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「不幸だからといって、一生不幸でいてはいけない。」

不幸だからといって、
一生不幸でいてはいけない。
   
オプラ・ゲイル・ウィンフリー
   (テレビ番組の司会者兼プロデューサー)

名言まとめドットコム


否定の命令形なのに、勇気をもらえる言葉です。


「私ってついてないなぁ」
「私ってダメな人間だなぁ」
「私の人生、この先いいことあるのかな」
「私の人生、いつかは輝き出すのかな」
「私の人生、意味あるのかな」

そういう思考回路に陥りやすい年頃だったのか、中学生や高校生の頃はこんな考えが頭をよぎることがよくあった。

常に何かしらの悩みを抱えていた。

うじうじ、くよくよ、おどおどしていた。


学生の頃は、友人関係で悩むことが多かった。

親が厳しかったこともあり、放課後や休日に友達と遊ぶということがあまりなかった。友達とお互いの家を行き来することもほとんどなかった。

もともとの自分の性格もあるんだろうけど、親友どころか友達と呼べる人も多くなかった。


でも友達は欲しいと思っていたし、仲良くなる機会が来るのを待っていた。

それなのに、せっかくのチャンスが来ても、嫌われたくないという思いが強かったのか、自分の思うように自分自身が相手と会話してくれない。思ってもいないことを口走ったり、つまらない反応をしたり。

なかなか心置きなく付き合える人ができず、「私は誰にも受け入れられないのかな。そこまでつまらない、価値のない人間なのかな」と悲観していた。


それでもやっぱり気の合う人と仲良くなりたいという思いは消えなかった。

高校まではクラスというコミュニティの中で過ごさないといけない時間が大半。4月の初日にグルーピングされた人が、その1年間行動を共にする人たちだった。そのグループが嫌でも、基本的には固定されてた。


転機が訪れたのは、学校という組織の縛りが薄い大学生になってから。

最初に知り合いになったグループがいたけど、それとは別に、直感的に「この子とは仲良くなりたい」という子がいて、自分から声をかけた。今思えば小恥ずかしいけど、「友達になってほしい」とストレートに言った記憶がある。

彼女も仲良くしてくれて、買い物に行ったり、夜通しカラオケに行ったり、ファミレスでダラダラおしゃべりしたりしてたくさん遊んだ。

今も付き合いのある数少ない本当の友人だ。


バイトをしたのも流れが変わった一因だ。

学校という環境だと同年代としか付き合いがなかったけど、バイト先にはそれまでに付き合いのない年代の人たちがいた。

私のことを可愛がってくれる人たちがいて、心地よかった。


そうやって気の合う人が少しずつ増えていってからは、自分から人との距離を縮めに行くことも増えた。

それまで縁遠いと思ってた人たちも、1対1で話してみると、実は波長が合う人だということに気付くことが何度もあった。



心底「私の一生は不幸のままじゃなかった」と確信したのは社会人になってから。

私にとっては付き合いやすい人が多い職場だったのは、本当にありがたいことだった。

仲良くしてくれる人が何人もいた。私のことを「おもしろい」と言ってくれる人もいたし、「話してみたい」と興味を持ってくれる人もいた。


その後、恋人だった時期もあり、今も付き合いの続く人との出会いが最大の喜びだった。深いところまで自分をさらけ出させてくれたし、良いところも悪いところも受け入れてもらえた。

この人のおかげで「自分らしさ」を肯定できた。

その人が私を見つけてくれたおかげで、私の人生は輝き出した。

それまでの悲しみ、もどかしさ、やるせなさ、虚しさが報われたと思えた。



その時その時で強く意識していたわけではないけど、私は自分の人生を諦めてなかったんだろうな。

「きっといつか輝くはず」と、心の奥底では自分を信じていたんだろうな。


一生不幸でいてはいけない。

本当にそのとおりだ。


コンプレックスに思っていることや、口では「諦めてる」と言っていることでも、本当に自分で自分を諦めたらダメだ。

自分の気持ち次第で、自分の行動次第で、状況は好転するかもしれない。

そう信じて、毎日生きていこう。



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