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「自分の弱さを背負いながら一生懸命生きようとするのは立派だよ」

人間はみんなが美しくて強い存在だとは限らないよ。
生まれつき臆病な人もいる。弱い性格の人もいる。
メソメソした心の持ち主もいる。
けれどもね、そんな弱い、臆病な男が
自分の弱さを背負いながら
一生懸命美しく生きようとするのは立派だよ。

   ─ 遠藤 周作 ─ (『自分をどう愛するか』)

「20世紀の名言」からの引用です。


なれるものなら美しい存在になりたい。強い存在になりたい。

自分のことを好きになりたい。周りからどう思われているかなんて気にせず、堂々と、自信を持って日々を過ごしたい。前向きに、いつも笑っていたい。周りの人を笑顔にできるくらいの明るさを持ちたい。

なれるものなら誰からも好かれる人間になりたい。


でも、私は美しい存在でも強い存在でもないし、敵を作りやすい。

ひねくれてるし、あまのじゃくだし、口が悪くて人を傷つけてることも多いかもしれない。それに気付けていないことすらあるかもしれない。

友達も少なくて、人と程よい距離を保つのが苦手だ。警戒しすぎてか、まずは大きく距離をとって、ちょっとでも仲良くなれたら「この人とは仲良くなれそう」と喜び、ちょっとすれ違っただけで「勘違いだった。最初から仲良くなんてなかった」とまた壁を作ってしまう。

いつも他人の目を気にしているし、人と自分を比べて落ち込む。自分に自信がなく、内心いつもおどおどしている。よく人を羨んだり妬んだりする。

周りから否定的な感情を持たれるのが怖くて、読めない空気を読んで本心じゃないことを言って合わせようとするし、自分の立ち位置を守るために攻撃的な物言いをすることもある。

感情に支配されやすく、怒りに任せて行動してしまい、怒りが鎮まったらうじうじ悩むことも日常茶飯事。

ひとりの時間が必要不可欠だけど、ひとりでいる時や、夜中に、自分の存在意義がないように思えて、ぐっと気分が下がっていくことがある。


だけど、腐ったまま自分を諦めることはしないかもしれない。

「どうせ自分は…」と、投げやりになることはあるけど、それがずっと続くわけではない。うじうじ悩むことが多いのは、自分の弱さや醜さに向き合って、自分を「変えたい」という思いの表れとも言えるんじゃないかな。

一時的な黒い感情に流されて良くない態度をとってしまった後、「やりすぎた。明日は自分から声かけてみよう」と反省する。翌日、声をかけられなくてまた反省することも多いけど、現状を変えようと考えて、行動に移そうとする。

基本はネガティブだけど、小さなことでもすぐにくよくよ悩むのはポジティブになろうとしているのかもしれない。


真に美しくて強い存在なんて、ほんの一握りしかいないよね。

誰だって怒られたら怖いし、他人を傷つけたことない人はいないと思う。嫌われるよりは好かれる方がいいと思ってる人が大半だと思う。

冒頭に書いた「周りからどう思われているかなんて気にせず、堂々と、自信を持って日々を過ごしたい。」は、自分が他人の目を気にしすぎるからそう思うけど、本人だけ自信満々で周りは迷惑している人を見ると、自信の持ちすぎも良くないなと思う。

こういうことを考えていると、いつも最後にたどり着くのは「中庸」という言葉。なんでも「過ぎる」はダメ。ポジティブすぎてもネガティブすぎてもよくない。


まとまりのない文章になってしまったけど、とにかく「美しく生きようと一生懸命生きる」人間でありたい。

ストレスフリーで生きる人生はうらやましいとは思うけど、自分はそういうタイプではないし、失敗して、悩んで、立ち直って…を繰り返しながら地道に生きていく人生も悪くはないよね。

自分の人生を一生懸命歩んでいきたい。


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