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「やさしさは、押しつけがましくなく相手を包むもの」

やさしさは、
押しつけがましくなく相手を包むものであり、
求め求められる関係を超えたものであって、
求めて得られるものではなく、
求められてさずけるものではない。
   
中井久夫(医学者・精神科医)

心を輝かせる名言集


自分で「長所は優しいところ」と言える人は、どんな環境で、どんな生き方をしてきたんだろう。

実際に話し方もやわらかくて、気遣いもできて、優しい人だと思う。

あまり他人の悪口も言わないし、おせっかいなくらいに相手を喜ばせようとするし、家族のことも困らせないようにしてきたらしい。

優しいところを長所だと言うのは、それ以外にも良いところはたくさんあるのに、「それくらいしかない」という謙虚さの表れ。


そんな人に「あなたの優しさは優しさじゃない」と言ってしまった私はひどいやつなのかもしれない。

分かってほしかったのは「優しくない」ということではなく、「その言動は私はこう受け取ってしまっているけど、それでいいの?」ということだったのかもしれない。

それなのに「優しさ」という一番大事にしているところを否定して傷つけようという意識が働いていた。

そこは私の性格の悪いところだ。


でも、言葉選びは間違ったかもしれないし、ひどく傷つけてしまったけど、伝えたことは間違っていなかったと思う。

そこは避けて通れなかったと思うし、そういう言い方でもしないと私が伝えたかったことは届かなかった。

今はもうそんなひどい喧嘩をするつもりはないし、100%理解してもらわないと先に進めないとも思っていない。

異文化理解と同じで、最初は興味を持って近づいて、違いを発見して何でも楽しく思えて、そのうち衝突して、譲れるところは譲って、譲れないところは言葉で伝え合って折衷案を見つけて、だんだんと阿吽の呼吸が出来上がっていくものだと思う。

お互いに譲れないところがあれば、どちらかが折れるか、最後までどちらも譲らないのであれば、離れるしかない。

離れることも考えたけど、譲ろうと決めた。

私自身も、私の身近な人たちも、相手の親も、「こうしてほしい」「こうするべきだ」ということをなかなか行動に移してくれないけど、それも呑み込んで待つことにした。

待っているうちにいろいろ選択肢が減ってしまうことも含め、こちらの考えや想いも伝えた。

それは届いているようだし、努力する気もあるようだけど、思うようには進まない。


私の理想を全部叶えてくれることが優しいというわけではないし、行動は先送りして耳障りのいい言葉をかけることが優しいというわけでもない。

「優しいってどういうこと?」という疑問にもぶつかってしまうけど、やっぱり私は「できないことはできない」と言える人が優しい人だと思う。

仕事でもそうだけど、簡単なことや自分のできることだけやって評価を求める人や、物事の本質をごまかす人は「できる人」でも「優しい人」でもない。

みんなそれぞれ価値観が違うので、物事の本質をどこと捉えるのかは変わってくるとは思うけど。


私は自分が優しい人だと思ってないので、もっと優しくなった方がいい。

核心を突くことは大事だけど、伝え方とか表情とかタイミングはもっと思いやるべきだと思っている。


優しさって何なんだろう。

ふわっとしていて、とらえどころがないな。



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