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「絵画でも、音楽でも、俳句でも、自分で作っている側というのは、いつまでも若い」

年齢を重ねると、情報処理能力というのはたしかに落ちるんですけども、落ちる人と落ちない人がいるんです。

落ちる人と落ちない人で何が違うかというのを調べている研究が結構あるんですけども、落ちない人というのは、音楽をなさっている方とか、「何かをする人」なんですよ。

絵画でも、音楽でも、俳句でも、自分で作っている側というのは、情報処理能力はいつまでも若いんです。それを聴くのが趣味とか、それを見るのが趣味という人の方が、情報処理能力の老化が早い。

受け手ではなく、発信する側に回ると、若いままだと思います。

   植木理恵(心理学者)

「ホンマでっかTV」


歳をとるにつれて、特に自分の親が高齢になるにつれて、「ボケたくないな」という思いが強くなってきている。

そして、自分のセカンドキャリアや老後が心配になる。


自分が幼い頃は、親というのは、圧倒的な能力を持つ存在だった。

でも今では、「話の筋が通ってないな」とか「なんでもっとスラスラ話せないのかな」と感じてしまうことが増えてきた。

特に、何かを説明される時にそう感じることが多い。

説明が論理立てられていなくて、聞きながらこちらの方で情報を整理して、「こういうこと?」と確認しながら会話を進めていく。

特にスマートフォンの話になると、そういうジャンルが苦手な私よりも疎いので、親の言わんとすることを汲み取るのも大変だ。訊かれたことに対してすべてを説明すると余計に混乱するだろうから、かいつまんで、必要なことだけを伝える。


でも、今のところ、親が認知症になったとかボケたというわけではない。

私が普段接するのが親より若い世代で、その人たちよりと比べると、親の話すスピードが遅いと感じてしまうので、「老化だ」と脳が勝手に捉えてしまっているような気もする。


そうは言っても、やはり昔よりは情報処理能力は衰えていると思うし、職場でも、20~30代と50代を比べると、知識量は50代が優れていても、情報処理能力は若い世代が断然強い。

私の親は、定年退職してそのまま隠居生活を送るにはまだ若いという思いと、ボケ防止を兼ねて、セカンドキャリアを築いている。

もともと趣味は多い親だけど、仕事よりは人との関わりが少ない趣味なので、働かなくなると、たしかにボケる気がする。

だから時々忙しいと愚痴をこぼしながらも、頑張って仕事をしている。


そんな親を見ていると、自分のことも心配になる。

親のことを「情報処理能力が衰えている」と思ってるけど、今の自分を今の親と比べても仕方ない。今の親と未来の自分を比べないと。

私の親は、仕事もバリバリ勤め上げて、セカンドキャリアでは、さらにバリバリ働いている。忙しいことや感染対策が相まって、趣味や人づきあいが制限されているものの、今の私よりもアクティブだ。

それに比べ、私はというと、趣味も少ないし、このまま今の仕事をしているだけでは、何かを成し遂げるでもなく、次につながるわけでもなく、ただいたずらに時間が過ぎていくだけになってしまう。


ただ、noteは1つの趣味で、立派な創作活動だと思っている。

やはり書くことは頭を使う。昔のことを思い出したり、現在を分析したり、自分の感情を紐解いたり、内容を整理して、文章で表す。

これはぜひとも続けたい。以前使っていたSNSは、今は規模を縮小して、ブログページは廃止してしまったようだ。noteはぜひずっとずっと続いてほしい。

それに加えて、他にもクリエイティブなことをやってみたいな。


今よりもっと若い頃は、早く定年を迎えて、悠々自適に何もしないでのんびり暮らすことに憧れていたけど、今は、「好きなことをマイペースにしていたい」と思う。ボケないためにも。

同時に、やっぱり親には敵わないなと思う。


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