2024-01「長く見た分だけ映像を覚えていられる、というあまりの当然さに笑ってしまう。」

ひと月が過ぎた。


今月のツイート

 中学校の同級生たちと年を越した。

これが初夢。

 新年早々、地震があった。東京はゆっくりと長い揺れがあった。直後に姉が帰ってきて、夕飯におせちをつついたりして正月気分は続いたのだが、そのあいだ津波警報のニュースをどう受け止めていいものかわからなかった。

 正月気分がみせた夢。暢気な理想だけども、基本的なスタンスはこうであることを忘れたくない。

 ライブパート以外が楽しくないというのが私の感想だ。ドラマパートにも輝く瞬間がないわけではない。瞳のクオリティの高さと空や光の演出もこだわりが伝わる。また、ストーリーの低体温ぶりに作為性への挑戦があるのはわかる。けれど、レイアウトと編集に難があるのか映像としての面白さが乏しく、鑑賞後の台詞と劇伴の平たさの印象がのこる。

 私は、第三章の「バミリをつま先でなぞるカット」のほかに、第二章の「公園の外灯に明かりが点るカット」に胸をうたれもした。これらのカットが挿しはさまれることは、ごく作為的なことである。それは、ドラマのストーリー展開の作為性を排するという志を実現するにあたって必要とされる、また別の映像のストーリーの作為だ。

 ライブパートはすばらしかったので、劇場で見ておいてよかったのはたしかだ。

 いまは『静かな生活』を読んでいる。 

 「Poster Strangelove」というトークイベント。海外ポスター収集家の小野里徹のコレクションの一部を、ライムスター宇多丸のコメントとともに鑑賞する催し。見たい映画が増えた。

 咲耶さんが安心してどぎまぎしていると、うれしい。

 ジョン・ファヴロー監督で映画化が決まった。マンドーはスクリーン映えするだろうから、そのポテンシャルを発揮するジャンルを踏襲してほしい。ドラマで十分にやっていることとはいえ、「おなじみのマンダロリアン節」として開き直ってもらいたい。変にスターウォーズ最新作であることを意識しなくてもいい。

 動画を見たあと、自分はどうだったかなと卒アルを引っ張り出した。

アニメ:『葬送のフリーレン』

 序盤の数話までは毎回泣いていた。あのときと同じことを別のしかたでやり直すことができるという確信の力!と思いながらボロボロと涙をこぼした。Evan Callの劇伴にも泣かされた。

 ずーっと抑えて抑えて話をすすめてから、第9話で超能力バトルをほんとに見事なアニメーションで見せてくる。この緩急。(この緩急が一級魔法使い試験篇には乏しく、残念)

映画:ケリー・ライカ―ト監督作品

 『ショーイング・アップ』。物語の最後は「展覧会の会場から鳩が飛び立つ」だけなのだが、それがしっかり体温が上がるクライマックスとして仕上がっている。

 大予算のアクション映画しか見ていなかったかつての私は、クリント・イーストウッドの『運び屋』を見たときに、高速道路を走る車とヘリコプター一機だけでクライマックスを作りあげられることに驚いたものだけど、それでさえ「鳩が飛ぶだけ」に比べれば大予算のクライマックスだったわけだ。

 鳩が飛び立ったあと、電線や道端の木々など、人のいない街の風景を映したショットが三、四つ挿まれる。過去作『オールド・ジョイ』でも、二人の男が最接近したあと、同じように複数の風景のショットが挿まれる。ライカートは、クライマックスで火照った身体をすっと冷ませるような映像を用意してくれる。

 『ショーイング・アップ』はみごとな鳩映画なので、ぜひ櫻木真乃さんに見てほしいなと思いました。

 三峰結華さん。お誕生日おめでとうございました。

 ものごとをタスクとして捉える以上、「タスクとは消化すべきものである、タスクを消化せよ!」という命令に囚われてしまう。ものごとをタスクとして捉えないようにしよう。どうやって?

 置かれた状況にたいする困惑からキレたり笑ったり、反対にこちら側に極大の困惑をぶつけることで笑かそうとするときの原宿さんが、私にはとくに輝いて見える。「目の前のこれをどうすりゃいいの」という感覚。

 今後も「広くキレ」つづけてほしい。

 そのあとブックオフに寄って帰った。

 文庫版になる前の増補版だけども。あの赤い分厚い本が、白い小さな文庫本になっているけれど、どういうわけだろうか。

 國分功一郎の本だと、山崎亮との対談本『僕らの社会主義』が好きです。

 頭を空にして楽しんだ。

 「お~い!俺だよ~!」と呼びかけたくなる気持ち、わかる。

映画:シャンタル・アケルマン

 ひとつのカットが恐ろしく長い映画。86分。

 一人の女が部屋から出て、男が運転するトラックにヒッチハイクをして、旧知の仲の女のもとを尋ねる話。10分のショートムービーにできそうな話だが、それを86分かけて描く。ひとつひとつのカットが長いのだ。女が砂糖を食べたり、寝転がったりしているのを、観客はじっと見るしかない。なので、映像の記憶への残り方が違う。翌日も脳内で映画を上映できる。長く見た分だけ映像を覚えていられる、というあまりの当然さに笑ってしまう。

 これも、ひとつのカットが恐ろしく長い映画。200分。

 主人公のジャンヌは息子が学校に出かけているあいだ、密かに男を部屋に呼んで売春をしている。彼女は、別れ際に男から渡される紙幣を居間のテーブルのうえの壺のなかに貯めている。ある朝、ジャンヌが出かけ際の息子に小遣いを渡すと、息子から「もう少しくれない?」とねだられる。するとジャンヌは、居間の壺から紙幣を取り出してきて、それを息子に渡す。

 この瞬間、はじめて「売春客→壺→息子」という金銭の流れが物語らしい構図の一つとして浮かびあがってくる。つまり、ああさっきのアレが今のコレね、という感慨が観客のなかに生じる。しかし、このときにはすでに映画が始まって一時間が経過している。物語が立ち上がるのが尋常じゃなく遅い。ひとつひとつのカットが長いため、話が進行するのにおそろしく時間がかかる。

 『また明日』はほんとうにいい曲ですね。

 大崎甜花さん。ひとまず失敗や休息もよし!という人がシャニマスにいる安心感がある。いや待ちたまえ、「成長するかぎりでは、よし」という限定があったほうが甜花さんの向上心やコミュの内容に即しているよ。それに、そっちのほうが健康なメッセージじゃないか。

 わかっていますよ。けれど、私はこの限定をまた留保することも「シャニマス」だと思う……。

 体調を崩すのはつらいね。

 いいタイトルだと思うのだが、コミュの内容はというと、それに見合うほどには登場するモチーフが生かしきれておらず物足りなさが残った。しかし、ノクチルのコミュに「いきどまりの自由」というタイトルが冠せられたという事実。このことは、不満を補って余りあるほどに味わい深くありませんか。

今月の下書き

 Blueskyの招待コードが来たのでやった〜とか思ってたけど、2014年からTwitterを始めた私には「ふるきよきあの頃のTwitterのせまさ」みたいなものがわからず、ただただ恐ろしい。

だれもフォローせずROMってます。

 どれほど必死に「私という存在の特殊性〜!」と叫んだり悶えたり吟じたりしても「みんな同じなんだよ^^」しか返ってこない。そうやってイジワルするのはやめてくれないか。

「そうだよ君は特殊なんだ」というタイプのイジワルもあるとのこと。

 リズム・パーカッションでそんなことせんでもよくない? やりすぎてちょっとヘンじゃない?、だけど気持ちいい、みたいなものが好みなのかもしれないね。

 日本語ラップを好きな私がいまアート・ブレイキーの曲を聴いているのはなぜか、と考えたときに出てきた仮説。

 中学時代に見ていたマインクラフトの実況者の動画をまた見ている。変わらず楽しくておどろいている。

日常組のマイクラ実況を見ていました。

「特集の時代は終わった、全集を読め! 全集特集2024」

 あなたが買ったことがある全集、図書館で読んだ全集について、お便りを募集。


今月のファボ・ブックマーク

 4年以上前の記事だけど、今月流れてきた。フランス現代思想の研究者がいかに結婚式を挙げたかを綴った記事。

 面白かった日記。

 オスカーの国際長編映画賞に『PERFECT DAYS』がノミネートしたね。

 一月の分は終わり。


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