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特派員として滞在していたインドで新形コロナウイルスの流行に見舞われたSさん。その後、無事に5月に日本に戻ってきましたが、色々と考えるところもあったようです。引き続き後編をお届けします。

―新形コロナウイルスに関しては日々、情報が錯綜し、「何を信じたらいいか分からない」と言う声も聞こえていますね。
気持ちは分かりますが、本来、情報は玉石混交で、「これは絶対に正しい」と言い切れるものはありません。残念ながら、「信じられない」と言う方に限って、新聞や雑誌を読むわけでなく、何となくテレビやネットを見ているような気がします。それって、食べたこともないのに「この店の味は信じられない」と食レポしているのと同じことではないでしょうか。そういう人ほど、いざと言う時「これは絶対」と信じ込んでしまいがちなのも気がかりです。今は緊急事態ということもあり、新型コロナウイルスに関しても「ただの風邪」という人もいれば、「対策をしなければ何十万人も死ぬ」という人もいます。
情報に接する上で大切なのは、単一の情報で判断するのではなく、様々な情報の中から自分で選び取って考えてみることです。たとえば、新聞を読むとして、信用できない記事がある。じゃあ、他の新聞はどう書いているのだろう。見比べてみたら、見えてくるものもあります。もっと深く知りたければ、専門書を読んでみる。外国のニュースを見る。やり方は色々あるはずです。結局は、信じる・信じないの話ではなく、「自分が、何をどれくらい知りたいのか」によると思います。たとえば、私達記者が、ある企業のある商品について記事を書くとします。その場合、どんなメディアに、どれくらいの記事を書くのか、状況によって情報の集め方は変わってきます。企業のリリースだけを見て記事を書くのか、広報担当者に直接話を聞くのか、商品を使っているユーザーに聞くのか、消費者センターに聞くのか、作っている製造者に聞くのか。見極めが必要です。それと同じように、記事を読む側だって、手に入れたい情報・精度によって、どこをどうやって探すかを変えていくべきだと思います。SNSなど誰でも簡単にアクセスできる場所には、不確かな情報しか落ちていません。テレビのニュースが当たり障りのないものばかり扱うのは、スポンサーがついているからです。受動的に手に入る情報には限界があります。もし、確度の高い情報を得ようと思うなら、自分から積極的に、情報にアクセスすることをお勧めします。

―新形コロナウイルス後、社会・世界はどう変わっていくと思いますか。
難しいですね。今回の新型コロナウイルスがいい例なのですが、東京五輪がこんな形で延期になることを一体誰が予想できたでしょうか。世の中、どうなるかなんて誰にも分かりません。一つ言えることがあるとしたら、一面的な物の見方に捉われない方がいいと言うことです。たとえば、日本政府やIOCは五輪を2021年に開催しようとしています。そうしなければ、国内の航空業・宿泊業・観光業・飲食業などが苦しい状況に追い込まれるのは分かります。でも、果たして新型コロナウイルスは終息しているでしょうか? 開催して人は来るのでしょうか。今の世論調査でも「五輪をやった方がいい」と言う人はわずか3割にとどまっていると聞きます。それでもやめられないのは何故か? 日本経済がそのインバウンドを見込んで動いてきたからであって、「今更やめられない」「代わりに何かやらないといけない」という思いがあるからだと思います。もし、開催すべきか否かを論じるのであれば、それによって恩恵を受ける人、被害をこうむる人、感染リスクと経済的なリスク、両面から考慮した上で考えるべきです。“五輪を開催するのはいいことだ”みたいな、安易な考え方でくくるべきではないと思います。

個人的なことを言わせてもらえば、「インド」に対するイメージもそうです。「インド」と聞いて、一般的に思い描くのは「カレー」「インド映画」「ターバン」ぐらいでしょうか。でも、4年近く、インドで暮らしてきて思うことですが、実際は全然違うわけです。インドの映画が「歌って踊って」だけというのはもう過去の話で、その他にも恋愛映画、アクション映画、SF映画など、様々なものがあり、描き方も多用になっています。食文化も服装もエリアや世代、宗教などによって多種多様です。13億人もいるわけですから、ひとくくりなんてできるはずがないんです。不確かな情報や画一的な物の見方に囚われて、「これはこうだ」なんて決めつけるのではなく、地に足をつけて、自分の頭でフラットに考えた方がいいと思います。(Sさん/通信社記者)

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