2024-06「好きなキャラ:マリー・ミョルニル」

今月のツイートをまとめます。


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 見るにあたってマッドマックスシリーズを見ました。

 ミニフィグで遊ぶのは楽しい。二枚目のロボットに関しては、もっとぴったりなヘッドパーツをもっていたんだけど、いくら探しても見つからなかった。レゴはこういうことがある。

 メイ/オーシャ役のアマンドラ・ステンバーグがよい。

 カイロ・レンのテーマがちょろっと流れたりはした。けれど、もっと頼みますよ。

 1971年の寺山修司の監督・脚本作品。

 先月に『サード』(寺山修司・脚本)を見て、この作品はどれだけ寺山修司的なるものを含んでいるのか確かめたくなったので、比較対象として見た。『書を捨てよ~』はアヴァンギャルドな演出が盛り込まれて楽しいし、人を惹きつけはするのだろうけど、別にその楽しみは映画全体に盛り込まなくてもいいものだと思った。

 どんどん突き進んでいる。シーズ回では、美琴さんのあどけなさをはづきさんの目を通して描くことで、何倍も味わい深くなっている。

 2017年の映画。川本三郎の映画評をまとめた単行本で取り上げられていたのを読んで知った。

 前半、工事現場の日雇いで働く池松壮亮と松田龍平のかけ合いがよい。池松演じる主人公は、まわりと馴染むことができないまま、自分の考えを並べ立てるのをやめられないのだが、松田龍平はその饒舌を中断させる存在。

 路上シンガーの展開がイマイチ、田舎の撮り方がつまらないなど、文句もある。だけど、東京の景色を映すときは詩情のある映像になっているのはこの作品の独自のよいところだと思う。

 ポール・シュレイダー監督作品。犯罪映画なのだが、やはりシュレイダー印の映画になっている。

 一縷の希望を提示する作品だとしても、その過程で描かれる悲惨さをどう受け取ればいいのだろう、ということを考えていた。

 いいね欄を見られなくなった。

映画:『午前中の時間割』

 1972年の映画。高校生の草子と玲子は、8ミリカメラを片手に旅行に出かけたが、旅先で草子が死んでしまう。玲子は男友達の下村と、残されたフィルムに何が映っているか確かめる。玲子に恋心を抱く下村は、そのフィルムに男性が映っていることを知る……。

 抜きん出てよくできているというわけではないが、実験的でユニークな仄暗い青春映画になっている。8ミリフィルムの映画内映画のなかにだけ存在する死者(草子)を通して、若さゆえの冒険心と大人への失望をくりかえす二人の若者。好きな人は少なくないと思うし、公開当時も支持を得たんじゃないかと想像する。

 古本屋で、『Keiko』と『午前中の時間割』のパンフレットがあったので買ってしまった。評論がたくさん載っていてうれしい。たとえば、渡辺武信「青春映画の内にひそむ映画論的構造 「午前中の時間割り」のラストシーンにまなざしかえすために」からの引用。

 たかがキス一つ、と今のぼくなら思いがちだが、いつの時代にもナイーヴな少年少女、それも幼年期の殻を外部から突き破る極限的条件がなに一つないまま、日常性の表面的な平穏さの下で、自分たちだけの存在論的苦悩を曖昧なまま抱え込んでいる少年少女たちにとって、ただひとつのくちづけによる自分たちの位置の確認が、どれだけの象徴的重みを持ち得るかを、ここであらためて想いだす必要があろう。そしてこの象徴的な重みの内実は、多元的な構成の内に、確実にとらえられていると思う。この映画の一見特異な方法論的も[原文ママ]、見方によっては、すべて、このただひとつのくちづけのために消費されたのだとも言える。その意味で、この映画は清新な、しかしあまりに正統的な、青春の確認の映画であると言ってもよいだろう。

『アートシアター』97号、1972年、20頁

 最後の一文が『午前中の時間割り』評としてよいと思う。特に「清新」という表現。

 まだたりない。日本語の女性ボーカルがサマーソングたりてません。

 隣にいる人を幸せにして、幸せになる関係としての結婚。

音楽:ラップスタア誕生2024

 TOKYO世界とCharluを応援していました。どちらも、フロウの聴き心地のよさとリリックの面白さを兼ね備えている。抱えているpainはまったく違うけれど、どっちもラップをする理由がある。

 なので、敗者復活枠を決めるときが一番ひりひりした。と同時に、一番納得のいく審査結果だった。二人が抱えているpainはまったく違うと書いたけど、ヒップホップの場にのせて比べたときには、二人は二つの極となってある種の対をなしている。そして、ヒップホップという尺度があるかぎり、どちらの極が勝つかは決まっているんじゃないか、という気もする。

 確証もない話なのでわけわからないくらい曖昧に書いている。いちばん心情に近いのは、敗者四人の楽曲を一通り聞き終わったあとの「余計わからなくなった」というralphの一言。

 改めて見返すと、Charluは、楽しそうにラップをするパフォーマンスがいい。最初のセレクションサイファーから幕張のステージまで一貫している。もちろん、日々の痛みが歌われているのだけれども。

 審査員たちのサイファーもよかった。LEXのヴァースがすごい。これって一体どういうことなの、と笑っちゃいながら聴けるラップがいちばん楽しい。

 アジアンドキュメンタリーズ映画祭のなかでの上映。作中でも、上映後のトークショーでも、「責任」という語に強い負荷がかかっていた。

 アレクサンダー・ペイン監督作。いい映画でした。

映画:『家からの手紙』

 シャンタル・アケルマン監督作品。70年代のニューヨークの街のようすを定点カメラ的に写す映像たち。その上に、母から送られてくる手紙を読み上げる声がのせられる。お金は足りているか、返事はすぐに送ってほしい、こっちは父の体調がよくない……など、遠く離れた都会で暮らす娘を案ずる文面。

 最後のショット。港から出発した船の船尾に置かれたカメラが、徐々にニューヨークのビル群の全貌を画角に収める。さっきまで都会のようすを定点的に見つめてきたけれど、その光景すべてがあの都市の内部のなかのことでしかなかったのか、という感想を覚える。まるで夢から醒めたみたいな。

 外部への脱出を果たしたかのような最後のショット。しかし、それ以前のショットの連なりがすべて都市の内部を映したもので、最後の一つだけは例外であるといえるのか。それは同じショットであるはずで、その中のたった一つだけが特権的な意味をもつと言える理由があるだろうか。

 前日はウイスキーの水割りを飲んでいて、胃にやさしくできてなかった。

下書き

 自分以外の人類が全て消えてしまったので快適に生き延びるために暮らしていたら、しばらくして消えた人類が突然戻ってきて、「私たちがいないあいだ、一体こいつは何をやっていたんだ」と、自分一人の生活の実態を事細かく検証され、「こいつは私たちが戻ってくる可能性を全く考慮せずに、やりたい放題をしていた」と非難されることを想像して、いやな気持ちになった。

 「一人で寂しかったね、今はみんながいるから安心してね」と慰められもするのだろう。それも、検証と告発と同時に行われるのかと思うと。

 「本は途中から読んでもいいし、一部を読むだけでもいい(特に古典は)」という教えにしたがい、『監獄の誕生』の第四部だけを読めないなりに読んだ。 

 刑罰を執行する行刑施設が、その刑罰を決定した司法を上回る、という基本的な図式は、國分功一郎『近代政治哲学』における行政と立法の関係と似た話を読んでいたこともあり、個人的には飲み込みやすい。

 パノプティコンが有名だけれども、その話の要点のひとつは、受刑者と管理者が観察されることで新たな学知が形成されることにある。つまり、非行性を有する危険有害な個人という概念をもとにした犯罪学という学問の誕生。そして新たな言説が生み出され、司法にたいして影響力をもちはじめる。

 四月末にある映画のティーチインで、私は作中のピン送りについて監督に質問したのだけど、その一ヶ月後に、おそらく同じ場にいたのであろうアニメライターの方が、その質疑応答を「妄想的な想像力を「去勢」される経験」の一例としてツイートしていた。

 もし「去勢」が見られたとすれば、これ以上はずかしいことったらないね。ツイートもまあまあRTされていたし。

 私がピン送りという「一般的な映像技法」に注目したのにも、その作品が、ズームアウトおよびカメラ位置の移動という「一般的な映像技法」「普通の手法」が、ごく限られて用いられているという理由があってのことなのだけど、質疑応答の結果的に、私の質問が(物語的な意味ではないにせよ)何かしら過剰なものを見出すものであったことに違いはない。それに、ツイートの趣旨にたいして、こうした補足のうえでの異論があるわけではない。

にじさんじGTAを見ていたら時間が飛んで行った

 GTAにとどまらず、周央サンゴさんと緑仙さんの雑談配信のアーカイブも見たりして時間を使いました。すてきな声の楽しい雑談を聴き続けたいという欲望ってなんなんだろうな。

ファボ・ブックマーク

 楽しみだね、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』のロード&ミラーによる映画化。

 私は小学生の頃に『ソウルイーター』の再放送を見ていた。

 好きなキャラ:マリー・ミョルニル

 誰が小林秀雄と中原中也を演じるんだ、という期待。

聴いたもの

音楽:ピーナッツくん『BloodBagBrainBomb』

 リリックがおもしろい日本語ラップが好きなので、聴いていて楽しいアルバムだった。「GRMN freestyle」と「Dreamwoks」が好みのあたり。ラッパーにはブルースがあってほしいと思っている。

 そして、「Birthday Party(feat. 月ノ美兎)」が最高。委員長とラッパーの共演でいうと、「Nowを」(いとうせいこう提供)というドでかい前例があるけれど、今回みたいに現行のトラックに乗っかってくれるのもうれしい。とてつもなくうれしいんです。

 ピーナッツくんとnerdwitchkomugichanがいろいろなヴァーチャルライバーに楽曲を提供することが増えたらいいなと思った。それこそ、ぽんぽこ「Bokeh」もよかったから。欲深いオタクの望みを叶えてくれ!


 六月の分は終わり。生活リズムが崩れたまま猛暑の季節に入ってしまったため、何事にも身が入らないので困る!


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