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【エッセイ】なぜ私は千葉ロッテマリーンズのファンなのか

千葉ロッテマリーンズが好調な時、私の仕事も順調に進みます。昔から、ロッテが勝つと、仕事のストレスもなく、気分も良くなるのです。私にとって、マリーンズよりも「ロッテ」という名前が特別な意味を持っています。おそらく、2024年6月現在で51年間のファン歴を誇っています。そこそこの長さです!ちなみに6月1日現在、11連勝中(明日以降、どうなるかはわかりません)。

福岡出身である私がロッテファンであることを人に話すと、「なぜ千葉ロッテなの?」「千葉に住んでいたの?」「最近?」とよく聞かれます。多くの人は私がホークスファンだと思うようです。実際、私の故郷である筑後市には、ソフトバンクホークスの素晴らしい2軍・3軍の施設があります。そこは、1軍と同じサイズのグラウンドを持つ地域です。みんながみんな、華丸大吉ではありませんが、そんな場所でロッテファンは珍しい存在です。周りはホークスファンばかり。高校時代の同級生が唯一の例外です。彼は、珍獣とも言えます。

東京での単身赴任中、福岡出身者の集まりに頻繁に参加しています。フェイスブックグループ「東福推飯」では、福岡出身の方のお店でオフ会が開催されます。しかし、ここではロッテの話題はタブーです。参加者の99%がホークスファンで、ロッテが勝っても喜ぶことは許されません。特に、2005年と2010年にホークスを破って日本一になったことは、誰もが忘れていません。私の妻も含めてです。彼らにとって下剋上とか許されないワードです。

では、なぜ私がロッテファンになったのか。それは、ロッテの九州工場が筑後市に建設された時に、工場の開業を記念して大相撲の巡業が行われたからです。おそらく、1972年の秋から翌年2月にかけてのことでしょう(調べてみると、工場完成は1973年2月でした)。私が保育園の年長の時です。
私は3歳から大相撲の大ファンでした。4歳の時には、「月刊大相撲」の読者になりました。輪島と先代貴ノ花が大関に昇進したのは、1972年秋場所の後です。その頃、ロッテの九州工場に彼らが訪れたというわけです。私の祖父も大相撲が好きで、いつも一緒に観戦していました。私は幼い頃から、幕内力士の名前をすべて読むことができました。一種の漢字博士としてテレビに出ればよいのでは?と親戚から言われていたようです。まあ、しかし、私のお気に入りは、その頃、人気の貴ノ花でも輪島でも、長浜(豊山)でも、高見山でも、魁傑でもなく、横綱北の富士と、なぜか幕内の照国でした(誰も知らんやろうけど、漢字の文字が好きだったのかも)。そのあと、北の富士は審判や解説でも女性人気が高かったと思いますが、子供の私にとっても、とてもかっこよかったのです。

長くなりましたが、私は大相撲のファンでした。そして、その巡業でロッテ工場に力士たちが訪れ、子供たちが招待されるという話がありました。私も大変喜びました。しかし、招待されるのは小学生以上で、私はまだ保育園の年長でした。この時のショックは今でも忘れられません。兄や近所の小学生が招待されたのを羨ましく思いました。そんなこと、誰が決めたのだ!と子どもながらに不条理を覚えました。

その後、大相撲への情熱は徐々に薄れていきましたが、野球への興味は強まっていきました。小学校に入ると、野球帽を被り、グローブを手に入れました。福岡では多くの人が太平洋クラブライオンズ、その後のクラウンライターライオンズやジャイアンツ、阪急、阪神の帽子を被っていましたが、私はなぜかロッテファンになっていました。ロッテが勝った翌日は、朝日新聞と西日本新聞のスポーツ欄を読むのが日課でした。新聞を読む習慣も、ロッテのおかげです。※もしかしたら、大相撲のおかげかもしれませんが・・・・・・

今季はまだどうなるかわかりませんが、良い予感がしています。 がんばれ、千葉ロッテマリーンズ!


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