2024-02「70年代の日本映画を集中的に見ようキャンペーン」
今月のツイートをまとめます。
今月のツイート
1970年代の日本映画を集中的に見ようキャンペーンを開催中(個人的に)。キャンペーンがいつまで続くかわからないけれど、とりあえず有名どころのお勉強をしようということで、雑誌『キネマ旬報』の「1970年代の日本映画ベスト・テン」特集を参考にして作品を選んでいます。志があるのかないのか。
その第一弾が1971年の作品『八月の濡れた砂』。夏の湘南、地元でくすぶる若者二人が東京からきた姉妹に接近する。
終盤、青年が継父が所有するヨットを奪って四人だけで海へ出る。水着すがたの四人は、海上で解放的で自由な時間を享受する。昨年に読んだ大江健三郎『洪水はわが魂に及び』(1973)同様、自由の象徴として舟が登場することに時代的なものを感じる。
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1979年の映画。中上健次原作。
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東京の路線図はまだわからない。
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モハブログの動画を見てました。YZERRのアンサーソングにたいするリアクションが気になってしまったから。
ラップの反応動画では、パンチラインやスキルフルなフロウ・ライミングが飛び出したときに、MVの再生を一時中断して興奮しながら、あるいは沁み沁みと噛み締めながらコメントをする。たいていの場合、「hold on, hold on」のかけ声とともに一時停止ボタンを押す。相席食堂のスタイル。
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1971年の映画。田原総一朗が共同監督・共同脚本。棒高跳び選手だった青年と、年少の聾唖者の男女、三人の放浪劇。
三人は、海岸にある廃墟となった弾薬庫で寝泊まりしている。ある晩、聾唖のカップルが裸で抱き合いはじめたので、青年は弾薬庫から外に出る。青年はひとりで夜の海に向かってアジ演説をはじめる。切実さは伝わるが、できのいい演説ではない。すると、うしろから女が裸で駆けてきて、海へ入る。あとから男も追いかけてきて、男の脇を駆け抜ける。
夜の浜辺の波うち際で、アジ演説をうまくできない青年の目の前で、情事を終えたカップルの裸の身体がもつれあう。支離滅裂で空転する言葉のむなしさと、エネルギーに満ちた身体の運動。わかりやすい対比だけども、いい映像だった。
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映画:バス・ドゥヴォス『ゴースト・トロピック』
すべてのショットは、人が映っているものと人が映っていないものに二分することができる。画面のなかに人がいるのか、いないのか。これは大きな違いだ。映像に人が映っている、ということは驚くべきことではないか。私はそう思っているから、ずっと人を映してばかりの映画を見ていると、「なんだ、こいつはスクリーンに人が映って当然だと考えているのか」と見てしまう。
『ゴースト・トロピック』は、人を映すことに対する姿勢が美しかった。無人の部屋にはじまり、深夜の街並みのロングショットが続く。人の姿は小さく、影に隠れていて、いるかいないか判然としない。
もちろん、ほかの映画と同様、本作の大半は人を映している映像から成っている。たとえば、主人公が歩くところをカメラがドリーで追いかける。人の動きに応じた映像の運動という点では、カメラは人間の存在を認めている。しかし、カメラの動きの速度はしだいに歩行の速度を上回る。映像のなかで人の姿は小さくなっていく。
同監督の『Here』は、人を映す・映さないの区別とともに、人が一人映る・二人映ることの区別が加わっている、というふうに私は見た。たとえば、ラストショット。机を挟んで会話をする主人公とその叔母の二人を映しているカメラが、ふとした気づきをきっかけに、ぐっと主人公ひとりに寄っていく。映像のなかに映るのはひとりの女性である。しかし、彼女ひとりの記憶のなかには、画面には映らずとも名を知らない彼が存在する。
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いいやつが当たりましたね。ほんもののハンチング帽を手に入れることができた。ツイッターのアイコンはベレー帽を縦にまわしただけのものなのだ。
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1972年の映画。16歳の家出少女が四国をひとりで旅する話。冒頭、青々とした田んぼにぽつんとある掘っ立て小屋のなかから、髪を伸ばしっぱなしにした少女が出てくる。吉田拓郎『今日までそして明日から』にのせて、旅の様子が映される。四国の山や町のなかで佇み、歩く、ひとりの若者を映すロングショットが心地よかった。
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1970年の映画。長崎の炭坑の町で暮らす一家が北海道の開拓村に移り住むまでの日本縦断の旅。冒頭、出発の日の朝、一家が、村の人たちに「お世話になりました」と挨拶をして周る。村の人たちも「向こうでも元気でね」と見送る。この映画は別れの挨拶からはじまる。それだけで寂寥感がある。
道中、大阪に寄るのだが、同年に開催されていた大阪万博でロケをしていて一つの見せ場になっている。なるほど、数万人の人間が、全国から、未来があることを信じて疑わず押し寄せていたんだなあという感慨をおぼえる。つい最近、母が万博で撮った写真を見せてくれたものだから、もしかしたら映り込んでいないかしら、という期待もよぎった。
2025年版『家族』もつくってください、誰か。
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私がいやな気持ちになるツイートを高い精度で表示してくる。
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Trueエンドの冬優子さんの声の表情、すごかった。
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ある部分では理想を込めて描いているということなのだろうけど、人物の生き方がみな器用なように見えてしまう。症状の発作や感情の起伏が、ただちに人と人との器用さの相互作用に転じてしまう。それをうまい演出で描くものだから、よくできた作品ではあるのだけど、どこか信頼しきれない。
藤沢が山添の髪をばっさり切ってしまったことで山添が思わず笑ってしまう場面を考えれば、不器用さは、この作品のなかで二人の関係をはじめる決定的な役割を担っているといえる。だけど、そのあと山添の髪はいつの間にか短く小綺麗に整ってしまう。
だけど、鑑賞からしばらく経った今でも、ときおりあの自転車のシーンを思い出して胸が温まるような心地になることがある。それだけすごい映画であるということは、いっておかないといけないね。
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ポロショコラには食べるための楊枝がついてくるのだが、あの〝さすまた〟型になっていた。うれしいコラボ。
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1970年の映画。ラスト、実際のニュース映像と男女のヌード写真が交互に映される。「政治と性の時代」を表現する映像としての安直さにびっくりした。
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アトロク2で毎年恒例のゲレンデDJ特集。イントロで前説がある状態で曲を聞くと新鮮だ。ラジオってトーク&ミュージック。
ラジオ賛歌の一日。
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はじめて武道館に行きました。今回のアルバム収録曲はフィーチャリングが多く、ゲストがひっきりなしに出てくるライブだった。
ライムスター単体のステージで印象にのこったのは『耳ヲ貸スベキ』。25年前の時点で宇多丸とMummy-Dはこんなことを歌っていたのかと改めておどろく。過去の楽曲を歌うときには、舞台左右のモニターにその曲が収録されているアルバムのジャケットが大きく表示され、ターンテーブルの下の「RHYMESTER」のロゴデザインが当時のものに変わる演出があった。
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放クラ回の感想。ギャグの温度がクールなうえにかわいいので、すごかった。
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山下敦弘監督作品。1970年代初めの日本、ジャーナリズムの理想を追う記者と、革命の理想を追う活動家の話。堅気の人が危なっかしい人に惹かれて、その人の血なまぐさい世界に足を踏み入れかけて……という構図は、同監督『カラオケ行こ!』と同じといえる。
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路上生活者の女性が遺した手記を書籍化したもの。有志の人たちがワークショップを立ち上げ、活字に起こした本。アトロク2で小説家・柚木麻子さんが紹介しているのを聞いて知った。
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1973年の映画。
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Benjazzyのリリック。そのほかにも「下向き自分の陰踏み歩くんだったら お前等も韻踏めよ」というラインもある。名ヴァース。
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今月の下書き
不貞寝をくりかえそう。
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授業で自分のリアクションペーパーが読み上げられるとすなおにうれしい気持ちになったものだけど、もはやそのすなおさが疑わしい。
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キャリアを後生大事に抱えて生きていきましょうね。
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いろいろなことに時間がかかる。
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文学:「戦後文学の「内部」と「外部」」
批評家・秋山駿は「自分とは何か」と問うてきた。自分の実存を「石ころ」とたとえて、政治や社会や国家といった大きな問題と切り離して考える。そのため、座談会の場で文学の話をするときにアメリカやアジアといった国家の話になることに対して異議を唱える。
しかし、秋山の下の世代である小説家・中上健次は、石ころである「自分」を問うことと社会を問うことは対立するものではないという。いわばアメリカやアジアもまた大きさが違うだけの石ころなのだ、と。この中上の見解にたいして、秋山は「あ、そうか。それはそうだな。大きい石と小さい石がある」(198頁)と納得しており、彼特有の可笑しな素直さがある。
他方で、中上と同世代の批評家・柄谷行人は、言葉とはつねに同一の意味をもつわけではなく、時代ごとに別の意味を持つと考え、「自分とは何か」という〝普遍的な〟問いもまた、時代によって意味が変わる特殊なものだという。だから、秋山の問いも、普遍的な文学の問いではなく、ひとつの時代状況のなかで意味をもつのだ、と。
柄谷は、秋山がいう「石ころ」を「文学の外部」に置かれたものとして理解し、その点を評価する。そのため、座談会で秋山が文学を擁護するしかたにたいして批判的である。政治や国家の議論にたいして、「石ころ」をもちだして文学を論じてしまっては、文学の外部であったはずのものをまさにその根本に回収して置くことにほかならないからだ。
柄谷に同意して、中上もまた秋山が人間・文学中心主義的になっていることにたいして不満を述べている。石ころを論じることが、フェティシズムになっていることへの批判だ。
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思い出:小学校の同窓会
小学校の同窓会があり、そのあと感傷的な下書きをいくつか書いた。
小学校の同級生たちが飲み会の席でこれほど愉快そうに話すとは、という驚き。この場を楽しいものにしようというホスピタリティさえある。
たとえば、比較的おとなしい印象だった人が、終始ごきげんな様子だった。いじり合いの応酬に参加したりして、「こいつ〝飲みベ〟高いわ」と称賛されていた。あるいは、また別の人が、三次会からの帰り道でずっと話し続けていた。たしかに黙りこくって帰るわけにはいかないし、祭りのあとのクールダウンも必要である。その状況にふさわしく、酔いに任せてとりとめのない会話を続けていた。
私は、言いたいことだけを言いたいという不遜さを未だに手放せない。それどころか、ときおり、淀みなく話す必要があることが信じられず、目の前で人が話していることに嫌気がさしてしまう。はきはき喋る人は、はきはき喋る人同士で話してればいい、私には関係ない……、というふうに。
なんどもなんども自分の名前が呼ばれる、不思議な時間だった。ひとりで寝床に就いても、自分を呼ぶ親しみのこもった声が耳のなかで響いている。私はいま一人でも、じじつ、さっきまでこの声のなかにいることができていた。自分は他人に呼びかけられうるという可能性の事実を突きつけられたままひとりで眠りに落ちることが不安で、隣に誰かいればいいのにと素朴に思った。
また会ったときに「前回は楽しかったねー」といえばいいだけの話かもしれない。
そもそも、「集団の記憶を個人の記憶として思い起こすことに伴う後ろめたさ」が共有されているのか。この文を読んでいる人に後ろめたさを植え付けて、新たな道徳の教説を唱えようとしているのか。
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地元の連中でラップグループを結成して、東京ドームで解散ライブか……、と遠い目になった。
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人と話すことは難しい。
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順風満帆な生にたいする不信のうえに生活を打ち立てませんか。
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私はこの曲を聞いたとき、「僕ら」という言葉がむりなく用いられている、と思った。はたして、この感想はどういうことなのか。自分でもはっきりわからなかったので、歌詞を咀嚼するためにくり返し聴いていた。トラックとメロが心地よいので、なんど聴いても楽しい。そして、次のようなことを考えた。
「私たち」という言葉を用いることはきわめて難しい。ある人が「私たち」と称したとき、その人は「私」以外の他人たちに呼びかけている。その呼びかけの成否は二つのポイントで決まる。第一に、「私たち」というグループを想定することが妥当かどうか。第二に、自らそのグループを代表して「私」が発話することが正当かどうか。
この曲での「僕ら」の用法は、この二重の難関を達成しているように思う。まず、この曲で名指されている「僕ら」は、時間がただ過ぎていくだけで何もないまま存在する者たちだ。「ここから変えていく自分の意志」も歌われるが、少なくとも、「僕ら」として想定されるのは、時間のなかで停滞の感覚をもつ者たちすべてからなる集団だ。これはたしかに存在する。
それでは、次に、この歌詞の語り手はその集団を代表するにふさわしいのか? この正当性を示すのが、最後の「僕に生き方みたいなやつを心に刺してくれ」という願いだと理解している。この一人称単数の願いこそが「僕ら」を代表する資格にほかならない。「僕」ひとりの願いこそが、この語り手が「僕ら」へと呼びかけることを可能にする。
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今月の分はおしまい。
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