見出し画像

大西洋単独飛行で有名なチャールズ・リンドバーグが来日した際、日本語の美しさに魅せられたという逸話をご存知だろうか。

中でも、英語のgoodbyeとも違う、have A nice dayでもない、GOD bless youでもない。さようならという言葉を気に入ったという。

さようなら

昔は一般的だったかもしれないが、今はあまり使われていない言葉だ。その語源は「左様であるならば、いざゆかむ」つまり、そういうことであるなら致し方ない、さあ行こうという達観の精神にあるといわれている。

つまりは、別離の運命を受け入れた言葉だ。状況によって、「ゆく」は「逝く」にもなる。

昔は、今より平均寿命が短く、危険がたくさんあった。日々の別れが今生の別れになりかねなかった。出会いも別れも、一瞬一瞬が愛おしかったから、そういう言葉が自然と使われたのだと思う。

大晦日の今日。我が家では大掃除が行われている。

年末年始って言ったって、一つ余計に年を取るだけだろ。大晦日も元旦も同じ一日じゃねえか。どうして、こうも慌しく掃除なんかしなくちゃいけないんだよ。

子供の頃、ぶつくさ言っていた。

「そりゃそうだけど、心持ちってやつだよ」今、大人になった私が、かつての自分に向かって答えながら、背中を丸めて丹念に床を磨いている。「面倒くさいけど、気持ちいい方がいいだろう」かつて、父もそう言って私をたしなめたものだ。


正月に限らず、お盆だの、十五夜、節分、雛祭り、七夕、春分、秋分、夏至…暦を見渡すとこれでもかというくらい、日本には文化的行事が目立つ。

節目を大事にするのは「さようなら」のお国柄だろうか。

いつの頃からか、私達はさようなら、という言葉を使わなくなった。別れは今生の別れではなくなり、世界はどんどん小さく狭くなっている。

でも、それがそのまま幸せにつながっているかというと、そういうわけでもない。

掃除をすると、晴れやな気分になる。心残りが少し減った感じだろうか。「これで新しい年を迎えられる」という面持ちは極端な言い方をすると、「いつお迎えが来ても大丈夫」に近しい気がする。

縁起でもないと叱られるかもしれないが、それは決して悪い心持ちではない。

息子に聞いたら、小学校ではホームルームの最後に先生が「明日も元気に登校しましょう。それではみなさんさようなら」と言って別れるそうだ。それを聞いて、すこし安心した。

2021年はちょっとずつ、さようならを使っていこうと思っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?