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「理詰めで感情の火を消そうとしても無駄」

理詰めで感情の火を消そうとしても無駄。
   ジョン・グレイ(人間関係カウンセラー)

地球の名言


頭で考えても「好き」という感情が消せないように、「嫌い」という感情も理詰めでは消せない。

嫌いな人に対する感情を消せない自分に困っているので、ここでは「嫌い」の方について書こうと思う。


大多数の人は人の好き嫌いがあると思うけど、私もある。しかも、どちらかというと、私は嫌いな人の方が多いと思う。こちらが好きだと思って近寄ろうとしても、相手は興味すら持ってないというのが嫌なので、予防線を張ってしまう。警戒してしまう。

「なんか変なこと言ってるな」「なんか自分の感覚と違うな」というところが見つかったら、「うっとうしいな」「うるさいな」に変わっていき、「苦手」「嫌い」になっていく。


先に自分と合わないところに意識を向けてしまうのも直したいところだけど、いま一番直したいと思っているのは、「嫌い」と思ったら、嫌なところばかりが気になってしまい、「嫌い」が加速しすぎること。

私がある人の発言を「なんか変だな」と思ったとする。雑談していると、他の人も同じように「変だな」と思っていることはある。むしろ「変だな」のポイントそのものは、多数派の感覚とさほどズレていないのかもしれない。

でも、他の人は、「あの人、変わってるな」から「変わってておもしろい」とか「かわいい」に変わっていくのも多いのに対して、私は「うるさいな」に変わってしまう。

さらに、その発言を面白がったり、注意しない周りの人にもイラっとしてしまうことがある。

結果的に、自分だけがイライラしているだけになる。

相手が間違っているなら指摘するという選択肢も選べるけど、間違ってるとは言えないことや、どうでもいいことに対してイライラする、この自分の心の狭さを、直せるものなら直したい。


たまに反省して、一歩離れたところから、その人の良いところに目を向けるようにしたり、その人の思いや事情を知ることで、自分の捉え方を変えようと試みる。それでうまくいくこともある。

「この人はこういうコンプレックスがあるって言ってたし、それを隠すためにこんなことを言ってるんだ」「この人は過去にこんな失敗をしたって聞いたことあるし、過剰に反応するのかもしれない」と優しい気持ちで捉えなおしてみたり、「自分と似てるから、逆に自分と真逆だから、敏感になってしまうのかな」と自分を省みたりすると、普段ならイラっとする発言に対して鈍感になれることがある。


でも、頭で理屈を整理して「嫌い」という感情を消そうとしても、やはり限界がある。長続きしない。

目障りなことや耳障りなことに対する不快感が少しずつ溜まっていって、ある量を超えると、頭の中で整理していた理屈が一気に崩れてしまう。

無理して抑えた感情は、溢れ出すと止まらなくなる。


「嫌い」という感情が加速しても、誰も幸せにならない。

自分の態度に出てしまうし、そのせいで相手も嫌な気分になる。

「他の人はちゃんと適応してるのに、なんで自分はマイナスの感情に支配されるんだろう」と自分自身も凹む。

この問題は、たぶん解決には長年かかる。努力してきたけどまだ直ってないし、ある人に対する反応が改善しても、これから出会う人に対する新たな「嫌い」の感情も出てくると思うから。


そもそも私の感覚が間違ってる時もあるだろうし、どういうタイプの人が苦手なのか、自分の好みを分析したら対処しやすくなるのかな。

自分を知ることが足りてないのかな。

また別の機会に分析してみよう。


「嫌い」という感情が強いのであれば、「好き」という感情も強いと信じている。「好き」は相手に素直に伝えて、どんどん育てていきたいんだけどなぁ。




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