紀単位では変化はみられないのでないか。

 もちろん内容は殆ど聞いてないし、頭に残っていたとしても墓場までもっていくが、私の把握できる限りにおいて、SNSで大上段で論ずるまでもなく、東北の寒村にも人々の多様性は日常のすぐそこにあり、日本はダイバーシティが足りていると思っている。

さて最近買ったジンのつまみに、editorを埋めてみた。

またお会いしましょう。

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